第5話:平和に暮らせる世界はないのか?
俺は今、豪華な城の中にいる。
そして、もちろん客人というわけじゃない。俺はこの城の王子なのだ。
この世界での俺の名前は――オスカー・ダークフィリス。
この世界に来てから、まだ半日しか経っていない。だが、そんな短い時間の間に、いろいろなことが起きた。
専属メイドがいて、ルナという可愛らしい妹もいる。
そして何より、この国の王――つまり俺の父親が、俺を次期国王にしようと考えているのだ。
「……これ以上の世界なんて、あるわけないだろ」
日が暮れようとしていた。
だが、俺の頭の中には、何度も繰り返し浮かんでくる疑問があった。
「……結局、俺を殺すのは誰なんだ?」
前の世界では、虎に追いかけられた。
じゃあ、この世界では?
誰が、いつ、俺の命を奪うんだ?
そのとき、ふと思いついた。
「……そうだ。二日間、自分の部屋から一歩も出なければ……死を回避できるんじゃないか?」
なかなかいい考えだ。
俺はそうすることに決めた。
その日の残りの時間は、ずっと自分の部屋で過ごした。
窓辺に座って外の景色を眺めたり、ベッドに横になって考え事をしたり、ただ黙って時間を潰したりした。
そして夜になり、俺は浴室へと向かった。
部屋に備え付けられた浴室は、まるで専用のプールのようだった。
大きな浴槽には、温かいお湯がたっぷりと張られている。
俺はあらかじめメイドに、誰も中に入れないようにと言いつけておいた。
温かいお湯に浸かりながら、俺は長い時間を過ごした。
目を閉じ、これからのことを考える。
「もし……自分の死を回避できたら、この豪華な生活をずっと続けられるんじゃないか?」
そんな考えが浮かんだ瞬間、喜びが胸いっぱいに広がった。
風呂から上がり、服を着替えて、ベッドへと向かう。
今日は何もかもうまくいっている。
そう思っていた。
そのとき――
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
俺はすぐに尋ねた。
「こんな時間に誰だ?」
すると、聞き覚えのある声が返ってきた。
「お兄様、私です……ルナです。入ってもいいですか?」
「ルナ? ああ、入っていいぞ」
ドアが開き、ルナが部屋に入ってきた。
彼女は淡い色の、柔らかそうなナイトウェアを着ていた。
手には枕を抱えている。
その姿は、とても可愛らしかった。
俺はしばらく、何も言わずに彼女を見つめていた。
やがて、不思議に思って尋ねた。
「……どうしたんだ、こんな時間に?」
ルナは少し戸惑っているようだった。
何か言いたいことがあるらしいが、なかなか口に出せない様子だ。
しばらくして、彼女は小さな声で言った。
「お兄様……今日、一緒に寝てもいいですか?」
俺は深く考えずに答えた。
「ああ、いいぞ。別に――」
そこで、俺の言葉が止まった。
「……待て。今、何て言った?」
俺は思わず聞き返した。
「ど、どうしてだ? 何かあったのか?」
ルナは少し目を伏せた。
頬がほんのりと赤くなっている。
そして、小さな声で答えた。
「ただ……お兄様と一緒に寝たいなって思ったんです」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳は完全に停止した。
一瞬、世界そのものが止まったような気がした。
まるで頭に雷が落ちたかのようだった。
耳の中では、彼女の言葉だけが何度も繰り返されていた。
『今日、一緒に寝てもいいですか?』
頭の中に疑問が浮かぶ。
(え……本当に俺と一緒に寝たいってことか?)
ルナはゆっくりとベッドのそばまで歩いてきた。
彼女の手には、まだ枕が抱えられていた。
そして、柔らかな声で言った。
「私、お兄様やメイドさんの邪魔はしませんから。絶対ですよ!」
俺は驚いて彼女を見た。
(……待て。今、メイドのことも言わなかったか?)
(オスカーは、もしかしてメイドと何かしているのか?)
