第191話『屈辱を味わうことになるから』
白雉の背中は冷や汗まみれで、体温の感覚すら曖昧になっている。それでも胸の奥では、確かな達成感が少しずつ芽生えていた。
――やはり僕は有言実行の男……!纐纈の辞書に諦めるという軟弱な言葉は存在しない!
彼はいつもの自信を取り戻しかけていたが――
「僕は『よみち~丑三つ時の商店街~』にします!最新作らしいんで、きっとこっちの方が恐怖演出にも磨きが」
「ちょ、ちょっと待て!」
――それを糸哉が、笑顔ひとつで容易く粉々にしてしまった
「何ですか?一応ハンデのつもりですよ。僕これは完全初見なんで」
「ま」
「?」
まだやるのか。そう言いかけて白雉は口を閉ざした。ここで拒否すればまた『いやそういうルールだったじゃないですか。不戦敗宣言するんですか?』と詰められてしまうと悟ったのだ。
――それだけは耐えられない……!しかし……。
するとまるで神の助けのように、車が糸哉の住むマンションの前で急停止した。
「着きました!」
「そ、そうか!着いたか!」
白雉は救われたことへの喜びを隠すように、小さく咳払いした。
「……熊本糸哉君、今日は食事に付き合ってくれてありがとう。少し長く引き止めてしまったね」
「あぁ……いえいえこちらこそ!」
栂崎が扉を開け、早く帰れと言わんばかりの空気を醸し出している。しかし糸哉はそれを意に介さず、ゆっくりとシートベルトを外した。
「先輩のいろんな表情が見られて楽しかったです。またお話しに……今度は僕から会いに行きますね」
糸哉はかけていた瓶底眼鏡を外すと、軽く振って笑う。それを見て、ヒクッと白雉の表情が引きつった。
だが糸哉はそれ以上何も言うことなく、一度も振り返らないままマンションの奥へと去っていった。
「…………」
――あの男は一体何者だ……?ただの庶民じゃなかったのか!?
両手を組んで額に乗せ、前のめりに身をかがめる。安全な車内へと戻ったはずなのに――先程の恐怖演出と糸哉から感じ取った計り知れない脅威だけは、鮮明さを失わないまま白雉の頭に焼き付いていた。
――また会いに来るつもりなのか!?ゲームの続きを行うために……!?
これで終わりではない。そんな正体不明の悪寒が一晩中、彼の精神を這い回り続けるのだった。
☆彡
「――まさか、彼がそんな強硬手段に出るなんて……」
週明けの昼休み。糸哉はカレンに、白雉の件を包み隠さず報告していた。
「貴方は何も気にしなくていいわ。私がどうにかするから」
「あ、その話はもう決着ついたんで大丈夫ですよ」
「え?」
怪訝そうな顔をするカレンに、糸哉はスマホの画面を見せる。
そこに写っていたのは、糸哉の身の安全を保障する旨が記された一枚の念書だった。
「ちゃーんと翌日、纐纈先輩に署名と捺印もらったんで。少なくとも向こうサイドが僕の居場所を脅かすことはもうないです」
「……この『乙(熊本糸哉)の転校手続きを求めないことの代償として、対象となる映像①および②を完全に消去する』という合意事項は何かしら」
「あー」
糸哉は露骨に言葉を濁す。だがカレンの向ける鋭い眼差しからは逃れられなかった。
「……先輩に近づくなって忠告を受けた後、何も抵抗せずに帰るのもアレだったんで……纐纈先輩にホラーゲームをやってもらいました」
「……は?」
「手っ取り早く弱みが欲しかったんですよ。スマホの画面録画と、このカメラ付き眼鏡で……纐纈先輩がホラーゲームに怯えて叫んでるところを撮影して、それを盾に交渉を持ちかけました」
糸哉はそう言うと、眼鏡のつるを指先で軽く持ち上げる。カレンは何とも言えない渋い顔をしてそれを取り上げ、じっくりと検分するように眺めた。
――この瓶底眼鏡、確か去年の夏に地ガード下で……って、これちゃんと度入りじゃないの!
