第17話『服部家のヨリドリカレー』
糸哉は軽く前後の安全を確かめ、SNSアプリ上に『ヨリドリカレー』の公式アカウントを表示させる。それをチラ見した敦斗も慌てて機種変更したてのスマートフォンを開いた。
「実名とか写真を投稿してるワケじゃないけど、休業のお知らせが……」
「あのババァ……!わざわざ『本日は長男が入学式なのでお休みします』とか書くな!普通に臨時休業でいいだろ!」
「うわ『本日は長男の合格発表の日なのでお休みします』って……しかもその後『長男の合格祝いでお休みします』……幸樹の親めっちゃいいじゃん!!俺もいいねとフォローしよ」
幸樹の実家はカレー専門店『ヨリドリカレー』を営んでいる。その後も学校に着くまでSNSを辿っていると、父が印度人で息子が二人いることが分かった。どうやら長男は頻繁に店を手伝っているらしい。
「おまけにグルメサイトの取材でまで苗字出てる……まぁ安心してよ。僕たちは黙ってるし、純粋にカレー食べに行くから」
「ミートゥ!ねー俺も普通にカレー食いたい!お昼そこ行っていい?」
「……はー」
――ネットリテラシーガバすぎんだろ……俺には色々言ってくんのに。
幸樹は手で顔を覆って糸哉にスマホを返し、一旦全てを諦めることにした。
「敦斗。多分今日からだと思うよ。気をつけてね」
「いやまだ耐えれる」
「何が?」
幸樹が目を眇めると、二人は曖昧に笑うだけで自転車置き場へと行ってしまった。再度合流し、糸哉が真意を明かそうとしたその時。周囲の空気が俄かに色めき立った。
――あ?何か女子多くね?
「……幸樹が思ってる通り、敦斗って小学校でも爆モテだったんだよね。だから――」
「ねぇ君一年生?かっこいいね!もしかして芸能人?」
「自販機の場所とかまだ知らないでしょ。先輩が奢ってあげる!」
「え!?先輩!?ちょっ俺……!」
上履きに履き替えた瞬間、敦斗は二年女子によってどこかへと連れ去られてしまった。幸樹は突然のことで目を丸くし、糸哉は肩を落して苦笑する。
「――幸樹にも迷惑かけることあったらゴメンね。って敦斗が心の中で言ってた」
「代弁する暇あったら助けてやれ」
「じゃあ鞄置いたら迎えに行こ」
そして二人が教室に入ると、周囲の視線が一気に集まる。特に気にすることなく互いが入れ替えた席に着くと――教卓の前で雑談していた女子が糸哉をロックオンした。
「ねぇ……熊本君!昨日の自己紹介であのイ、犬飼君と小学校同じなんだよね?」
糸哉が素直に肯定した途端、クラスの女子の半分ほどが彼を取り囲む。誰も彼もがイケメンの情報を掴もうと前のめりになっていた。
「犬飼君は今どこ!?」
「二人はいつから友達!?」
「誕生日は!?」
「えっ。ま、待って。僕今から……」
糸哉が背伸びして幸樹を探すと、彼は一瞥もくれず後ろの扉から出て行ってしまった。
――タンドリー!?ちゃんとホット助けてくれる……よね!?
HRまで特に何もやることがなかった幸樹は、仕方なく新しくできた友達(仮)を連れ戻すことにした。つい先程までもう一人の仮友達と一緒に行く予定だったのだが――
「そういうのは僕じゃなくて本人に」
「いきなり敦斗君って呼んでも怒らないかな?」
「彼女いる?」
――彼はスッと目を逸らして見捨てる選択を取った。
「自販機ってどこだよ……」
幸樹が一階の食堂を目指して歩くと、渡り廊下にやや憔悴した敦斗の姿が見えた。彼はすぐ幸樹に気づくと、飼い主を見つけた犬のように表情を綻ばせる。同姓ですら心が動きかねない反応に、幸樹は冷淡の色を隠そうともしなかった。
「よく撒けたな」
「なんとか……あ、何か知らない先輩から二人の飲み物も貰った。どれがいい?」
「……水」
――流される割にちゃっかりしてんな。
幸樹は真顔でペットボトルに貼られている付箋を剥ぎ取り、丸めてゴミ箱に捨てる。敦斗は糸哉のことを聞くと申し訳なさそうに眉を下げた。
「小学校でも色々あってさ……。俺がここ来た。迎え来てくれてありがと」
「ウザいならそう言えよ」
「ごめん俺モテたくはないけど、女子を敵に回したくもないから」
「キモ。俺は言うから」
「……!」
――これは……遠回しに今後も仲良くしていいって言ってくれたこと?
「店来るとき有象無象くっつけてきたら出禁な」
「ハイ」
――いやこれはガチだ!分かんねぇ!ツンデレ!?テディこれツンデレかな!
