第210話『中学校生活も楽じゃない!!部活編』
遥は、美術部に所属する唯一の男子部員だった。姉の存在もあって女子に気後れすることはなく、波風の立たない部活動の時間を過ごしていた――
「「ギャハハハハハハ!」」
――新入生が入ってくるまでは。
部屋の隅で黙々と筆を動かしていた遥は、突如響き渡った大きな笑い声にぴくりと肩を震わせた。すぐに気を取り直し、無理にでも制作へと意識を向け直す。
――困ったなぁ……。
約二週間前から、美術室は一年生のヤンキーグループに占領されていた。
彼等は男女混合の六人組で、放課後は教室でスマホをいじったり、お菓子を食べたりして過ごしていた。そこを教師に見咎められて注意され、その都度身を寄せられる場所を探していたとのことだ。
そうして白羽の矢が立ったのが、校内でも比較的近くにあり、簡単に占拠できそうな美術室だった。
他の空き教室は部活動に使用されていたり、上級生のグループが陣取っていたりと、彼らにとって都合のいい場所は残されていなかったのである。
――それで割を食ったのは僕たち美術部員……はぁ……。
遥以外の部員は屋外でのスケッチを余儀なくされ、準備室や空き教室へ避難していた。
――肝心の顧問は解決してくれそうにないし……。
厄介なのは、顧問である美術教師が彼等の担任でもあることだ。定年を翌年に控えた彼女は面倒事を避けたいのか、生徒たちの問題行動をはっきり咎めようとしない。
美術部の活動環境が損なわれているにもかかわらず、改善する気配は一向になかった。
――僕たちだって、この状況をただ黙って受け入れてるわけじゃないんだけど。
遥のクラスメイトでもある部長と副部長は当然、彼等の横暴に内心腹を立てていた。
だが一年生とは思えない不良の威圧感に気圧され、部員たちを守るためにも、一先ずは刺激しないという方針を取っていた。
――とはいえ、僕も不良と同じ場所で部活してるだけなんだけど……。
現在、美術室にいる美術部員は遥ただ一人。
彼はなるべく目立たないように気配を殺しながら、アクリル画の制作に没頭していた。
――このまま放っといてくれるといいけど……どうなるんだろ。
「……なぁ」
「あぁ……」
しかしそんな暗黙の放置も、そろそろ限界らしい。
不良グループの中でも中心的な立場にいる男女が、互いに目配せを交わす。注意せず、かといって露骨に怯えている様子もない。そんな遥の存在が目障りに思えてきたようだ。
「一応先輩だから放置してやってたけど……」
「例え無害でも、私たちと同じ部屋いるよりかは……いない方が都合いい。二人もそう思うよね?」
「うん」
「分かった」
リーダー格の女子が視線で促すと、空気を読んだ女子二人は遥の背後へと近寄っていった。
「……!?」
「っ……!」
そして彼の手元を覗き込んだ瞬間、二人は思わず息を呑んだ。
「え、うま……!」
「…」
――何この絵……!
彼女達の目に飛び込んできたのは、夜空の下で淡く照らされた枝垂桜のアクリル画だった。
闇の中に浮かび上がる淡い花弁。光を受けて繊細に色づく枝。夜の四十万さえも絵の中に閉じ込めたような、幻想的な空気を纏っている。
「「…」」
遥を追い出すつもりでいた二人は、目の前の作品にすっかり見入ってしまっていた。
――ふぅ……ん?
「……!?わぁっ!」
――何かいる!?
一分後。絵を描き上げた遥が筆をおいて振り返ると、不良グループ全員が自分の絵に視線を注いでいた。
「えぇ……え?」
状況が呑み込めず、遥はぱちぱちと目を瞬かせる。
「「…」」
――とんでもなく綺麗な絵……でも、この桜を見てそんな薄っぺらい感想言えない……。
不良グループは、何か言おうとするたびに喉が詰まってしまう。彼の作品の凄さを前にして、適切な言葉が見つからないのだ。
――あれ。でもこの反応どこかで……あぁ、前に賞取った絵を見た人たちと同じだ……。
言葉を失い、ただ圧倒される。目の前の美しさを認識しようとして、感情や思考の処理が追いつかなくなる――そんなある種の認知的なパンクに近い感覚が、不良グループの表情から伝わってきた。
――確かにこの桜は『人の手によって何百年も守られてきた枝垂桜の、畏怖すら覚える壮麗さ』を強く意識して描いたけど……成程。部長が言ってたのはこういうことだったんだ。
遥は完成を後回しにしていた絵にちらりと視線を向け、困惑したような表情を作った。
「えーっと……すみません。パレットと筆洗ってきます……」
美術室内にある流し台で、固まりかけた絵の具を水に浸して溶かす。その待ち時間に、遥はこっそりと不良グループの方を振り返った。
「……なぁ、それ俺にも送って」
「グループに貼っといて」
「この絵ガチエグい……」
女子たちはスマホを構え、遥の絵を無断で撮影していた。
――不良でも好感触みたい……桜にはやっぱり、人を惹きつける力があるんだ。
美術室を自分たちの縄張りのように使い、騒ぎ立てている一年生達が――今は一枚の絵に夢中になっている。
遥は、自分の絵に興味を持ってもらえたことを確信した。
――これなら……『不良グループ追い出し作戦』が実行できそう……?
