第76話『思い返してみれば』
蟇目と家守が無事発見され、保護された日。
「「…」」
糸哉たちが体験した恐怖は、思った以上に尾を引いていた。当然スカッシュ部の三人は部活に行く気にもなれない。
「……僕もうこの後は直でタワマン兄さんとこ行こうかなー」
「え、じゃあ俺もついてっていい?」
「俺も」
軽口のようでいてどこか逃げ場を探すような会話――男子三人の流れは、そのまま固まりつつあった。
「……!」
取り残されかけた翠羽は思わず息を呑む。小椿家は共働きの家庭である。平日の昼間に帰っても家には誰もいない。二個下の妹も、今日は友達の家に泊まる予定だった。
――パパとママが帰ってくるまで一人はちょっと……。
言葉にする前から、怖さがじわじわと広がっていく。震える声で敦斗を呼ぼうとしたその時――
「女子を置いて固まるなんてどういうつもり?」
――ぴたり、と空気が止まった。
カレンの鶴の一声で結局五人は場所を移し、そのまま午後も一緒に過ごすことになった。
☆彡
タワーマンション『ザ・タワーイースト』のゲストルームにて。
男子三人は大型テレビに家庭用ゲーム機を繋ぎ、早くもコントローラーを握っていた。一方で女子二人は、ローテーブルに飲み物とお菓子を広げている。
「本当に良かったんですか?こんな立派すぎる部屋……」
翠羽は遠慮がちに視線を巡らせる。
「私も。最初は自宅に招こうかと思っていたけれど……」
カレンは眉を寄せて糸哉を見つめる。シェンの家が無理だと知り、母に連絡して四人を招くつもりだったが――彼はそれを穏やかな笑みで遮った。
「あー大丈夫ですよ。塔野さんから条件付きで許可下りたんで。ゲストルーム行きましょう」
そう言い切った糸哉は管理コンシェルジュの塔野に話をつけ、この部屋を無料で借りてしまったのだ。
――普通はそんなこと有り得ないのに。でも別で支払ってはいない、という点は虚偽ではないみたいだし……熊本君って何者なのかしら。
ガード下で合流した時の糸哉の様子もあって、カレンの中で彼への謎はまたひとつ増えた。
「そ、それにしても凄い豪華なお部屋ですね……」
「そう?ただのゲストルームよ」
「え……」
さらりと返すカレンに、翠羽は言葉を失う。
折り上げ天井、艶のあるフローリング、海外高級ブランドの大型カウチソファー。照明も直付けのシーリングライトではなく、間接照明とデザイナーズのペンダントライトが柔らかく空間を包んでいる。
広さはよくあるリビングと変わらないのに、雰囲気がまるで違う。翠羽はここを友達の部屋ではなく、ホテルの一室だと思うことにした。
――落ち着かない……隣に所作が綺麗な先輩がいると余計に!
先ほど借りたトイレさえ、明らかに最新型だった。独立した手洗いカウンターにタイル貼りの壁面。ほのかに漂う上品な香りが、現実感を少しずつ曖昧にしていく。
「翠羽コントローラー何色がいい?」
「じゃあ黄緑……」
――このゲーム始めて見る……でも面白そう。
翠羽は先程体験した嘘であってほしい出来事が、嘘のような出来事に上書きされていくのを感じた。
「来月ユイガとやる予定の新作3か、既プレイの2どっちがいい?」
「「……2」」
「よし始めよー」
糸哉は敦斗と幸樹の葛藤にふっと笑みを漏らし、『グイットツカメ2』を起動した。
『グイットツカメ2』は、最大五人でプレイ可能な協力型アクションゲームである。プレイヤーは両手に装着されたマジックハンドを操作し、壁や足場、仲間を掴みながらステージのゴールを目指す。
最初のステージは、研究施設を思わせる背景が描かれていた。高低差のある足場と、点在する接続ポイント。プレイヤー同士で連携し、対岸のゴールを目指す構造だ。
スタート地点は、左側の岩壁に張り付くように設けられた小さな足場。その先には、大きく口を開けた谷が広がっており、直接渡ることはできない。
谷の中央には、宙に浮いた楕円形の接続オブジェクトが四つ。表面は滑らかで、マジックハンドでの掴みが可能。プレイヤーはこれらを中継点として、振り子の要領で移動することになる。
左側の長方形の接続オブジェクトは緩やかな傾斜になるよう配置されており、その先――左端に張り出した長方形の接続オブジェクトがゴールとなっている。そこにはチェックフラッグが掲げられていた。
翠羽とカレンは初プレイである。糸哉と敦斗は、二人をサポートしながら進もうとしていたが――
「え……え!?服部君!?」
「あー幸樹!」
――幸樹は躊躇いなく飛び出した。マジックハンドを次々と接続オブジェクトへ伸ばし、勢いを殺さず振り子のように加速していく。
