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リリアナの心


 閉じた扉をみて、リリアナは細く息をはいた。瞳の奥に炎を飼っているような男だと思った。ルイスやアイクから彼の為人(ひととなり)は伝えられていたけれど、実際にみると迫力が違う。男の持った生命力は並大抵ではない。目的への執着が透けて見えた。


 じっとリリアナの後ろで静かにしていた護衛官の男は一歩リリアナから距離をとる。対面した護衛官の表情には気遣いが見える。よく知らない男と話し合いをさせるのには抵抗があっただろうに、主人の護衛と、意志を天秤にかけてよく職務を遂行してくれた。

 アイクが口を開く。


「リリアナ様」


 口の中が乾いているのか、第一声はかすれていた。


「どうした」

「私はあいつを完全に信用していいのか疑問が残ります」

「率直だな」

「私はあなたの護衛なので。あなたに危害が加わる可能性を限りなく排除します」

「そうだな。それがお前の仕事だ」

「それなら……」

「あの男は全てを話している訳ではない。嘘も言っていない。でもそれは、私たちもそうだ。彼がこちらにとってはかりかねる存在であるのと同時に、私たちも彼にとってははかりかねる存在だろう?」


 茶褐色の目が次の言葉を静かに待つ。


「お互いに目的があるし、大切なものがある。多分それは今のところ矛盾しない。それが確認できただけでも十分じゃないか」

「……」


 リリアナの目的は最初から一貫している。壁外居住区の病の蔓延(まんえん)を食い止めること。そして、この都市に、同じ被害を起こさないこと。さらに付け加えると、友人が伸ばした手を掴んで、その助けになることだ。


 病の被害は、原因が特定された。明日の作戦を経て、経過観察をして、終息に向かうという希望がある。それをもたらしたのは信頼する友人だ。その友人は中央で起ころうとしているさらなる災いを食い止めようとしている。今度はリリアナがそれを助ける番だ。


「最後の最後に裏切られるかもしれませんよ」

「そうならないように見張るのが、我々の役目というわけだな。それに、その前に真っ直ぐな竜仕官が竜のためにと暴走しないとも限らない」

「それもあった……」


 思わずというふうに口調の砕けたアイクに、リリアナは笑った。


「レイガートの自由人はとんでもないことを起こすことが稀にあるから」

「稀にね」


 竜への脅威を放っておける人じゃない。初対面の頃から知っている。彼の並々ならぬ竜への思い入れ。心底竜という存在を大切に思う心を知っているから。そして、それに学生時代のリリアナは救われたから。ないがしろにはできないのだ。自分も大切にしたいと思うのだ。


「昔は竜なんて特になんとも思っていなかったのにな」


 空を飛ぶ大きな獣。そんな印象を、学舎に入る前のリリアナは竜に対して抱いていた。学舎では五家の人間というだけで近づいてくる人間も、距離をとろうとする人間もごまんといた。その中で彼はだたただ関心がなかった。彼の関心が向かうところは竜だけだった。


 きっかけはなんだったか。空を眺める彼に話しかけたのだったか。竜が好きなのかとふと聞いてみたら、怒濤のように話し始めたのだ。静かで休めそうだと入った人のいない中庭で、ただ空を眺めていただけの人間が、これほど表情を変えながらしゃべるのかと心底驚いた。彼の隣には竜に関する書籍が積まれていて、よく見ると隣にそびえ立っている像は、物語の英雄と竜をかたどったものだった。


 内心嘘だろうと思った。けれど、なんとなく心地よかったのだ。その少年は一言もリリアナの事を聞かなかったし、しゃべらなかった。話し声は抑揚のついた音楽のようでリリアナの心に巣くっていたもやもやを全部押し流していった。


 なんとなく面白くなって、笑いさえ出てきた彼女は聞いたのだ。「竜のどこが一番好きなんだ?」と。

 彼は言った。

「やはり飛んでいるところが一番好きだ」と。


 その時、上空を一匹の竜が飛んでいった。白亜宮の竜鐘(りゅうしょう)が長く鳴った。鱗は波だって輝いた。ここは中央区。竜がこんなにも大きく見えるのだとリリアナは実感した。都市機能として竜の存在は大切だと理解はしていた。しかしそんな存在をこんな目でみる人間がいるのだとそのとき初めて思ったのだ。


