第34話『お礼や心配は態度で示して』
時は少し戻って大型連休前。糸哉はタワーマンション『ザ・タワーイースト』のエントランスでカレンと落ち合った。
「先輩のお陰で良い宿泊研修になりました。ありがとうございます」
「結構よ。感謝の言葉なんて……不十分だと思わない?と、ところでそろそろPWだけれど……」
「はい」
カレンが腕を組んで胸を強調し、流し目を送ると――糸哉はその意図に気づくこともなく、相槌を打って彼女の言葉の続きを待った。
「…」
「……っ」
――部活もないんだからどうせ兄の家に行くくらいしか予定ないでしょ?貴方がどうしてもって言うならカフェか映画くらいなら付き合ってあげてもいいけどって言ってるのに!あと今の私を見ていながらどうしてそんなに落ち着いていられるのよ!
慣れない色仕掛けの反動か、カレンの中ではまだ何も言っていないはずの言葉まで既に発した扱いになっていた。
誘われる前提で心を動かしていると思われるのは、カレンの矜持が許さない。たとえ気まぐれや社交辞令の延長であっても、それを自分から口にするなど論外だった。
「不十分……なら先輩。連絡先交換で手を打ってくれませんか」
「え?」
「外でも学校でも、呼んでくれたら可能な限り駆け付けます。パシリも僕でよければ喜んで」
「…」
糸哉があざとく微笑むと、カレンはふくれっ面のままスマホを取り出す。糸哉の言葉通り、彼女が使い走りとして彼を呼ぶかどうかは――まだ誰にも分からなかった。
☆彡
PW明け。翠羽は万全の準備を整え、クラスメイトからの問いを待ち構えていた。
――偽装カップルのアリバイは完璧……!って熊本君のお墨付きももらったから大丈夫!
連休前に相談した末、二人は敦斗の両親の車で水族館に行った。館内で親と別れた後、手を繋いで順路に沿いながら水槽を見て回る。帰り際に立ち寄ったショップでは、記念にと互いのステッカーを選び合った。
――ストラップでも良かったけど、盗まれる可能性もなくはないから……そんなこと考えるだけで悲しいけど。
翠羽は彼に温和で大食いなジンベイザメを、敦斗は緑のイメージと長生きして欲しい願いを込めてウミガメを贈った。記念に互いのステッカーを選び合ったのも、恋人同士であることを示すためには重要だと考えたからだ。学校で使う物に身に付ければ、そのアピールはより強固になる。
翠羽はそれをスマホケースに挟み、敦斗はクリアファイルに貼って、ささやかな思い出として残した。
――写真もちゃんと撮ったし。SNSにはあげてないけど……見たいって言ってきた人にこっそり見せよう。
初デートはカラオケで半日歌いまくってしまったため、二回目である今回は文句なしの仕上がりに――
「え!?結局キスしなかったの!?」
――と思っていたのは当人と、達観している男友達だけだった。
「キ、キス……」
「顔あっか。その顔で初心なの!?」
「ま、いいんじゃない?あたしが彼氏の立場だったら我慢できないけど」
「犬飼君優しいー。小椿さんに合わせてあげてるんだ」
「……!」
翠羽は口元に手を当てて頬の熱を誤魔化す。彼女の中で敦斗はあくまで偽の彼氏であり、居心地の悪さは感じないものの――実態は単なるクラスメイトだった。
恋人繋ぎをする度に意識してしまうが、それにも少しずつ慣れてきた頃である。そんな恋愛への意識も経験も乏しい翠羽に対して、糸哉の席にいた敦斗は――
「やっぱごちゃごちゃ言われる前にさっさとスればよかった……」
「スだけカタカナにするのやめてね?」
――謎のプレッシャーを感じていた。
糸哉の席は翠羽の席からそれなりに離れていながらも、二人は女子たちの会話を断片的に聞き取っていた。そして、それは敦斗以上に耳の利く糸哉も同じである。
「とゆーか連休明けの朝から皆元気だねぇ……」
糸哉は欠伸を噛み殺しながら、こっそりとスマホに視線を落とす。トークアプリには一件の通知――カレンからだった
『Call me when you come to the apartment.』
――何で英語?勉強の一環を建前にしたつもりなのかな。
「テディ何見てんの」
「勉強。敦斗コレ和訳できる?」
「あ……あなたがアパート来たら私を呼んで?」
「うーーん。まぁいっか」
「正解は?」
「マンション来る時あったら連絡して。かな」
「親?いや兄?」
「神の兄さんー」
糸哉はしれっと嘘を吐き、同じく英語で『tomorrow club activity rest go』と送信。すると間を置かずに返信が来た。
――え?先輩まさか学校内でスマホ見てんの?
