都市の外
勢い勇んで返事をしたものの、都市の外へ行くのは初めてだ。
第三外周に住んでいても、都市の外は近くて遠い。いつも眺めていたそこに行くとなると特別な想いが湧いてくる。
「そんなに期待する場所ではないぞ」
ウォンダーがそうルイスに釘を刺す。
「生きにくい場所だ。そこにしか生きる場所がないものたちが、身を寄せ合っているだけの場所だ」
「はい」
ルイスは期待の言葉を飲み込んだ。
だが門の前に立つとどきどきした。門の警備員が怪しい者がいないか目を光らせている。荷物の多い個人や、商隊などの団体は出るときには、入場記録と照らし合わせ、運んでいる物品・人数・団体名等の管理を義務づけられているが、個人で外に出るくらいは特に何も言われない。都市外から入るときには身分の提示・短期滞在者は滞在証明の確認をされるくらいだ。
一歩踏み出すと、空気が変わる。乾いた空気に感じる。これは先入観から来る感覚だろうか。よくわからない。水の乏しい大地。赤茶けた景色。開いた外への扉。
ああ、ここが眺め続けた外の土地だ。深く呼吸をして大きくなった心臓の音を宥めた。
たたずむルイスをウォンダーが待っていた。
「すみません。行きます」
「いいよ。初めてなんだろう」
初めてだ。全然知らない土地だ。だけど知らないままよりはいい。中央では知る事のできない景色。
南門から東に壁沿いに進む。何もないと思っていた都市の外には建造されている建物がいくつかあった。何の施設かはわからないが、いずれも警備の人員が目を光らせている。
それを通りすぎると、景色が変わってきた。
足元はやや下り坂。都市の尖塔の高さが段々と高くなると思っていたけれど、それはルイスたちのいる場所が土地が低いからだった。
「ここだ」
「壁外居住区」
外壁にぴったりと寄り添っているはずなのに、絶対に都市内には入ることができない。そびえ立つ壁が北側にあってその近くは大きく影になっている。地面にはむき出しのパイプ。固い地面の足元。第三外周の放置住居みたいなあばら家がいくつも建っている。扉が布一枚垂らしただけなんてところもざらだ。
家の壁にやせた女の人が背中を預けて座り込んでいた。その目の前を兄弟のように思われる子供が走る。家の中からは赤子の泣き声が聞こえた。猫背の男がこちらをちらりとにらみつけて去って行く。
家の隙間からは青年がルイスをみて、隣にいるウォンダーを見定めるとさっと隠れた。
「離れるなよ」
警告するウォンダーに頷く。
通りの脇には向き出しになったパイプが通っていた。いくつもの枝分かれがあって、それは住居群に消えていく。
ウォンダーはその一つにおもむろに近づいた。
「水が通っているのか?」
「おそらくそうだと思います。あちらに蛇口がありますね。周囲の住人があそこから必要な分の水を持っていくのでしょう」
地面を這っているパイプが一部立ち上がり、周辺の地面が濡れている。
「この水はどこから?」
「都市外に水の出るところはありませんから、都市の方からだと思います」
ウォンダーは都市の壁の方を目指す。異質な二人組に人の視線が向けられては離れていく。ここでは知らない人間がやってくるのは当たり前で、去って行くのも当たり前なのかもしれない。
居住区画はそれほど大きくなく、すぐに壁についた。
高い壁がそびえ立つ。人が縦に十人並んでも一番上には届かないだろう。
パイプをたどってついた先は壁に張り付くように作られた何かの設備だった。ルイス二人分ほどの高さがあり、その上部には壁からでた別のパイプと繋がっている。壁から出るパイプはさらに鉄の扉の様なものから伸びていた。扉には短い梯子がかかっているが、その梯子はとても短くて、人がジャンプして届く距離ではない。
「水の濾過装置か」
居住区の人間が生きて行くための水をここから供給しているのだ。
何年もなくなることもなく大きくなる壁外区域。その根幹を支えているものだった。
「何十年も昔に都市を大きくしようとした政府が、こうした都市外への水道を作ったという話を聞いたことがありましたが、その一つでしょう」
こうして細々と機能していたとは思わなかったけれど。しかし、その計画自体は大きくなる都市の管理が難しいことと、水の供給が追いつかなくなるとして立ち消えたと聞いていた。
この水道は第三外周の下を通っていて、第二外周、あるいは第一外周から続いているはずだ。
考え事をしていると、水の音がした。すぐ近くの栓をウォンダーが捻ったのだ。
肌がぞわぞわとした。
何だこれは。振り返るとウォンダーが滴る水を眺めていた。手でそれをすくおうとしている。
それをとっさに止めた。手首をとると、驚いたような目と視線があった。
「あんた、これにもなにか感じるのか?」
「触ったらだめです」
水の音がしなくなった。
低い姿勢になっていたウォンダーが背を伸ばす。強い翡翠色に見下ろされて萎縮した。