(でも……どうしてこの子がそんなことを知っているんだ? まだこんなに小さいのに……)
ルナはそのとき、とても魅力的に見えた。
ナイトウェアを着て、髪を少し乱し、目を伏せている。
だが、俺に彼女への不適切な考えなどなかった。
何しろ、彼女は俺の妹なのだから。
ただ……可愛らしくて、少し不思議な子だと思っただけだ。
少し迷ったあと、ルナは俺の隣に横になった。
枕を置き、掛け布団を引き寄せる。
そして、何も言わずに寝返りを打ち、そのまま横になった。
俺はしばらく、ただ彼女を眺めていた。
なんて穏やかで、可愛らしい寝顔なんだろう。
彼女の呼吸は、ゆっくりと繰り返されていた。
やがて、俺のまぶたも少しずつ重くなっていった。
そして――
目を覚ましたとき、最初に感じたのは冷たい空気だった。
次に目に入ったのは、あの白い光。
何もない空間。
そして、あの忌々しいオフィス。
女神セレーネの部屋だった。
本当なら、彼女には敬意を払いたいところだ。
だが、彼女は俺を起こすために蹴りを入れてきたのだ。
そんな相手を素直に敬う気にはなれない。
セレーネは俺の目の前の椅子に座り、俺を見ながら大笑いしていた。
あまりにも笑いすぎて、目には涙まで浮かんでいる。
「あなたのその顔……自分がどうやって死んだのか、まったく分かっていないみたいね! このスケベ、カイト!」
俺は苛立ちを隠さず、彼女を睨みつけた。
「スケベって呼ぶな! 俺は何も悪いことなんてしてないだろ!」
セレーネは笑うのをやめた。
そして、ゆっくりと、一音一音を確かめるように尋ねた。
「ル……ナ……。この名前に聞き覚えはある?」
「……俺の妹だ」
彼女は小さくうなずいた。
その顔からは、もう笑みが消えていた。
「その子が、あなたの命を奪ったのよ」
俺は驚いて、彼女を見つめた。
数秒間、何も言葉が出てこなかった。
やっとのことで、声を絞り出した。
「……冗談だろ? あの子がそんなことをするはずない! だって、あの子は……ただの可愛い女の子じゃないか」
セレーネは椅子から立ち上がり、俺のそばまで歩いてきた。
その声には、もう笑いの気配など少しもなかった。
「本気で、自分の部屋に閉じこもっていれば死を回避できると思っていたの?」
彼女は俺を見つめたまま、続けた。
「家族の中にいる誰かが、あなたの命を奪うかもしれない……一度もそう考えなかったの?」
俺は黙り込んだ。
彼女の言葉が、頭の中をぐるぐると回っていた。
(でも……どうしてあの子が?)
(あの子に、そんなことをする理由があるのか?)
(いったい、何のために……?)
セレーネは静かに答えた。
「覚えているでしょう? あなた自身が、ルナに話したじゃない。お父様があなたを次の国王にしようと考えているって」
俺は思わず両手で頭を抱えた。
そして、その場に座り込んだ。
「……何だって? でも……どうしてだ? どうしてあの子が、そんなことを……?」
セレーネは肩をすくめた。
まるで、もうこの話を終わらせたいとでも言うように。
「まあ、もういいじゃない。それより、次の試練に行かなくていいの?」
俺は顔を上げた。
その声には、疲労と失望、そして少しの諦めがにじんでいた。
「……いや」
俺は静かに答えた。
「もう、ここにいたい」
「もう、誰かの人生を生きるのは嫌なんだ。こんなの……もううんざりだよ」
セレーネはしばらく、何も言わずに俺を見つめていた。
そして、落ち着いた声で言った。
「……分かったわ」
「しばらく休んでいなさい。行く気になったら、教えてちょうだい」
俺は再び横になった。
視線は天井に向けられていた。
けれど、頭の中では、ただ一つのことだけが繰り返されていた。
(……もう、自分が何者なのかさえ分からなくなるような世界には行きたくない)
(もう、どこにも行きたくない……)
つづく……