『貴方その英文法で中間テスト大丈夫なの?』
英語の縛りも忘れて向けられた率直な心配に、糸哉は内心で苦笑する。
――僕の返信そんなアホだった?確かに省エネ文法だったけど。
「次のデート……いや帰り道か……?」
「バッ……それはちょっと」
「へー。ま、向こうもただ恥ずかしがってるか意識の外っぽいし。敦斗なら空気読んでスマートに出来るでしょ」
糸哉はカレンに熊のキャラクターが逃げているスタンプを送り、敦斗には適当な言い訳をしてその場を離れさせた。
☆彡
スカッシュコートは、相変わらずボールの乾いた音で満ちていた。
糸哉は幸樹と三十本ラリーを続けながら、無意識に周囲を見る。隣でラリーをしている左沢兄弟の動きは同学年ながら、少なくとも目立って悪いものではない。
――速くもないけど。
ボールへの入りが一拍遅れ、体勢を立て直すために余計なステップを踏んでいるのが目についてしまう。
入部して早一ヶ月。一年はまだ基礎練習ばかりで、派手なことは何もしていない。にもかかわらず、糸哉と幸樹のペアは五回目の挑戦で三十本ラリーを成功させた。
「次五十本いってみるか」
「ごめん刻んで……ぉ、お茶ウエェ……」
「バテすぎだろ。水筒求めるゾンビみてーになってんぞ」
白い壁は平等に跳ね返す。経験も学年も関係なく、打った分だけ正直に返ってくる。だからこそ、二人は薄々分かっていた。
――俺(僕)スカッシュ上手くね……?
そしてこの点については男子の部長、副部長とカレンの間でも一致していた。
「熊本は初速が速くて(糸目なのに)視野が広いな。体力がない分、無駄に踏み込まないステップを自分で作っているからポジショニングが崩れにくい。他に左利きがいなかったから、正直どう教えるか迷ったが……熊本は自分なりに工夫して補ってるみたいだ」
「服部は体力あるし、特にショットとバックの上達が早いから左利きの熊本と相性〇。まだボールコントロールにムラがあるけど、熊本と同じくらい展開を読む頭もある。成長したコイツを崩すのはちょっとダルいかもしれん」
――タイプは真逆だけど、並べるとバランスがいいみたいね。それに二人共、動体視力と反射神経が頭一つ抜けている……。この二人はちゃんと使い方を考えれば、先輩相手でも勝負になりそうだわ。
「ふーー。やっぱ部員が一年から三年までいるとコートの数が足りないね」
「テディ何で部活入った?」
「え?」
裏で高く評価されているとも知らず――幸樹は真剣な面持ちで、消耗しきった糸哉に問いかけた。
「今日も帰ったら(動画編集)するんだろ?詰め込み過ぎ。絶対いつか倒れる……」
――俺が強引に引き込んだから……?
あの時の笑い方は、本心ではなく自分に対する気遣いだったのかもしれない。幸樹の胸の奥がずしりと重くなった。
「なーんか思考が変な方向に飛んでるっぽいけど、優先順位が違うよ。文武両道が一番に決まってるじゃん」
――ホットにも同じ心配されたな……幸樹も意外と人のこと見てるんだ。
「それに明日からテスト期間で部活ないし。まぁ無理なく生きるよ」
「……隠すなよ」
糸哉のへらりとした笑いに、幸樹はどこか引っかかるものを抱えたまま溜息を吐いた。
「あっ。そうだタンドリー!僕のことが心配って言うんなら……」
「前言撤回していいか?」
「早いよ!」
部活終わり。着替えを済ませた糸哉の表情が急に晴れたのを見て、幸樹は嫌な予感しかしなかった。直前までの心配は即座にゴミ箱行きである。
「お疲れ」
「ねぇ敦斗。実は幸樹と一緒にやって欲しいことがあって……」
糸哉は合流した敦斗に一連の経緯を説明し、人の良い彼を味方に付けることにした。
「安請け合いしやがって……」
「だって――この前どっかのコメントにあったんですよ。『タンドリーもテディのスカウトなら、ホットとタンドリーはまだ知り合って間もないんかな?』って」
「あー」
――コイツ早々に撮影モード入りやがった!あと架空のコメント生み出して未来用の導入すんな!俺まだ活動始まってねぇ!
それぞれの自室にて。幸樹は十二条に及ぶ『ガイドライン』の皮を被ったミニゲームをクリアした後、超高難易度アクションの攻略を要求されるゲームのタイトル画面を開いていた。その画面を、敦斗はスカイコードの画面共有で同時に視聴している。
「てことで今回は初のテディ抜き実況!『ガイドラインに同意してください』のミニゲーム百種類全て紹介するぞー!」
「じゃ、アクションパートになったら呼んで」
「待って!?タンドリーは操作担当。俺は実況担当でレッツゴゥ!」
「韻を踏むな。じゃあ……普通に全項目の同意からだな」
「お願いします」
こうして二人はミニゲームの紹介と攻略、アクションパートの攻略を含めて合計4時間の撮影をやり切ったのだった。
糸哉「ホットは部活どう?」
敦斗「先輩たちが俺と海老名君に優しすぎてどの程度の実力なのかあんま分かってない。海老名君は絶対上手いけど……」
幸樹「貴重な頭数を逃がさないのに必死か」




