何かを知る人
連れてこられたのは大通りから三本は外れた寂れた路地裏だった。周りに人はいない。くるりと振り向いた男の眉間には深い縦皺が刻まれている。翡翠色の瞳は剣呑な色を浮かべていた。
これは一目見ただけで、ほんのちょっと用事があって声をかけたんじゃないとわかる。何かしらの原因と明確な意図があって、この男はルイスをここまで連れてきた。
正確には人のいないところへ。
この男の言葉を信じるのならば、この男は旅人でこの都市に来たばかりで土地勘はないはず。ここまで連れてきたのは単純に人気のない場所へ連れてきたかったということなのだろうか? でもここで、下手にどうしてですかと聞ける雰囲気でもない。
困惑に何もできずにいると、男が口を開いた。そういえば、彼の名前も知らないのだった。
「あの石のこと、なんで知ってる」
「あの石?」
「とぼけるな、あの呪いの石のことだ」
呪いの石?
男のいう石の存在をルイスは知らない。しかし、宝石店での会話を思い起こすと、自然と何の石の事を指しているのか想像がつく。
「呪いの石かはわかりませんが、紫の……」
それを聞いただけですぐに言葉を継いだ。
「それだ。あんたはそれをどうするつもりだ」
「どうって、どうするもなにも、その石がなにかを知りたかったんです」
「知りたいだけか?」
「何が言いたいんでしょう」
「それを手に入れて何をする」
地を這うような声がルイスを追求する。
「何を? 手に入れたいわけではありません。石について知りたいだけです」
「石のことを?」
「そうです。あの石がどういった石なのか。願望を叶える石、幸福をもたらす石だと教えていただきましたがそれだけです。あなたがどうやって聞き耳を立てたのかは知りませんが、それ以上のことは聞いてもいません」
本音を言うならもっと情報が欲しい。ルイスがみたときに感じた嫌な予感を明確に表してくれる石の情報のことだ。目の前の男があの石を呪いの石と言うのならばその情報もできるなら聞きたいところだ。
男はしばし無言になったあと、静かに少しだけ体を離した。
「早とちりした。絡んですまなかった」
そのまま背を向けて、立ち去ろうとする。さらに困惑したのはルイスの方だ。なんだ? 一人だけ納得したような顔をして、謎だけ振りまいてそのまま去ろうとしている。いくら恩人だからと言ってそのままはいそうですかと言えるわけない。
あの夜から胸に巣くっていたいろんな疑問の糸口を、この男が握っている気がした。今、さようならと手放してしまえば、なにもわからないまま場に流されて、どこにもたどり着けないままになってしまう。
「待ってください! あなたは何を知っているんですか? 何かを知っているから、私にこうして接触してきたんですよね! 室内の会話を盗み聞きしてまで!」
「少し耳がいいだけだ」
「偶然聞こえてきた会話に聞こえなかったふりをせず、不自然にこうして詳細を聞こうとしますか?」
「早とちりだと言った。あんたには関係なかった」
「関係なくはありません! あなたがあの石について、少しでも知っているのだったら!」
「呪いの石だと言っただろう。関わらない方が身のためだ」
「それはできません」
「なんだと?」
男は振り向いた。
「関わってしまったことを、なかったことにはできません。私はあれが何なのかを知らなければいけません」
あの夜、何が起きたのか、何が起ころうとしていたのか知るために。
「あれを呪いの石だというあなたに聞きたい。例えばあの石を竜が取り込んだとして――」
「ばかおい! それ以上ここで口に出すな!」
男は焦ってルイスの口を塞ぐ。眉間の皺がぐっと深くなって、静かに長く息を吐いた。誰にも聞かれないように声を落として
「ひとつ確認する。それを実行する気はあるか?」
ルイスは声ではなく、首の動きで否定をしました。ゆっくりと手が離れていく。
「絶対にするつもりはありません」
「……。わかった、着いてこい」
黙々と歩く男を追ってやってきたのはあのボロ屋だった。第三外周にからがらやってきたルイスが介抱されたあの隙間風激しい、扉さえもきちんとついていないあの小屋である。
入れと言われて、扉を持った男に恐縮しながらそこに入る。
