第42話『そこは子供が主役の世界』
六月の昼空は、晴れる兆しのないまま重く曇っていた。校庭の向こうの木々は湿った風に揺れ、どこか色を失ったようにくすんで見える。
「――提出物は特に無いって。先生も来ないから、多少の私語には目を瞑るけど……」
「先生や一組に怒られない程度でお願いします。学級委員からは以上です」
三年生が修学旅行に出ている影響で、五時間目は急きょ自習になった。生徒だけの教室に響くのは筆記音と、忍ぶような話し声だけ。自習という名の自由時間のはずなのに、誰も派手に騒がないのは――
「zzz……」
――クラスの三分の一が机に伏して眠っていたからだった。
「テディ寝ないんだ」
「給食食べた後すぐ寝たら太っちゃうから」
「まーた女子みたいなこと言ってる……」
敦斗は前の席の背中に向かって、呆れたように小さく笑った。その様子を斜め左前の席から盗み見ていた翠羽は、こっそり後ろの席に座る幸樹に視線を送る。
「…」
――服部君も寝てない……。私は寝てもいいかなぁ……。
彼は我関せずといった様子で、黙々と数学の課題に向かっていた。
糸哉、敦斗、幸樹、翠羽の四人は、席替えで同じ班に固まるという奇跡に見舞われる。偶然机が近くなったとはいえ、その並びは――
「ミラクル使うの早すぎだろ」
「仕組んだのかって詰められるじゃん」
「そんなに寂しかったの……?」
「あれ。俺また何かやっちゃいました?」
――敦斗の業運を知る面々にとって、単なる偶然で片づける気にはなれなかった。
「6月ってさ、何もないよな」
「……幸樹聞かれてるよ」
「は?六月?」
「祝日とかないし雨降ってばっかだよねって」
「あぁ……」
三人は真面目な顔のまま、ほとんど口を動かさずに喋る。それでも、耳の良い彼等には余裕で届く程度の声量だった。
「だからこそ、遊ぶなら今だと思うんだよ俺は」
「昨日もサトナしただろ」
「外に出て、遊ぶなら」
「レゾクラもサトナも外なのに。どっちも空綺麗だよー?」
「屁理屈いいから」
「…」
――私が昼休みにあの話したからかな……?
翠羽は三人の会話を盗み聞きしつつ、肩を揺らさぬよう笑いを抑えた。
「夏は俺とテディがぐったりするし」
「だね」
「夏休みに入ると幸樹は店の手伝いで忙しくなるし」
「だな」
「じゃあ今でしょ。暑くなくて天気気にしなくてよくて、動植物に興味無し野郎でも楽しめて俺らが普段行けないような場所で遊ぶのは」
「いや僕は好きだよ?ワカサギ釣りとか。やったことないけど」
「今六月だぞ。で、つまり何。どっか旅行行きたいって話?」
「泊まりとまで言わないけど、いい場所あるよって話」
敦斗は秘密めいた空気を抱えたまま声を潜める。
「……どこだと思う?」
「うーん。普段行けないようなとこってのがミソなんでしょ?無難に遊園地とか?屋内型の」
「ブブー」
「……VRゲームできるアミューズメント施設」
「あー遠くなった。でも次はそこ行こ」
「勝手に決まった」
「じゃあグルメとか?何かのゲームのコラボカフェが始まるとか」
「俺らの共通点ゲームしかないマジ?」
「ぷふっ……」
その笑い声はごく小さかったにもかかわらず、翠羽は一瞬で複数の視線を集めてしまった。
「ぁっ、え、えーと……」
「小椿さんもう言っちゃってよ」
「た、多分……敦斗君は二人と『リトルワークス』に行きたいんじゃない?」
翠羽は周囲をちらりと見てから、短くささやいた。
『リトルワークス』とは、幼稚園生から中学生までの子供たちがさまざまな職業を疑似体験できる参加型テーマパークである。
園内には現実の街を模した施設が並び、警察官や医師、パティシエ、介護福祉士などの仕事を体験することができる。
施設内では独自通貨『リドル』を使用。仕事をすると報酬がもらえ、買い物や各種サービス体験に利用できる仕組みとなっている。リアルに再現された街並みと本格的なユニフォームが、子供たちの『なりきり体験』をさらに充実させるのだ。
「遊びながら学び、挑戦しながら成長する――『リトルワークス』は、未来を担う子供たちの『やってみたい!』を応援する場所です」
「多彩な職業ブースを通して、働くことの楽しさや責任、チームワークの大切さを学びます……」
「専用の通貨『リドル』か……経済の流れも自然に体感できるのいいね」
三人はこっそりとスマホで調べた内容に目を通す。先刻の昼休み。敦斗は翠羽の口から、妹の誕生日には毎年家族でそこに行くという話を聞き、彼の関心を強く引き付けたのだった。