「……まさか、今もカメラが回っているんじゃないでしょうね?」
「意味もなく回しませんよ。それに僕、眼鏡は大事な時にしかかけないんで」
「普通の眼鏡をかけなさい……って話が逸れたわね。この件はまた放課後に改めて聞くことにするわ」
「え、放課後も詰められるの僕……まぁそういうワケで。纐纈先輩の絶叫ホラゲ実況の屈辱シーンと引き換えに、僕は平穏を手に入れたワケです。だからどっちかって言ったら……僕の方があの人をいじめすぎたかもしれません」
「……そうね」
カレンは複雑な面持ちのまま糸哉に眼鏡を返した。
「実害の大きさと理不尽さで言えば、彼が法のルールを破っている……けれど、手段の陰湿さと執念深さにおいて言えば貴方の方が上ね」
「いやーこれが因果応報ってヤツですか」
「自分で言わない!まさか彼も、このような陰湿な形で脅迫をやり返されるとは思ってもみなかったでしょうね……」
「僕もアウェーで怖かったんです」
――向こうもあんな態度で蔑ろにしなければ、こんなことにはならなかったのに。
本心を胸の奥底に隠しつつ、糸哉はいつも通り飄々としている。かたやカレンは流石に頬を引きつらせながらも、妙に納得した顔をしていた。
「貴方も大概だけれど……先に牽制を仕掛た白雉さんに非があるわね。それでこの件はもう、完全に片付いたということでいいのかしら」
「はい。纐纈先輩からも『ほどほどに仲良くするように!』って言われました」
糸哉は白雉の通う学校へ単身で突入し、撮影した映像を突きつけた時のことを思い出す。
――あのリアクションは傑作だったなぁ。盗撮だなんだとか騒いでてうるさかったけど。
終始取り乱していた纐纈と栂崎の姿が脳裏に蘇り、糸哉はついつい含み笑いを漏らした。
「もうその映像はないの?」
「消すって誓いましたからね。残念ながらもうないです」
「そう……」
カレンは少しだけ落胆したように頷く。
「それで……どんなゲームだったの?」
そして、ふと興味を示すように尋ねた。
――お、ここで婚約者同士『よみち』をきっかけに関係性がグッと縮まるのでは……。
生活基盤を脅かす相手には、糸哉は自らの腹黒さを隠すことなく、あらゆる手段を使ってでも抵抗しようとする。
しかしカレンと白雉の関係性そのものに反感を持っている訳ではない。むしろ二人の仲が進展するなら応援したいくらいだった。
「先輩もやりますか?纐纈先輩が計十二回叫んだ『よみち』シリーズ!」
「いえ……私はいいわ」
「へ?」
カレンはふっと微笑むと、糸哉の前で人差し指と親指を立てた。
「貴方、まだ未採点なんでしょう?私がカウント役になってあげる」
「え……」
――あの後、普通に気になって新作プレイしちゃったのに……。
いろいろあった末、その日の放課後。二人は中学校付近の公園でホラーゲームをプレイすることになった。
☆彡
今回糸哉がプレイすることになった『よみち~彼岸神社の夏祭り~』。その内容は、浴衣姿の少女が屋台の並ぶ道を抜け、階段を上って神社の本殿までお参りする――という一連の行動を、四日間繰り返すものだった。
ただし、少女が歩を進めるたび少しずつ異変が起こる。
「ひゃぁぁぁ!」
何かが起こるたびカレンは甲高い声を上げ、糸哉の腕にぎゅっとしがみついた。
「せ、先輩……」
――高い悲鳴が鼓膜に……!纐纈先輩の時は低めだったから気にならなかったんだ……!
聴覚の鋭い糸哉にとって、美女と体が触れ合う喜びは二の次であった。
「ア゙ア゙ッ!」
「……やめます?」
「っ……白雉さんは最後までやったんでしょう?」
「まぁそうですね。しかも夜に」
「私が一度引き受けた役目だもの……最後まで完璧に全うするに決まっているわ!」
「さいですか……」
――ちゃんとカウントしてる?
一向に退く気のないカレンに、糸哉は諦めてゲームを再開する。元来ホラー耐性があるうえ、今回はカレンの方が自分以上に驚いているのだ。糸哉がこのゲームを恐れる可能性など皆無に等しかった。
「嫌ッ!ちょっと歩くの早い!」
「はい……」
文句を呑み込み、糸哉は一歩一歩ゆっくりと少女を歩かせる。すると次の瞬間、少女の手前を大きな蛾が横切った。
「わ゙ぁーーっ!」
「いやただの虫……」
――さっきから虫とか雷とか……怪奇現象じゃない部分でビビってるなこの人。
そして四日目。それまで祭りの賑やかさを残していた屋台も、本殿へ続く階段も――まるで地獄横丁を思わせるような禍々しい光景へと変貌していた。
「ひっ……!」
カレンは力いっぱい糸哉にしがみつきながら、それでも画面から目を逸らさない。
「はぁ……はぁ……ううっ……」
「呼吸浅くなってますけど」
――それでもちゃんと見てるの偉いな……ホットタイプ?
これプロの中では、ホットとナキが『苦手寄りで怖さもあるが、ギブアップせずに最後まで観る。それでいて視聴後は笑って感想を語れる』タイプだった。
糸哉は勝手にそんな分類を作り上げ、カレンもその枠に当てはめようとする。
そして、物語はいよいよ結末へと差しかかった。




