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 狭い自分の部屋は小さな灯りに照らされていた。ゆらめく光がルイスの顔を半分だけてらす。外は夜の闇に覆われていた。

 その闇に沈むように気分も落ちていく。それは、知らなかった世界を知ったせい。ルイスが思っていたよりも外の世界は生きにくそうだった。呪いの水も相まって、死を街が呼んでいるみたいだった。

 傍に置いたままの手記の背表紙を撫でる。祖父が残したものだった。祖父は意外にも筆まめで、毎日記録をつけていた。その中身を見せてもらったことはないが、もし祖父が何かを残しているのならここだと思ったのだ。


 ただ、文字はちゃんと理解できず、思考の表面を滑って行くようで、すぐに閉じてしまったが。

 今日は読み進めるのは難しそうだ。

 瞼を閉じなくても、ちょっとぼうっとした隙に今日の光景が頭をよぎる。

 都市の外はよくみていたのに、実際に自分で歩くと大違いだった。それに、思った以上に打ちのめされているわけだ。


 一階から足音が上がってくる。開けたままの部屋の扉からウォンダーが顔を出した。ウォンダーが間借りしている祖父の部屋は廊下のつきあたりで、そこに行くにはルイスの部屋の前を必ず通る。


「まだ起きていたのか」


 薄暗い部屋の中に男は断りをいれて入ってきた。床板が(きし)む。


「邪魔をしたか?」


 机の上にあるものをみて、遠慮がちにそう聞く。ルイスは首を振った。


「いえ、開いても全然頭に入らなかったので閉じてしまったところです。だめですね。今日のことを思い出すと、そちらばかり考えてしまって」

「そうか」

「私は動揺するばかりだったのに、ウォンダーは冷静で尊敬します」

「慣れているだけだ。慣れない方がいい」


 ウォンダーの声は淡々としている。平生を装う風もない声音に、平生より早かった心臓の音がゆっくりになっていく。

 思い出すと動揺して早くなる鼓動が、いつもの調子を取り戻すみたいだ。

 ウォンダーが少し移動して、壁に体を預けた。座ってもらおうと思ったが、この部屋に椅子は一脚しかない。

 翡翠の目は手持ち無沙汰に膝の上で合わせられるルイスの手に向いていた。


「少し俺の話をしようか」


 腕を組んでそう切り出す。


「あなたのですか?」

「そう、俺が見てきた都市の話だ」

「それはきいてみたいです」

「最初に言っておくが、あまりいい話ではない。ここのように大きな都市は少ない。むしろ都市なんて呼べない、(すう)家族だけの村もある。竜が降りる場所と人の居住地が分けられてないところもある」

 ウォンダーの目は遠くの思い出を見ている。灯りが彫りの深い顔に影を作る。


「俺は旅をしながら石を回収していたが、噂が他の都市に回ってきて、実際に赴く頃には滅んでいることもあった。そういうところにはもう商人も近づかない。大抵は一人で行って、一人で帰ってくることになる」

「そんな……」

「石ころ一つで滅びてしまうのが現状だ。ここみたいな都市はむしろ珍しいんだ。都市の外で病気が蔓延して何ヶ月になる?」

「少なくとも二ヶ月は経っていると思います」


 それを聞いてウォンダーはやや口元を緩めた。重く張り詰めていた空気がふっと柔らかくなる。


「病気が発見されて、まだ都市の中は正常に回っている。病気の脅威にかすりもせずに。それはあんたみたいな竜仕官がきちんと役割を全うしていて、竜に正しく接しているからだろうとわかる」


 その言葉に心が震えた。それは小さな喜びだ。誇りを持ってしていた仕事に、目の前の人がそれでいいといってくれた。深緑の瞳がゆっくりとこちらを見る。


「竜がきちんと扱われて、都市は生きている」


 当たり前に守ってきた平和を、それで正しいのだと言ってくれる。それが嬉しい。


「ありがとうございます」


 その言葉が自然と口をついて出た。


「これ以上状況が悪くならないように、私にできる事はしたいです。その方法を、教えてくれませんか? あなたがみてきたような手遅れの状態になる前に」

「ああ、俺の方こそ協力を頼みたい。あんたの力を貸してくれ」

「はい」


 その返事に躊躇(ためら)いはなかった。


 *


「おやすみなさい」


 先ほどより幾分か顔色がよくなったルイスをみて、ウォンダーは部屋をあとにした。

 ルイス・レイガートは不思議な男だった。真っ直ぐで裏表がなく、正直で誠実。こちらを見る目はいつだって澄んでいた。警戒心がなく、人を信じすぎるところは欠点とも言えるが美徳とも言えた。

 それに加えて、無視できない気配を纏っている。


 あの日、倒れたルイスを見つけた日。視界の隅に入っていたけれど、そのまま通り過ぎるつもりだった。人助けをしている余裕はなかったし、その時間が惜しかったからだ。知らない人間を助けたところで益はない。

 非情と言われようともそれが現実だった。


 しかし、そうはできなかった。

 なぜと聞かれても自分でも説明がうまくできる自信はない。ただ、そのまま見捨てておけないと強く思ったのだ。倒れている彼に感じた親しみは、ウォンダーの感情ではないはずなのに、妙に心に残って通りすぎた足を引き返させた。


「竜仕官か」


 竜と人を繋ぐ人間。深く関わったのはいつ以来だろうか。昔の事過ぎて忘れてしまった。そして、その当時の記憶は思い出すと言い様のない苦さが広がる。旅をするようになって、多くのものを見聞きし、自分で経験するようになると多少は薄れたけれど。

 それから逃れるように流れた先で、たどり着いた場所はなくなってしまった。戻っても進んだ先でもうまくはいかない。


 寝室に入って鍵を閉めると、鞄の底から今日採取した瓶を取り出す。零れないように慎重に蓋を開けてサイドテーブルの上に置くと、鞄からは一つの石を取り出した。

 光沢のない白い石。厚みの少ない平たい石だ。一枚取って水に沈める。

 白かった石は水に沈めて少しするとその色を変えた。白から、薄い紫色へ。


「やはりわかるんだな」


 ウォンダーにはこうするしか見分ける方法はないけれど、変化した石が教えてくれる。この水は確実に呪いを受けた水だと。あの竜仕官は、他人が水に触れる前に気がついて止めた。

 たったそれだけの事が、どれだけ驚きをもたらしたのかルイスはわからないだろう。

 そうして思う。そんな力が自分にもあれば救える命もあっただろうと。

 考えてもせんのないことだ。過去は変わらない。未来は闇の中。指し示される道はない。ただ自分のやるべき事、したいことだけははっきりとわかる。

 呪いの石をあるべき場所に帰すこと。


「扉の場所も調べないとな」


 暗くなった窓の外を眺める。建物に切り取られた夜空から、竜の鳴き声が聞こえた気がした。

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