二人が戻ると、教室に糸哉の姿はなかった。入れ違いになってしまったのか――敦斗がそう思ってすぐ、前の扉から見慣れた糸目が顔を出した。
「あ、おかえり。大丈夫だった?」
「いやテディこそ」
「ぜーんぜん。あ、飲み物買ってきてくれたの?ありがとー」
糸哉は「うわ何この付箋。変な英数字が書いてあるこわーい。捨てとくねー」と笑ってペットボトルのお茶を鞄にしまう。
「…」
そんな二人を少し離れた場所から観察する生徒は――一人だけではなかった。
☆彡
今日も授業は午前中で終わり、三人は敦斗目当ての生徒を振り切って『ヨリドリカレー』にやって来た。
「ウチは中学生が気軽に来るような店じゃないけど」
「お小遣いの心配?それはご無用だよ。ねー敦斗」
「うん」
――俺の初給料は今月末から……来月の方が絶対多いけどどれくらいもらえんだろ。
敦斗は胸にいくつもの期待を膨らませながら店の中へ入る。平日のお昼時とあって、店内はそれなりに客で埋まっていた。
「テディ。幸樹の母ちゃんに挨拶……」
「は無理っぽいね。幸樹も手伝いに行っちゃったし」
「俺たちも手伝う?」
「駄目だよ。中学生の労働は法律違反だからね」
「えっ。幸樹は家の手伝いって分かるけど……怒られない?」
――ゲーム実況で金貰うのってそういえば。
糸哉は幸樹から出された水を飲み、返事は口頭ではなく文面を送った。
――『僕たちは勝手にやって金稼ぎしてるワケじゃない。管理してる大人がいて、仕事として処理してる。芸能人やってる中学生と同じだよ。学校側にも怒られないようにしてる。ガチで問題起こさない前提でやってるから言う必要がないんだよ』か……。
「というか今更?」
「だって校則の説明受けたばっかだったから……」
敦斗が幸樹のオススメ。糸哉はバターチキンカレーを注文すると――幸樹の母らしき女性が落ち着きを失った様子で駆け寄って来た。
「初めまして。幸樹の親友一号!熊本と」
「大親友一号の犬飼です!」
「そこは二号にしろよ。後出しで上いくとテディの立場ねーだろ」
「あ、あなたー!コーキの親友と大親友が!ふっ二人もー!」
幸樹母は勢いよく厨房へと戻り、夫に長男が早くも新しい友達を連れてきたことを報告する。糸哉と敦斗はその反応を聞き、薄々抱いていた予感が確信へと変わった。
――やっぱ幸樹って交友関係狭めのタイプだったんだ……。
「あはは。感動の仕方が犬飼家とそっくり」
「幸樹も俺と『同じ』だったのか……俺も母ちゃんがテンション上がってんの見て何も言えなかったんだよな……」
「絶対ベクトル違うだろ」
――家のキッチンで適当に食わせときゃよかった。
親が騒ぐ展開を想像できていなかったことを後悔し、幸樹は気が進まないまま厨房へと歩き出した。そして七分後。
「――お待たせしました。バターチキンカレーとマドラスカレーです」
二人が軽く頭を下げてお礼を言うと、隅で見ていた幸樹母が「礼儀正しい……!」と大いに感動する。幸樹は内心で舌を打ち、サービスのラッシーを置いた。
「ぇ?」
「黙って飲まないと殴る」
「きょ、脅迫……待って幸樹グー作らないで」
「いただきます!」
ここで二人の辛さ耐性について。かなりの甘党である糸哉にとって、辛さ控えめを謳うバターチキンカレーは――
「オイシイ」
「テディ汗凄いよ」
――表情には出さなかったものの、彼の舌には十分すぎる刺激だった。
一方で敦斗は幸樹オススメのマドラスカレーにスプーンを入れる。この品は全メニューの中で最も辛く作られているカレーだった。
――辛党って言ってたし。ラッシーあるなら食えるだろ。
純粋に自分が一番好きなメニューを薦めた幸樹に悪意はない。彼がそっと敦斗の様子を伺うと――
「うまー!テディも」
「大丈夫」
「早っ」
――夢中でマドラスカレーを味わっていた。幸樹ほどではないにせよ、敦斗もまた辛党の部類に入る。
「僕のはひと口いる?」
「えー食べたい。ん……辛くないけどこれはこれで美味しい!」
「…」
――いや辛いしかないよ!次来た時カレー食べないでタンドリーチキンとナンとチャイ頼んだら怒るかな。
糸哉は口の中が辛味でボロボロになりながらも完食し、この先通い詰めることになりそうな店への対策を急ぐ羽目になった。
「明日は委員会と部活見学かー。あと給食も始まる」
「そうだね。さよなら午前帰り……」
学校生活とゲーム実況、さらに家事まで器用に回す糸哉に対して、敦斗は時折『人間離れしている』と感じていた。けれど、バターチキンカレーごときで死にそうになっている様子を見て――
「俺のラッシーも飲む?」
「ぅっ。ありがとう……」
――彼もちゃんと人間なのだと妙な安心感を覚えたのだった。
糸哉「へー。ナンもあるんだ」
敦斗「……(そーナンだって)って言ったら死ぬ?」
糸哉「言ってみ。多分聞こえてるから」
幸樹「ん。追放」
敦斗「まだ何も言ってないっ……!」