そして部長に、現在の状況をこっそり報告するのだった。
☆彡
翌日。遥は水彩画用のスケッチブックと水彩色鉛筆を机の上に出す。彼は以前描いた作品に軽く手を加えながら、不良グループ六人組の到着を待っていた。
――大丈夫。準備は万全……のハズ!
しばらくすると、彼等はいつも通りぞろぞろと美術室へやって来る。遥は頃合いを見て席を立とうとした。
「――あの。ちょっといいですか?」
「え?」
リーダー格の一年女子から声を賭けられ、遥は中途半端に立ち上がった姿勢のまま固まる。彼女の後ろからは、残りのメンバーも興味津々といった様子で集まってきていた。
「……その絵、この色鉛筆で描いたんですか?」
「あ……はい。水彩色鉛筆で」
「水彩色鉛筆……?」
「すご」
「これもエグ……」
彼女は聞き覚えのない画材の名前に首をかしげる。残りの一年生たちは、遥の描いた『イングリッシュガーデンに咲く青と紫の紫陽花』に心を奪われていた。
――向こうから話しかけてくるのは想定外だったけど……まーいっか。始めよう。
「……良かったらでいいんですけど。美術室の準備室に今まで描いた絵を保管してあって……見てみますか?」
「…」
遥が遠慮がちな態度のまま切り出すと、六人はちらりと互いの顔を見合わせる。
すっかり遥を『邪魔者』ではなく『絵が超絶上手い気弱な先輩』と認識し始めていた不良グループにとって、その誘いは心を惹かれる内容だった。
「まぁ暇だし……」
「写真撮っていいの?」
「後でそのスケッチブックも見せてよ」
「全然大丈夫です」
――よし……かかった!
遥が内心で歓喜していることなど知る由もなく――不良グループの六人組は、まだ入ったことのない美術準備室へと向かった。
「……?」
「何?」
「暗っ」
『ガチャリ』と扉が閉まった瞬間、六人は室内に漂う奇妙な違和感に気づいた。
カーテンが引かれた室内は薄暗く、雑然とした狭い部屋の壁は、四方全てが布に覆われている。
――電気……。
六人が戸惑いながら辺りを見回す中、リーダー格の男子が壁際のスイッチへ手を伸ばしたその時。
『始めて』
遥が美術準備室の鍵を静かに施錠した。そして、廊下に待機していた仲間たちへ合図を送る。
『バサッ!』
次の瞬間、室内を覆っていた布が一斉に滑り落ち――小型のスポットライトが次々と点灯した。
「ヒッ……!?」
「ア゙ァーーッ!!」
薄闇の中から、突如として浮かび上がる無数の絵。
それは遥たち美術部員が今回のために描き上げた、グロテスクさと生々しさを追求した恐怖の作品群だった。
「ウワァァァァ!!」
「ヤダヤダヤダ何!?」
「近い近い近い!」
「怖っ……キモすぎ!」
「おいグロすぎだろ!!」
「ビックリしたビックリしたぁ!!」
それらが室内を三百六十度取り囲むように飾られ、スポットライトもまた、絵絵の持つ不気味さを最大限に際立たせる角度に調整されていた。
「…」
その様子をもう一つの出入り口から確認していた美術部部長は――六人の脳裏に絵の印象がしっかり焼きついたところで、恐怖が和らぐ暇も与えず照明を落とした。
「いやいやいやいや!!」
「待って待って待って!!」
「怖い怖い怖い!!」
そして、間髪入れずに仕込んでおいたスピーカーを作動させる。
『ペタペタ……』『カサカサ、カサカサカサカサ……』
静まり返った暗闇に、不気味な足音と何かが這い回るような音が彼等の鼓膜を揺さぶる。
あたかも、絵の中から這い出した何かが――暗闇に紛れてこちらへ近づいてくるかのようだった。