 そのときから、リリアナはほんの少し、竜の事を好きになった。まあ、それからルイスと友人になって、竜の力強さ、生命力、好きなところ、素敵なところを懇切丁寧に語られて、彼のもつ情熱を直に感じるようになるとは思いも寄らないのだけれど。


 短い時間で過去のことを思い出す。その時中庭に吹いていた風の心地よさまで覚えている。幼かった自分と、ルイスとが共有する時間だ。

 夜風が頬を撫でていく。窓の外はぽっかりと外の景色を切り取っていた。たたずみこちらの様子をうかがっているアイク。

 リリアナは外の暗闇を見つめながら護衛官に語り掛ける。


「お前とルイスは、よく私の心配をしてくれるがな。今回に関してはルイスの方が心配だよ」


 飾られた白い花が室内の光で橙色に見える。


「今回の騒動、そもそもの発端は竜の庭への侵入だろう? ルイスが石を追っているのは、竜の事に繋がっているから。明日の事はその足がかりに過ぎない。危ないことにならなければいいと心の底から願うよ」

「そうですね」


 落ち着いた声が床に落ちた。

 再会の時、元気そうでとても嬉しかった。

 知らないところでいなくならなくてよかった。命がなくなっているなんてことが起こらなくて良かった。でもそれは運が良かったからだとも思う。


 リリアナは緩く閉じられていた手のひらを握り込んでもう一度開く。空を見上げる。竜がいなければ雨など降らないその天から、嵐がやってくるような気がして。


 *


 翌朝。中央区はいつも通り晴れていた。上空には千切られたような綿雲がほんの少し。晴天の空ばかりの都市上空には珍しい。水気のない石畳。今日の作戦のために用意された人員は必要な情報をもって帰ってきた。それはウォンダーから提供された石により可能となった。水質の調査結果だった。


 リリアナは石を受け取った昨日のうちに、水質調査を担当する水道局員に石を受け渡した。中央区の五カ所に別れた局員は石を使ってその場所から流れ出る水を調べた。


「突入箇所は絞れた。場所は中央区南東寄りの宝石店。場所の特定後、配管の交換と地下水道亀裂の修復の応急処置を今日のうちに済ませる。我々は、宝石店に踏み込み、石のありかを探ることになる」


 宿の一室は作戦会議のための部屋となっていた。リリアナ、アイク、ルイス、ウォンダーの他に数名の水道局員、そしてその他エレクシオン家が派遣した護衛官数名。呪いの石確保の際に抵抗を受けることを想定しての護衛官配置だった。


「宝石店捜索の令状は水道局長様に出していただいた。都市の水道関係を担うからこそ、呪いの石の発見に必要だと判断された」


 都市機能において水道局の役割は大きい。その権限も当然大きくなる。水質を管理し、水量を管理・確保する。人名を脅かす大事だと判断されたのだ。今は都市外にしか被害が広がっていないけれど、水の管理を怠ると一気に都市内も無関係ではいられなくなる。原因がわかるのであれば、その原因から潰しておこうという考えだ。


「突入前にはルイスに最終的な確認を行ってもらう。今のところ呪いの石の気配を確実に断定できるのはルイスしかいないからな。頼めるか?」

「もちろんです」


 ルイスは首肯する。

 宝石店から出る水道管の中の水を調べる。取水口から水を取り出さずとも、今のルイスならば、管の上から呪いの石の気配を察知する事ができるだろう。昨日の強行軍で感覚が鍛えられたおかげだ。


「強制的に踏み込んだのに、原因がありませんでしたでは話にならない。内部の調査にも力を貸してくれ」

「わかりました」


 了承したルイスに頷いて、リリアナは部屋に集まった全員を見渡す。


「それでは目標は呪いの石の完全確保。確保した後、数日の継続的な水質調査を行い自体の推移を見守ることとする」


 リリアナの宣言とともに、宿をたった面々は目的地へと急いだ。

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