第9話:Fランクからのスタート
俺の名は天野海斗。現在、異世界にいる。冒険者としての生活を始めたばかりだが、それも虚しいだけだ。なにせ俺はFランク冒険者。雑用や下らないクエストくらいしかこなせないのだから。
「これじゃ一生金持ちになんてなれないじゃないか!」
冒険者ギルドで俺の冒険者カードを作ってくれた受付の少女が、俺の顔を見て言った。
「あ、あの、そんなに落ち込まないでください。言っておきますけど、あなたのカードには現在二つのスキルが登録されています。つまり二つのスキルを同時に使えるということで、これはとても珍しいことなんですよ。ただ、それらのスキルを使いこなすにはかなりの努力と時間がかかると思いますけど……」
それを聞いて少し気分を持ち直した俺は、クエストボードへと向かった。そこには無数のクエストが貼られていたが、書かれている文字はどう見ても日本語ではなかった。
(まあ、ここは異世界だしな。言語が違うのも当然か)
試しに一枚の張り紙を読もうとしてみる。
『ジャイアントフロッグの討伐。報酬:1500ニッケル』
驚いたことに、あっさりと読めてしまった。
(なんだ、俺この世界の文字が読めるじゃないか)
俺は掲示板で手頃なクエストを探し始めた。旅の護衛、川でのピンクフィッシュ釣り、ダンジョン探索など、奇妙で様々な依頼が並んでいる。
結局、俺は一番簡単なクエストを選ぶことにした。ボードから紙を一枚剥がし、カウンターにいる女性のもとへ持っていく。彼女は依頼書に目を通すと、口を開いた。
「カイトさん、この依頼でよろしいですか?」
「今すぐ金が必要なんです。それに危険な仕事は避けたいので、これが一番いいかと」
「ムーンリーフ草10本の採取。報酬は40ニッケルですね」彼女は依頼書を読み上げた。「新米冒険者にはとても人気のあるクエストですよ。安全ですし、初心者にはうってつけです」
「40ニッケル……」俺は呟いた。「それだけか?」
安全――それでも、その一言が俺を納得させた。
俺はトラに殺されたことがある。実の妹に殺されたことだってある。二度も死を経験した俺には、もう英雄になりたいなんて野心はこれっぽっちも残っていなかった。ただ今夜の飯にありつけるくらい生き延びられれば、それで十分だった。
俺は依頼書を受け取り、ギルドを後にした。
◆ ◆ ◆
その薬草は、マルカスの街の外にある草原に自生していた。正門から歩いて一時間ほどの場所だ。
ムーンリーフは、まるで自分が狙われているのを分かっているかのように、藪の下や岩の隙間に隠れるように生える銀緑色の小さな植物だった。俺は午後中ずっと、四つん這いになって泥まみれになりながらそれを引っこ抜く羽目になった。
日が西に傾く頃には、俺の腰はまるで錆びついた蝶番のようにギシギシと悲鳴を上げていた。
「十……九……十本!」
俺はその場に座り込み、麻袋に入った葉の山を見つめた。
「それにしても……俺たちが思い描いていた異世界転生ってのは、こんなんじゃなかったはずなんだがな」
その間、背中のリッカはずっと沈黙を守っていた。洞窟を出てから一言も喋っていない。拗ねているのか、それとも眠っているのか。そもそも剣って眠るものなのか?
俺は爪の間に泥を詰め、服に青臭い草の匂いを染みつかせたままマルカスの街へ戻った。
ギルドのカウンターで受付嬢が葉の数を数え、頷いて数枚の硬貨を滑らせてよこした。
40ニッケル。
手のひらに乗せてみる。午後を丸々潰し、腰を壊すほどの激痛と引き換えに手に入れた、40枚の小さなピカピカした硬貨。
「これが一日働いた稼ぎなのか……?」俺は思わず呟いた。
腹がグゥと鳴り、まるで俺の愚痴に加勢しているかのようだった。
40ニッケル。スープとパンで15ニッケル。安宿の一泊が30ニッケル。つまり、どちらか一方しか選べず、残りの金では精々ひどく萎びたリンゴ一個が買える程度だ。
ギルドを出た俺は、大通り沿いにある小さな食堂の前に立ち止まった。扉の隙間から、香ばしく焼けた肉の匂いが漂ってくる。
足がそこから動こうとしなかった。
「一皿だけ……」俺は自分に言い聞かせた。「ほんの小さいのを一皿だけだ。俺はそれくらい働いたんだから」
扉の取っ手に手を伸ばした、その時。
「おい。ちょっと、カイト!」
背中に重みを感じたかと思うと、誰かがそこから飛び降りる気配がした。
振り返る。
淡い青の髪に青い服を着た少女が、腰に手を当て、まるで泥棒を見るような目で俺を睨みつけていた。
「リッカ?!」
「他に誰がいるのよ?! あたしを置いて一人でご飯食べる気だったでしょ!」
俺は彼女をじっと見つめ、もう一度まじまじと見た。そして驚きよりも苛立ちが先に湧き上がってきた。
「このバカガキ! 俺が一日中藪の中を這いずり回ってる間、これっぽっちも手伝わなかったくせに! 飯時になった途端に出てくるたぁいい度胸だな?!」
彼女の頬がぷくっと膨らんだ。
「ガキって誰のことよ?! 手伝えるもんなら手伝ってたわよ! でも魔力が切れてたんだから!」
「エネルギー切れだと?」俺は彼女に詰め寄った。「じゃあなんで今はそんなピンピンしてて、俺に怒鳴り散らす元気があるんだよ?」
リッカはピタリと固まった。
額からタラリと冷や汗が一筋流れる。
「そ、それは……その……治ったからよ! 急に! あんたが歩いて戻ってる間に!」
「治った。急に」
「そうよ!」
「俺が歩いて戻ってる間に」
「そうだってば!!」
「リッカ、お前嘘つくの下手くそすぎるだろ。汗かいてんぞ」
「汗なんかかいてない! 剣が汗なんてかくわけないでしょ!」
「今のお前は剣じゃねえだろ」
彼女は自分の額にパチンと手を当て、耳から顎まで顔を真っ赤にした。
通りがかりの商人が必死に笑いを堪えている中、俺たちは通りの真ん中でしばらく睨み合っていた。
やがて、彼女の唇がわなわなと震え始めた。
「お腹空いたの……」
青い瞳に涙が溢れ出す。
「カイト……洞窟からこっち、何も食べてないんだよ。お腹の中で魔物が暴れてるみたいな音がしてるの。お願いだから……ちょっとだけでいいから、何か食べさせて……」
「店の前で泣くな」
「泣いてない!」大粒の涙が頬を零れ落ちた。
「リッカ」
「お願いぃ……」
彼女は俺の袖を掴み、ぶんぶんと引っ張り始めた。
俺は食堂を見た。手のひらの40ニッケルを見た。そして、人類史上もっとも情けない顔をしている小さな少女を見た。
今週に入って三度目の魂が口から抜け出たんじゃないかと思うほど、深く、重い溜息をついた。
「……分かったよ。一皿だけだぞ」
「本当?! カイト、あんた世界一の相棒よ!」
「相棒になった覚えはねえよ」
だが彼女は、俺の言葉など聞きもせず既に店の中へと飛び込んでいた。
一皿だけのつもりの肉料理は、30ニッケルの一皿となった。さらに5ニッケルのパンが追加された。3ニッケルの飲み物が追加された。そして2ニッケルのリンゴが追加された。
彼女が食べ終えた後、俺は手持ちのコインを数えた。
40ニッケル入ってきて、残ったのはゼロだった。




