第212話『カタカタカタ……ッターン!前編』
情報の授業。満士はコンピューター室の席に着き、指定されたソフトを起動していた。
その隣で、同じく中学校向けのタイピング練習ソフトを開いていた女子生徒がチラッと彼の手元を盗み見る。
――他の子は未だに針北君のこと怖がってるけど……。
『カタ……カタ……』
画面とキーボードに交互に目をやりながら、満士はぎこちなくキーを押していく。その様子を見た彼女は緩みかけた口元をきゅっと結び、急いで自分の画面に向き直った。
――人差し指二本でキーボード打ってるとこ見たら怖いより可愛いが勝つって!見た目とのギャップエグすぎ!
彼女は授業で教わったホームポジションを意識し、慣れた手つきでキーを入力していく。その間ずっと笑いの衝動と闘っていた。
――結局、三年間でキーボードの打ち方変わんない、か……まぁヤンキーってパソコン使えなくてもそんなに困らなそう。
ちなみに彼女は、タイピング速度にはちょっとした自信がある。腕前に自信があるぶん、未だ人差し指二本で奮闘する満士を見るたび葛藤を抱えてしまった。
――そのままでも面白いし可愛いけど『もっと早く打てるコツ教えようか?』って言ってみたい……。けど授業の席でも隣なのに針北君と全然話したことないしな……。やっぱ黒髪になっても圧エグいから話しかけるの物凄い勇気いる!向こうから聞いてきたら全然答えるのになー。
「…」
彼女がどんな思いでいるかなど露知らず、満士は険しい顔で画面を睨んでいた。
☆彡
その日の夜。満士もといナキは『ロクラメン』のノックス、ろきはん、におんの三人と、プライベートで対戦型格闘ゲーム『メテオブラザーズ』をプレイしていた。
「何パワー溜めてんだコラッ!」
「ヤバーーイ!」
「ぎゃーーっ!」
「ちょっと待って死ぬっ!」
ナキはハンデとして縛りを追加してもなお三人を圧倒し、一対三という圧倒的不利な状況すら互角以上に渡り合ってみせる。
「イヤーーッ!」
二時間ほど白熱した対戦を繰り広げた末、強者に揉まれ続けたノックスがとうとう悲鳴を上げた。
「何かないん!?ナキがこれなら負けそうってヤツ!」
「……あー。それで言うなら俺タイピング遅いっす」
「タイピングだぁ!?」
「よしアレやろうぜ!」
待ってましたとばかりに食いついたロクラメンの三人は、意気揚々とタイピングゲーム『ディナー打』の存在を教えた。
『ディナー打』とは――夕食をモチーフにした無料のタイピング練習ゲームだ。
プレイヤーは画面に表示された料理が冷めてしまう前に指定された文字を入力し、制限時間内にどれだけ多くの夕食を食べられるかを競う。
初級コースの『離乳食』から超上級コースの『フルコース』まで、入力する文字数に応じた難易度が用意されている。
簡単な操作説明を受けた四人は、さっそく対戦モードで中級コースの『定食』に挑戦することになったのだが――
「ええぇ!?どうしたナキ!?あり得んくらい遅ない!?」
「ミツバチの体全部使ってキー押してる!?」
「俺を吹っ飛ばしたときのキレはどこ行った!」
「だから無理って言ったじゃないすか!」
――ロクラメンの三人は、メテブラでボコボコにされた雪辱を見事に果たしたのだった。
☆彡
週末。撮影を終えたこれプロの面々は、ナキから先日の一件を聞いていた。
「――ふむふむ成程。散々笑われた挙げ句、同情までされて恥ずかしくなったと」
「におんさんの『いいよナキはそのままで。ツンツン打ちの方がおもろいから』って励ましが一番効いたぜ……」
「感じちゃったかぁ……劣等感」
「お前らはどうなんだよ」
「俺も指二本で打ってるよ」
「ホット……っぱそうだよなァ!」
「嘘だろ……」
「ヤバ」
指二本仲間であるホットとナキが肩を組んで結託する一方、両手を使ってタイピングできるタンドリーとユイガは揃ってドン引きしていた。
「まぁタイピングは慣れに比例するからねぇ」
「僕たちまだ中学生だし……まだ二本指で打つのが普通だと思います」
「でも折角なら全員の実力を見てみたいな!まずホットとナキで初級コースの『離乳食』やってよ!」
「誰が赤ん坊だコラァ!」
「流石にそれくらいは余裕だって!」
初級コース『離乳食』の制限時間四十五秒。『おかゆ』や『とうふ』など、三文字から八文字程度の短い料理名や食事にまつわる単語が出題される。
ホットとナキは、さっそく二人対戦モードでテーブルについた。