「言ってみたらいい」
口を開いて閉じる。この感覚はなんなのか、一番困惑しているのはルイスだった。それを目の前の友でもない、ただ少し言葉を交わしただけの男が受け止めようとしている。信頼ではないけれど、彼はルイスの言葉を待っていた。
「その水は、嫌な感じがします」
水に手を差し出した光景に重なって見えたのは、悪意の手が伸びるような光景だった。実際にそう見えた訳ではないが、そうルイスは感じたのだ。
ウォンダーが濾過装置を見上げ、口を開いた。
「ここの住人。病気になる奴が多いだろう」
「どうしてそれを……」
「そういう現象を引き起こすからだよ、あの石が。人を呪い、病ませる石」
「この場所の病も石が原因だと言うことですか?」
多分、何も知らずにその言葉を聞いていれば、疑っただろう。けれど、自分の感覚を信じるのなら、彼の言葉が間違っていないと認めざるを得ない。ウォンダーは頷いた。
「ここの水をたどればその原因に嫌でも行きあたるだろう。水の出所はどこだ? 都市に病はないのか?」
「今のところ、同じ病気はこの壁外区画だけだと聞いています」
「なら幸運だったな」
「何が」
「都市は生き延びている。呪いを間近に受けながら未だにそれが表面化していないなんて奇跡に近い」
自然と視線が濾過装置から都市内部へと伸びる配管に吸い寄せられる。取り付けられた鉄扉が固くその行方を閉ざしていた。
「あの扉から奥の水路をたどれればいいんですけど」
「あそこは開かないのか?」
「どうでしょう、開いたとしてもあそこには届きませんよ。都市内から探した方が」
「ちょっとやってみる」
「え」
言葉を失っている間に、ウォンダーは壁から距離をとった。そして助走を始める。壁に向かって一直線だ。
だけど届くはずがない。垂直にどれくらい登ればいい。人はそんなに高く跳躍できるほどの筋力を持っていない。
一呼吸しない間に見た光景に、ルイスは目を疑った。
まるで羽で地を打った竜が、飛び立つみたいだった。相棒の竜が去って行くときに見た光景と重なった。空を注視して、体を小さくする。そして重さなどないかのように軽々と浮上するのだ。
トンと軽い音がして、ウォンダーの体は浮き上がった。そのまま一度だけ壁を蹴るともう一度跳躍する。次の拍子には手が短い梯子に届いていた。腕を曲げて体を上に。腕だけで支えられたとは思えないほどの安定感でウォンダーは閉まっている扉に手をかけた。
しばらく確認をしてぱっと手を離す。
着地も驚くほど静かだった。
「固定されている。大きめの足場を作って器具を運ばないと開けるのは難しそうだ。どうした」
「すごい身体能力ですね」
「昔からこういうのは得意だ」
旅人として生計を立てるのには、彼ぐらい自分の能力が高くなければいけないのだろうか。ふと疑問に思ったことを口に出すことはせずに、そうなんですかと無難に返した。
そのあと、ウォンダーが水を持ち帰るといったので、その作業を眺めていた。用意周到に鞄の中に入っていた瓶に水を入れる。きっちり蓋が閉まったことを確認して、再び鞄にしまうと、それを背負い直した。
「持ち帰ってどうするのですか?」
「都市内の水と比較する」
もう帰るというウォンダーについて行く。目的はここの水だったらしい。ルイスの用事はないかと聞かれたけれど、首を振った。都市の外への好奇心でついてきたと言ったら多分彼は呆れるだろう。友人であるリリアナも少し複雑な表情をするかもしれない。楽観視していた心が現実の光景に動けずにいる。
通り過ぎる家からは呻くような声が聞こえた。病気の人がいるのだろうか。
「呪いによる病気は治せるんですか?」
「俺では無理だ」
「そうですか……」
ふらふらと道の端を歩く老人がうずくまる。喉を抑えて苦しそうにあえぐ。
ルイスは近づいて背中を撫でた。
「大丈夫ですか?」
老人は返事をしようと口を動かしたが、そこから声が出ることはなかった。
ウォンダーが片膝をついて水筒を差し出す。都市内から持ち込んだ水だった。老人は震える手で受け取ってそれを飲み干す。大きく息を吐き出して、わずかに頭を下げるとまたふらふらと歩き出した。
手を添えていた背中は皮ばかりで、骨がくっきりとわかるほど痩せていた。何か助けになることができないかと無意識に動いた体を、ウォンダーが止めた。
表情が、自分たちにできることは何もないと語っていた。
差し出せなかった右手を握り込む。喉の奥に空気が入りづらかった。粘ついた唾が張り付く。
水を飲みたいけれどここの水は飲んではいけないものだ。
ルイスは家に帰れば新鮮な水がある。竜と、竜の息吹がもたらす水だ。だけどここの人たちにはこれしかない。
濾過装置を流れる呪いに犯された水。
「戻ろう」
「……はい」
促したウォンダーに、そう返事をするしかなかった。




