友人との再会
程なくして、アイクが階段を降りてきた。
「行こう。足元に気を付けろよ」
「はい、ありがとうございます」
高い段差を大きめに足を上げてのぼる。数日で少々運動不足になった体では、少し息が弾む。長距離歩いてきたのも相まって太ももとふくらはぎがそろそろ限界を訴えてきたが、出口はすぐそこだ。気力だけで足を動かして、ようやく扉にたどり着いた。
鼻をくすぐる新鮮な空気の匂いを胸一杯に吸い込んで、ようやく人心地ついた気がした。見上げた空は星が浮かんでいる。
地中を長い間移動している間に、地表では太陽が沈んで夜になっていたらしい。建物の影は色濃い。けれど、生活している人の営みが、窓から零れだしていた。
息を整えていると、背中に手が添えられる。その手の持ち主はウォンダーだった。未だに角灯を手に持つアイクが、扉から少し離れたところを示していた。
どうやらあちらに移動するらしい。
「あと少しだ。休憩はもう少しだな」
「わかりました」
「ほら、こっちだ」
背中の手に励まされて建物の影に入ると、そこには静かに女性がたたずんでいた。名前を呼ぼうとして、声が喉の奥に張り付く。いつものように挨拶しようとしたら、その言葉は体への思わぬ衝撃で止められた。
清涼感のある香水の匂いがする。体の前が温かい。温かさは体の脇を通りすぎて、背中にも回り込んでいた。
「リリアナ……?」
かろうじてそう、声を絞り出した。
「おかえり」
顎の少し下でそう声がして、ぬくもりはすぐに離れていった。切り替えるように大きなため息が聞こえて、上げた顔はもう普段のリリアナだった。
「挨拶はどうした? 長く中央を離れすぎじゃないか?」
心配させたのだと理解した。ルイスは彼女の蒼玉を見つめる。
「ただいま帰りました」
「うん」
彼女はそう言って少し照れくさそうに笑った。
「すまない。弾みでらしくないことをした自覚はあるんだ」
ルイスは首を振る。気にしないで欲しい。というより、その咄嗟に出てしまった彼女の行動が、彼女にどれだけの心労と心配を掛けたかを物語っていた。同時に申し訳ない気持ちになる。
友と満足に連絡を取れなくなって、中央から行方不明になったと聞かされた時の動揺を思うと何度頭を下げても足りないくらいだ。
「こちらこそ、すみません」
そう言うと、彼女も首を振った。
「ルイスのせいじゃないから気にしないでくれ。今はこうして元気で再会できたことが嬉しい」
「私も、嬉しいです」
さて、と話を切り替えたのはアイクだった。
「ここでは誰に見られるかもわかりませんので、移動しますよ。感動の再会に水を差して悪いとは思いますが」
「わかった」
リリアナが苦笑した。主を守るという役割を忠実に実行しようとしているアイクには彼女も文句を言えない。
「案内しよう。宿をとってあるんだ。君の客人も、もてなしたいしな」
無言を貫いているウォンダーの方を向いたリリアナは、ふっと笑ってみせた。
移動した先は、中央区にしては第一外周部にほど近いところにあった。一見していい宿だとわかる。
大きな石造りの建物の裏に通されて、通常入り口からは別の入り口に通され、人気のない階段を数階分上がる。
「我が家と、水道局長様、それに竜仕官長様が共謀してな。こんな大げさなことになっているが、気にしないでくれ。それに、大げさでも何でもなく、これからの活動は秘密裏に行った方がいいだろうとお二人の間で決定されていたようだ」
彼らの行動は慎重だった。多分それは、第三外周の病気に限らず、市長の息子クイーズが竜の庭に侵入して行おうとしたことについてもまだ謎が多いからだろう。権力者の目をかいくぐるには、権力を持った別の人間が、慎重に動く必要がある。
ルイスは頷いた。ウォンダーは周りを見渡している。
