休み
医院をあとにしたら家に帰る。
家には誰もいなかった。階段を上がって書斎の扉を開けると紙の匂いがする。窓からの光が棚には直接当たらないようになっていて、そこには机と椅子が置かれている。そこに座って本を読んでいた祖父の横顔を思い出した。
祖父は扉から顔を出したルイスの事に気がつくと、手招きをして傍らにルイスを呼ぶのだ。
祖父は色々と教えてくれた。竜の事、石の事、自分の体験談を交えて思いついたことをぽつぽつと。抑揚を付けて面白おかしく話したりはしない人だったけれど、深く心に沈むような、染みこむような優しい声音だった。
思い出を語るときの優しい目つき。竜の事を話すときの柔らかい表情。石の事を語るときの好奇心に満たされた目。全部が色褪せずに思い出の中にある。
竜仕官長までしていた祖父が語る竜仕官としての話。竜とどう接してきたか。そういう話はルイスの竜への姿勢の指針にもなっていた。
几帳面な祖父の性格通りに、きっちりと並んだ背表紙がルイスを手招きする。この辺は石の本。この辺は祖父の手記。この辺は竜についての記録。ナンバリングされた記録と、たまに走り書きされた内容。祖父もたまに見返していたに違いない。そうじゃないと内容のメモは背表紙にまで書いたりしない。
手を近くで滑らせながら考えた。
何が今の自分に必要だろう。
石について? 呪いの石は滅多に見ない石だと聞いた。それに祖父だったらルイス同様石に対して嫌な感覚を覚えたのではないだろうか。
竜についての日記? そんなところに石についての記録があるだろうか。
手記。わからない。考えても祖父の長い人生の記録に本当にそれがあるのか知るよしもない。
考えすぎて止まってしまった手を握った。
一発で正解を探そうなんておこがましい話だ。
ルイスは軽く深呼吸すると、一冊取り出した。
*
扉を開けてウォンダーを出迎えたのは灯りのないリビングだった。扉の隙間から体を滑り込ませて人の気配を探ると、家の主人はどうやら二階にいるようだ。日は傾いて窓の外は茜色に染まっている。夕の鐘がしばらく前に鳴り響いた外は、夜の気配を色濃くし始めていた。室内は当然昼よりも暗い。
気配を辿って二階に足を踏み入れる。息遣いも聞こえない沈黙。書斎を覗き込むと、夕暮れの光で文字を追うルイスが目に入った。
ページをめくる音だけが響いている。窓からの光と、それの届かない暗がりとが一部屋に同居して、壁にある本棚が深い渓谷にそびえる断崖のように見えた。
入り口から足を踏み入れようとすると、ルイスの手がとまる。めくれる紙がそこになかったからだ。
最後のページだった。
「あ……」
「ルイス、腹は減らないか?」
「お腹、空きましたね」
時間を思い出したのか、外を眺めるルイス。夕焼けの光がそっと降り注いでいる。
「夕の鐘が鳴ってしばらく経つぞ」
「そうなんですか? 道理で暗くなった訳ですね」
表紙を閉じて椅子から立ち上がる。
太陽は地平線から徐々に姿を隠そうとしている時間帯だ。ルイスは大きく伸びをした。
「夕飯の準備、手伝います」
「ああ」
動いた拍子にお守りが服からこぼれ出る。ウォンダーの緑の目がそれを追った。白と橙の二色の石が音を立てる。
「そういや、それは?」
「これですか? お守りですよ。知りませんか? 竜の鱗を模して作られるものなんですが、帰りたい場所に帰れるようにと願いを込めるんです。これは祖父が作ってくれたものです」
掌で重なる二つの石。
「へぇ。少し見せてもらってもいいか?」
「はい」
革紐を首から外して手渡す。
石は二つ。祖父のものと自分のもの。橙と薄水色の石だ。薄水色の方は、自分が初めて選んだ石でもある。一回の工房で「選んでみなさい」と言われたことが始まりだ。
「贈り物か」
「はい。学舎に入る前に間に合うようにと」
中央の子供は十二歳から学校に通うことになる。基本的には寮暮らしで、長い休みに第三外周の祖父の家まで帰ってきていた。六歳になる頃から住んでいた家は、すっかり自分の家で、中央のレイガート家よりも親しみがあったためだ。
ただ、流石に少しはレイガート家にも顔を出した。ルイスがいない間に生まれていた弟と妹に顔を合わせるためだった。
あのときは驚いた。久しぶりに両親の元に顔を出したら小さな顔二つに出迎えられて、完全に知らない人扱いを受けたのだから。いやまあ、一度も会ったことがなかったのだから知らない人と言うのは間違っていないのだけれども。
そんなことがあって、ルイスも実家に寄りつかなかったことを少々反省したものだ。閑話休題。
気になると言えば、そちらの家のことも気になる。ルイスが中央から逃れたあと、市長の息子であるクイーズの捜索対象になったのはレイガートの家だと思うからだ。実際にアイクの報告によると家の周りを徘徊している不審な影もあったらしい。
その辺の続報も聞かなくてはならない。
連絡が取りづらいことがもどかしかった。
「ありがとう、もう十分だ」
ウォンダーはしばらくお守りをひっくり返したり、手触りを確認したりしたあと、ルイスに返却した。途中何かを考えていたようだが、その内容を教えるつもりはないようだった。
石の感触が返ってくる。手の上の石が重なって小さな音を立てた。紐を首に掛け直し、慣れた重みに安心を覚える。
やはり、これがここにないと落ち着かない。
「ウォンダーの方は? 道具は揃えられましたか?」
外出していたウォンダーの進捗を聞きながら階下に降りる。
「ああ、流石大都市の玄関口。いいものがそろっている」
「それはよかったです」
住んでいる場所を褒められて悪い気はしない。
お互いに今日の事を話しながら情報を交換した。
ルイスが祖父の残したものを読んでわかったこと。直接的な情報はなかったけれど、流石長年竜仕官長を勤めていた者の書き残したもの。竜の特性について他、趣味の石についての情報は潤沢だった。
竜の事は好きだ。竜仕官長にも他の竜仕官にも、そのことは知られている。学生のころも、あまり竜の事を知らないし興味もないと言っていたリリアナに熱弁して、呆れられた事がある。あまりの熱の入りように隣で静かに聞いていたアイクが待ったをかけたほどだった。
まあ、その時の事はいい。
短い階段はすぐに終わり、一階に到着する。先におりたウォンダーに向けてルイスは口を開いた。
「明日も出かけてきますね」
「どこにだ?」
「供養塔です。慰霊の火が焚かれる時期なので」
ふと思い出したことがある。祖父の思い出をたどる内にもうそんな時期かと頭をよぎった事だ。
タルテアンでは年に四回数日にわたって、都市内に点在する供養塔に火が焚かれていた。個人の墓地はなく、都市内では共同で火葬され、近くの供養塔に納められる。残された家族や知人は故人がなくなった時期に合わせて供養塔に花を手向けるのが習わしになっていた。魂は水に流れ、体は大地に混ざり自然に還る。迷うことなく死の旅を歩めるようにと祈るのだ。
習わしを語ると、ウォンダーは頷いた。