そして一度も勢いを止めることなく、制止の声すら置き去りにして――たった一人でゴールへと到達してしまった。
『グイットツカメ2』は協力プレイを前提とした設計だが、ステージによっては操作とタイミング次第で単独突破も不可能ではない。
――タンドリーのまんまじゃんか全く……。
「えっ!?テディまで!?」
敦斗が声を上げた直後、糸哉は幸樹とほぼ同じ軌道をなぞるように加速した。マジックハンドを正確に繋ぎ替え、勢いを一切殺さず――そのままゴールへの足場に着地する。
「幸樹――」
「?」
軽い口調のまま、糸哉は右手で幸樹の左腕を掴む。
「――やり直し☆」
「は!?」
次の瞬間、体を反転させたことで生じた遠心力により――幸樹は画面の外へ放り出された。
そのまま自分も落下し、スタート地点へ。戻ってきた幸樹を敦斗がすかさず掴む。
「敦斗。そのまま幸樹と手繋いどいて。幸樹。今日は一人ゴール禁止縛りね」
「チッ」
こうして、ようやく協力プレイが始まる――かと思いきや。
「操作方法は概ね把握したわ」
「ん?」
カレンは、二人の動きをなぞるようにマジックハンドを操作する。無駄のない接続に迷いのない加速。初プレイとは思えない動きで――
「ふぇっ!?」
「ゲームスキルも優等生だったのか……」
「先輩すげー!」
「……やるな」
――そのままゴールへ到達した。
「ふーん。両手のマジックハンドのみを操作するという独特性が面白いわ。この意図的な身体の不自由さの設計が、かえってプレイヤーの原始的な生存本能を刺激するのね」
小難しくて判然としないコメントを残したものの、『グイットツカメ』については彼女なりに高く評価していた。
「……ちなみに敦斗君は?」
「俺?」
翠羽に促され、敦斗はゆっくりと右腕を持ち上げる。
「よっ、ほっ……」
「はい(ガシッ)幸樹の好きなタイミングでいいよー」
「俺に命預けるなんて正気か?」
糸哉と幸樹が上側の楕円形オブジェクトでわちゃわちゃしている一方、敦斗は右手、左手と交互に繋ぎ替えながら進む。跳ぶ前には一度静止し、振り子で確実に勢いを乗せる――堅実で慎重な動きだった。
「はい行けた!」
「敦斗君凄い!上手いね!」
――普通に上手い……十分凄いけど、他みたいに超人レベルじゃなくてよかった……。
彼も既プレイだったため、一度もミスすることなくゴールへ辿り着いた。その安定したマジックハンド捌きに、翠羽はようやく普通の拍手を送れたと安堵する。
「拍手してる場合じゃないだろ」
「小椿さんがぼっちになっちゃった……」
「あっ」
気づけば――未だスタート地点にいるのは翠羽だけとなった。
糸哉は幸樹の手を掴み、二人分の振り子で大きく跳躍して――既にゴール側へ渡っている。
「わわ……えっとえっと……」
――まずは右手を上げて……。
取り残された翠羽は慌ててコントローラーを握り直す。まず右手で足場の縁を掴み、そのままぶら下がって体を揺らした。
「そうそう。そのまま振り子で飛んで」
「うん……!あ」
跳ぶところまではいい。だが――距離が全く足りず、そのまま谷底へ落下してしまった。
「…」
無言で二度目の挑戦。今度は大きく飛べたが――
「あれっえっえっ何で掴めないのーー!」
――先にあるオブジェクトをマジックハンドで掴めず、再び落下してしまった。
「おい彼氏!早く迎えに行け!」
「ごめーん!」
――かわいっ。一生見てられるな。
そんな本音を顔のにやけを押し殺し、敦斗はスタート地点へと戻る。そして絶望して固まる翠羽の手をしっかりと握った。
「俺がせーのって言ったら手離すよ!」
「うん!私は左手で掴めばいいんだよね!?」
そして二人はまるで恋人のように呼吸を合わせ、無事ゴールへと到達した。
その後も五人は――
「もし貴方の所為で私があのスパイクに刺さったら……」
「先輩。その激辛スナックで僕をどうするつもりですか。恐怖のあまり手を離しそうです」
「服部君すぐ見限らないで!協力モードで一人プレイ上手くなってどうするの!?」
「あははは!翠羽の遠慮が無くなってる!」
「何笑ってんだオラッ!」
「ギャーー!」
――午前中に体験した怪奇現象を忘れるくらい盛り上がったのであった。
敦斗「これどう行くんだっけ」
幸樹「垂直に飛んで――」
カレン「(ガシッ)」
糸哉「(毎回スタートして真っ先に自分の手を握るカレンを見て)……」
翠羽「(3ステージ前からそれに気づいて、カレンが糸哉だけに行っていることを確認して)……!?」