階段を上りきった先は思ったよりも簡素な内装だった。石造りの廊下には奥に行くにつれて両側に四部屋ほど設けられている。廊下の奥には形のいい採光用の窓が設けられている。窓辺には陶器の花瓶と生けられた花。階段は他になく、この階にやってこられるのは、今のぼってきた階段だけだとわかる。
どう考えても一般住民が泊まれるような場所ではない。
驚愕を隠せないルイスに苦笑しながら、リリアナはアイクの背を追って左側真ん中の部屋にルイスたちを案内した。
中は応接室のようだと思った。第三外周にあるクロイツ宝石店の社長室もこんな感じにソファーが対面して置かれている。しかし、こちらの部屋の方が何倍もおおきく、またソファー自体も高級感がある。真ん中の絨毯は分厚くて、光によって縁に影ができるほどだった。
中に人はいない。アイクが一応ぐるりと確認してから、リリアナが先導する。
なれないルイスにリリアナが苦笑した。
「そう萎縮しないでくれ。我が家で迎えても良かったんだが、外部からの監視の目があるかもしれないと許可が下りなかったんだ」
そう弁明しているけれど、彼女の家も五家の名に劣らず値が張る物がそこかしこに飾られていて、ルイスは廊下すら真っ直ぐに歩ける気がしない。
レイガート家も少しは名の通った家であるが、やはり五家にはかなわない。第三外周に家を持とうとする祖父のような変わり者がいて、家財収集を趣味とする家人がいなかったのも影響して、レイガート家の内装は家格に反して質素だ。
ここまでついてきていたアイク以外の護衛官はこの階には上がってきていないようだった。入り口の警護を任じられているのかもしれない。部外者の侵入は難しそうだ。
扉が閉められて、リリアナが大きく深く息をしたのがわかった。
「色々と手を回してくれてありがとうございました、リリアナ」
ここまでの彼女の気苦労にはただただ感謝するほかない。自分も動きたいだろうに、アイクを差し向けてルイスの無事を確認し、こうして中央まで戻ってくる伝手まで作ってくれた。彼女が五家の姫だから、ではすまない。彼女自身が受ける周りの評価も加味して、人を動かすことにたけているから今の結果がある。
「私が頑張ることで、友人がこうして無事に帰ってきた。それだけで、私は嬉しいよ」
「……かっこいいですね」
思わず出た賞賛に、リリアナがぽかんとしたあと、笑いを含んだ呼気をこぼす。
「その返しはルイスだよなぁ」
一通りクスクスと笑いをこぼすリリアナから隣に視線を滑らせると、アイクが苦い顔をしていた。
「それに、まさか助けを求めてきたはずのルイスが、壁外区域の病気の情報まで運んでくるなんて驚いたよ。どういった経緯だったんだ? 報告と手紙で把握はしているけれど、ルイスの口から聞きたいよ」
「そうですね。でも、その前に、ウォンダーを紹介させてくれませんか? それにリリアナの事もウォンダーには知っておいて欲しいですから」
「そのとおりだな」
隣で静かにしていたウォンダーを前に促す。寡黙な男は、特に気負いなく前に踏み出した。足元のふかふかの絨毯の所為なのか、彼の特質なのか、足音がしない。
「初めまして、ルイスのご友人。俺は、ウォンダー・ストーレン。都市間移動の商隊警護を主にしている旅人だ」
「丁寧にありがとう。私の名前はリリアナ・エレクシオン。水道局の局員の一人でルイスの友人だ。あとはまあまあ力のある家の生まれだが、その辺は気にしないでくれ」
「……わかった、そうしよう」
やや葛藤したウォンダーはそう言った。リリアナ本人としては特に気にしないのだろうけれど、後ろのアイクの雰囲気が少し剣呑なものになっている。都市内の人間であれば、リリアナにこう言われたとしても家の名前を聞いただけで対応は最上級者へのものとなる。
リリアナが先んじて差し出した手を、ウォンダーが握る。エレクシオン家の姫は花のように微笑んだ。