「ハンバーガーショップのスタッフになったら自分が作ったハンバーガーを食べられるし、ビル管理士になったらハーネスを着用して高所作業を体験できるの」
「小椿さんビルの点検したんだ」
「ちゃんとヘルメットも被ってね。証明書ももらったよ」
「……病院だけでも医師と眼科医と耳鼻咽喉科医と看護師と薬剤師と救急救命士があんのか」
「あと裁判所に行ったら裁判長、裁判官、検事、弁護士になれんだって」
「「…」」
――普通にちょっと楽しそう。
特定の分野以外にはあまり関心を示さない糸哉と幸樹でさえ『リトルワークス』に対しては敦斗と同じく強い興味を抱いた。
「ふふっ。熊本君は気になるとこあった?」
「やっぱここはパン屋、食肉加工ラボ、ケチャップ研究所で……」
「ハンバーガー分解すんな」
――危ね……ホットドックって言いそうになった。
危うくこれプロを連想させる言葉が口をつきそうになり、幸樹はとっさに糸哉を睨む。
「幸樹も食べ物系でしょ?」
「クソが。こっちは毎日体験してんだよ。普通に消防士か警察官か化学研究所あたり選ぶわ」
「王道……」
「幸樹がそこにいると危険臭する」
「何でだよ」
――ちょっと分かるかも……。
命懸けで人を救う幸樹の姿は想像しがたく――危機にある人間を観察する幸樹の方が、翠羽には現実的に思えた。
「敦斗君はどこって言ってたっけ」
「俺は……パイロットや外科医や検察官かな。あとホテリエ?」
「いいよ俳優ぶんなくて」
「どーせ寿司職人とか冷凍食品ラボだろ」
「食い意地、じゃなくて成長期だねぇー」
「オブラート包み忘れんのやめて」
こうして三人は予定をすり合わせ、糸哉の同居人であるライアンの送迎で『リトルワークス』へ行くことが決まった。
「テディはどこ行きたい?」
「皆に合わせるよ。でもあえて選ぶなら……外科医と車掌さんとネットワークエンジニアかなー?」
「シェンとメトロとシェンじゃん」
「同じ人二回出て来たぞ」
「セールスドライバーもいいなー」
「なにそれ。営業する運転手?」
「間違っちゃいねぇけど……」
「車の営業?」
「それカーディーラー」
「あ、それもちゃんとあるみたい」
前日の夜。楽しみで眠れない敦斗と編集作業を続ける糸哉につられ、幸樹もまた珍しく起きていた。
「教師がないの不思議だね」
「俺らにとって身近だから?」
「単純にスポンサーがいないからだろ」
「ホストもないね」
「ホントに?スポンサー付きそうなのに」
「三歳から十五歳までが主役の世界にそんな職業あってたまるか」
これプロメンバーが夜通し雑談している頃、幸樹の弟である蓮夢は――
「すぅ……すぅ……」
――両親と同じ部屋で静かに寝息を立てていた。
☆彡
翌朝。ライアンの車が動き出すと同時に、同乗していたメンバーのうち二人は力尽きたように眠り込んだ。
――やっぱりこうなったか……。
「こっ君も全然寝ていいよ」
「はい」
後部座席の幸樹は、隣に並ぶ糸哉と敦斗に呆れた眼差しを送る。バックミラー越しに気づいたライアンも、つられて苦笑した。
「懐かしー。『リトルワークス』って俺が小六の頃にできてさ。二回くらい親に連れてってもらったんだよ」
「へぇー!今とどっか変わった?」
幸樹が口を開く前に、助手席の蓮夢が返答する。長男が『リトルワークス』に行くと決まってすぐ、それを聞いた次男は自分も行きたいと駄々をこねた。
自営業という事情もあって休日に構ってやれない負い目もあり、両親は長男が露骨に嫌そうなのを承知のうえで、結局止めきれなかったのだ。
「――今日シェンいないの?」
『おるけど』
「え?どこ?」
「あのスマートウオッチからか……?」
『タンドリー正解』
「ぇっ嘘……いたーー!?」
「あっはっは!はす君おもろ」
センターコンソールに置かれたスマートウォッチからシェンの声が流れる。ライアンは蓮夢に向かって、今日一日はそれとイヤリング型のワイヤレスイヤホンを装着するよう指示した。
「迷子防止と、軽い話し相手ってところかな」
『よぉ次男。俺が見とるからってはっちゃけすぎんなよ』
「エグ!スパイみてー!カッコいー!」
「……逆効果じゃねーの?」
幸樹は前の席三人の会話に参加せず、窓にもたれかかってそっと目を閉じた。
シェン『こっ君?』
ライアン「タンドリーはコックだったよね?それと本名でこっ君……ってね!」
服部兄弟「「しょーもね……」」
ライアン「この後のカーブ60キロノーブレーキで曲がったろか?」
シェン『やめろやめろ。ガキにその脅しは効かんて』