改めて見ると、やはり部屋の隅にある蜘蛛の巣はそのままだし、扉だってそのままだし、無事なように見える机と椅子のセットは傾いている。ベッドの細いパイプは数日間男の体重を支えたのだろうか、本当に? やや疑問だ。床で寝袋で寝たと言われた方がまだ説得力がある。
旅人であるから硬い床で寝るのは慣れているだろうし。少なくともルイスよりは。
「なんだ」
観察するようなルイスをみて、扉を元の位置に戻しながら男は言った。
「いや、私宿は紹介しませんでしたっけ?」
流石にもうここにはいないだろうと思ったのだ。場所を移しているだろうと、ここは調べようともしていなかったのだ。恩人は元の場所にとどまっていたなんて。
「個室がないからやめた」
「なんですかその金持ち発言は」
「ここの方が人が来なくていい」
「あまり長居すると都市保安局の巡回に引っかかって捕まりますよ」
「それは困るな」
あまり困っていないような顔でそういうものだから、ルイスは反応に困った。困ったと言った男が困っていなくて、そうでないルイスが困っているとはどういうことだろう。なんて全然関係のないことを思い浮かべた。
「で、何の話だったか?」
「それよりもまず、自己紹介から始めませんか?」
「それもそうだ。俺の名前はウォンダー。ウォンダー・ストーレン。前にも言っただろうが旅人だ。普段は商隊の護衛や、個別の配達なんかで稼いでいる」
「私は、ルイス・レイガート。このタルテアン出身で、中央で竜仕官をしております」
一瞬本当のことを言わないべきかと考えたが、彼には本当のことを話すことにした。なんとなく、その辺の勘は働きそうだし、隠し事は信用を下げる気がした。渋る彼に石のことを教えて欲しいと乞うたのは自分だ。
「竜仕官?」
そうだ、地域によってその呼び名はさまざまなんだった。疑問を浮かべるウォンダーに説明を重ねる。
「他の都市では竜の巫女、竜使い、水の司などと呼ばれている役職の事です」
「ああ」
納得がいったウォンダーが頷く、そして少し嫌そうな顔をした。
「どうかしましたか?」
「いや、個人的に嫌な記憶を思い出しただけだ。気にしなくていい。それで、その竜仕官殿がどう言った経緯でここにいるのかは知らないが、なんのために石のことを知りたがる。言っておくが、まだお前のことを信用したわけではないぞ」
こちらを見るウォンダーの目は真剣だ。ひとつでもおかしなことを言ったら何も教えてもらえないことが理解できた。ルイスの方も覚悟を決めると口を開く。
「私は数日前に、あの石を初めて見ました。その時に私が感じたのは嫌悪の感情でした。この石はよいものではないと思ったのです。自分のその感覚が正しいのか私は確かめたかった。あの石が、本当に悪いものか、それともそうでないのか、知りたいと思ったのです。知って、確かめて……」
確かめて、何をしたいのだろう。
まとまっていない思考から、自分だけが持っている答えを導き出す。純粋な目をして、その宝石に鼻を近づけるカルセドニーの事を思い出した。ルイスが止めなければ、相棒はあの石を取り込んでいたのかもしれない。そうして竜の息吹を生んだのだろうか?
いや、そうは思えなかった。
だけどその予測は予測でしかない。それを裏付けるものが欲しかった。
それを確かめて、できるのならばあの宝石を二度と竜たちの側に近づけないように遠ざけたい。
「嫌悪、か……。そうか、あの石をみて、そう思えるのか」
「……どうかしましたか?」
ウォンダーの言葉に引っかかりを感じてその意を問う。ウォンダーは逡巡して口を開く。
「あんたはあれをみて、そう感じたということだな?」
「はい」
ルイスは頷いた。
ウォンダーは息を吐き出した。
「だったらその感覚は大切にした方がいい」
そう言って椅子に座る。ルイスに向かう姿勢から警戒を少しだけ解いたようだった。
「あんたの感覚は正しい」
「え、本当ですか?」
男は頷く。
「あれは願いを叶える石ではなく、世界を呪う石だからだ」
「世界を呪う」
彼の言葉を反復する。
「あれに呪われたら、小さな都市なんて簡単に滅びるぞ」
真剣さを深く宿した翡翠の瞳に、ルイスは背筋を冷たい手が撫でていくような感覚を覚えた。