「さぁさぁやってまいりました!離乳食コースはタイピング初心者向けの入門編となっておりますが……どうですか解説のタンドリーさんユイガさんルゥーアさん」
テディは勝手に三人を解説役に任命し、実況者さながらの口調で話を振る。
「…」
「遅っっそ。ガチ乳児なんだけど」
「ホットさん!『ひき肉』の『ひ』は『fi』じゃなくて『hi』です!」
「サンキュー!あとタンドリー絶句やめて!」
「ロクラメンとやったときよりは手応え感じるぜ……!」
実況席からの容赦ないツッコミを受けながら、二人はポチポチとキーボードを叩き続けた。
「……えー結果はホットが七さじで、ナキが五さじと……二人のタイピング力は生後半年ってレベルかな」
「酷ぇ……。情報の授業で何学んだんだ?」
「キーボード見ながらやってるんでしょ?なのにタイプミスするの意味分かんないんだけど」
「今までパソコンに触れる機会が少なかったらしょうがないですよ」
「「ぐっ……」」
タイピングの正しい指使いは意識して習うか、専用の練習を積まない限り中々身につかないものだ。
二人の場合、そもそもキーボードのどこに何の文字があるのかを確認するところから始まっている。画面と手元を交互に見ているうちに入力が遅れ、焦れば焦るほどミスが増えるという悪循環に陥っていた。
「だってスマホの方が早く打てるし……」
「あーもう伸びしろしかねぇわ!」
四人から好き放題に言われ、ホットとナキは拗ねて開き直ることしかできなかった。
そんな二人をよそに、テディが仕切り直す。
「じゃあ僕らはどうなんだって言われる前にやろうか」
テディ、タンドリー、ユイガ、ルゥーアの四人は中級コース『定食』を選択する。
こちらは制限時間六十秒。八文字から十五文字程度の料理名が出題され、料理が冷めて消えてしまう前に入力を済ませる必要がある。
「四人対戦モードで……いただきまスタート!」
『『カタカタカタカタ……!』』
開始と同時に、四人のマイクから一斉に小気味よいタイピング音が響き始めた。
「……!?」
画面共有でテディの視点を見ていたホットとナキは目を疑う。
『しょうが焼き定食』に『ハンバーグステーキ サラダセット』など『離乳食』とは比べ物にならない長さの料理名が次々と入力されていく。
どの料理も冷めるどころか、出来たてに近い状態であっという間に平らげられていた。
「テディ食べるの早っ!?」
「ちゃんと噛めよ!」
「あはは。タイピング早い方が編集の時間も削れるからねー」
――それにタッチタイピングは、シェンに動画編集のイロハを教わる前に叩き込まれたんだ……!
タッチタイピングとは――キーボードの文字盤を見ずに、画面や原稿だけを見ながら文字を入力する技術のこと。ブラインドタッチとも呼ばれる。
テディはシェンから動画編集を教わるよりも前に、最低限のタイピングスキルをスパルタ特訓でみっちり仕込まれていた。そのお陰で現在ではかなり素早く、かつ正確に文字を入力できる。
「デザートに『ブルーベリーヨーグルト』まで食べちゃうよー」
「の、伸ばし棒ってどこ押せば打てるの?」
「濁点多すぎんだろ……」
「そっか二人まだそこからかぁ」
――他の三人がどれくらいやれるかは知らないけど……これは一位獲っちゃうかな……!?
勝利をほぼ確信したテディは最後の一皿を打ち終えると、期待に胸を膨らませながら画面を見つめた。
「これどうだ……!?」
「どうなる!?」
「えーと……タンドリー二十皿、ルゥーア二十四皿、僕が二十七皿で……!?」
自分が一位という期待を抱きながらユイガの成績を確認したテディは、その頭上に表示された数字を見て言葉を失った。
「俺二十九皿だけど?はい勝ちー!」
「に、二十九……!?」
「コイツ凄ぇ食ってやがる!偏食のクセによぉ!」
今回の勝負は、僅か二皿の差でユイガが勝利した。
「えっ悔しい……勝ちを確信してただけにショック……!」
「俺のチームバトルゲームでのレスバ歴、舐めないでほしいんだけど?」
「上達の理由ダークすぎるだろ」
「やっぱりハードウェア系の勝負はユイガさんが一番ですね……!」
こうして現在のタイピング力は、ユイガ<テディ<ルゥーア<タンドリー<ホット<ナキの順で決定した。
――俺が最下位……せめて両手で打てるようになりてぇ。
改めて突きつけられた現実に、ナキはモニターを見つめながら腕を組んだ。
「仕方ねぇ。メトロにでも教え乞うか……」
「は?」
「あ?」
その一言を聞いた瞬間、ユイガが鋭く反応した。




