第190話『よみちにお気をつけて』
「わあぁぁっ!」
白雉が我知らず叫ぶ。同時に栂崎が『ひっ……!』と小さく悲鳴を漏らしたのを、糸哉は聞き逃さなかった。
水中から伸びてきた半魚人の手には指の間に水かきがあり、その先に生えた爪はナイフのように鋭く尖っている。白く濁った目には瞳孔すら見当たらない。
「な、何で……何だ……!?」
画面は、主人公の目の前に半魚人が現れたところで静止画になっている。白雉は肩で大きく息をしながら、ゆっくりと糸哉の方へ向いた。
「アレは魚釣り体験ゲームですよ。ルアー型のコントローラーを使って、デジタルの海を泳ぐ魚を釣るんです」
「筐体の説明を求めていた訳ではない……!」
主人公が一歩、また一歩とゆっくり通り過ぎる。それに合わせるように、画面の中の半魚人もゆっくりと水中へ沈んでいき――その姿がフェードアウトしていった。
「…」
白雉はようやく胸を撫で下ろした。だが安心したのも束の間。
『ボトボトッ!』
「あ゙ぁーーっ!」
主人公のさらに前方。スマートフォンの液晶いっぱいに、上空から大量の魚の目が雨のように降ってきた。
「…」
虚を突く演出に、白雉の瞳がとうとう涙で滲む。
「と、栂崎!僕の代わりに操作しろ!」
「は……っ!?」
――イヤーーーッ!
怪奇現象の類に滅法弱い栂崎は――こっそり調べたタイトル画面をひと目見ただけで、もうこのゲームをやりたくないと感じていた。
しかし主の命令は絶対。栂崎は運転席から自分の視界には入れないよう画面の向きを調整し、白雉に向けて見える位置にスマホを掲げた。
「お、おい栂崎!もっとゆっくり歩け!」
「栂崎さんちゃんと画面見えてます?目、閉じてないですか?」
「ううっ……」
栂崎が恐る恐る薄目を開けると――突然レースゲームの液晶画面に、青白い少年の霊が映った。
「ヒャア゙ァッ!」
「わあ゙っ!」
「あはは。栂崎さんもリアクション良いですね」
「バカ!お前の悲鳴で驚いただろう!?」
「申し訳……っ!」
――こ、腰が抜けるかと思った……!
早くも手汗の滲んだ手で主人公を進めていく。すると、二人の子供が小走りで主人公を追い越した途端――
『ボトッ!グチョ……』
――生々しい音と共に少年たちの首が落下した。
「あ゙ぁーーっ!」
「イヤァッ!」
白雉と栂崎は同時に絶叫し、口を開けたまま完全に硬直してしまった。
「栂崎さん頑張って!多分もうちょいで三日目が終わると思いますよ?」
「……む」
――無理無理無理!ちょっとヤバイ無理!
限界を迎えた栂崎は、糸哉のスマホをほぼ放り投げる形で白雉の膝の上に置く。
「はあっ、ごめんなさい栂崎運転します!」
「栂崎ィィィ!」
こうして護衛にすら見捨てられた白雉は、未だ禍々しいゲームセンターの中で棒立ちしている主人公を、荒い息を吐きながらただ見つめていた。
「はぁ、はぁ……」
「ちゃんと数えてますからねー。あと栂崎さんが代打でプレイしてる間、三秒以上目を閉じてたのもバッチリ見ましたからねー」
「……っ!」
――こいつ……こんなに性悪だったのか!?
外の景色にも既に夜の帳が下り始める。闇を映すガラスには、恐怖に染まった白雉の横顔がぼんやりと映りっていた。
――お坊ちゃんもホラーゲームの前では無力かぁ。弱くてよかった。
白雉は主人公を亀の如き遅さで進ませている。そんな彼を横目に、糸哉は口の端を僅かに歪めた。
そしてじわじわと神経を削られていく中、画面に『四日目』のカットインが表示された直後。
『ザザッ!』
「うあ゙あ゙ぁぁっ!」
画面いっぱいに、歯茎を剥き出しにして笑う血まみれの子供の顔が映し出された。
――先が、予測できない……!
纐纈白雉は、オカルトやホラーの類を信じていなかった。
頭ではただのゲームだと理解している。とはいえ脳が未知の危険を感じ取って発する警戒信号までは、自らの意思で抑制することはできない。
「…………」
全身が警戒と恐怖を訴えかけ、逃げろと叫び続けている。手首のスマートウォッチには、急激に上昇した心拍数の数字が表示されていた。
――それに何故この男は平然としていられる!?我ら名門の血筋すら脅かす未知の恐怖だぞ!庶民の分際で僕の理解を超えるな……っ!
「さぁ先輩。物語もいよいよ大詰めですよ」
「ちょ、ちょっと無理……無理だ……」
「……!」
涙こそ流していないものの――白雉はある意味で十五歳らしいとも言える、無様な顔になっていた。最初の知的で礼儀正しい様子はまるで演技だったかのように、声すら情けなく裏返っている。
「よ、予想を遥かに超える完成度だな……。客観的に見ても、これは名作の域に達していると認めざるを得ない。楽しませてもらった」
「は?」
「!?」
糸哉の表情から笑みが一瞬で消え失せる。白雉はその豹変ぶりに虚を突かれ、蛇に睨まれた蛙のように身を固くした。
「さっきの余裕はどこにいったんですか?」
「っ」
――何だ!?この支配的な圧は……!
先程までの少年とはまるで別人のような――冷たく張り詰めた空気が車内に漂い始めた。
「クライマックス目前でギブアップとか一番冷めるんですけど」
「……」
――嫌だ……これ以上は無理だ……!怖い怖い怖い怖い……!
肩を震わせ、表情を強張らせる白雉。その姿を目にしながら、糸哉は薄気味悪い笑みを浮かべて言葉を放った。
「僕の転校がかかってるんで……早くしろよ」
「いやっ、嫌だ……やめろ……。もう僕を解放してくれ!君には今後一切の危害を加えないと誓う……!」
「まぁ、それはまた別の日に一筆書いてもらうとして……」
糸哉は、四日目が始まったところで停止している画面へ目を向ける。
「じゃあ続きはカレン先輩にやってもらうことにします」
「は……!?」
「栂崎さん。あとどれくらいで着きますか?」
「……この交通状況だったら、五分もかからないと思います」
「分かりまし……あれ」
返事をするその隣で、白雉は必死の形相で主人公を前進させていた。
「カレンにこのような悍ましいモノを見せるなど……っ!僕にもカレンの婚約者として、相応の覚悟というものがある!」
――カレンのためカレンのためカレンのため……!怖くない怖くない怖くない!
カレンへの一途な想いを大義名分とした白雉は――画面の奥で中年男性がクレーンゲームのアームに掴まれ、宙吊りのまま揺れる光景を前にしても唇を噛んで耐え忍んだ。
「おぉ」
「クッ!またさっきの半魚人が出たところか……絶対に何か起こる……!」
――やめてやめてやめて……!
「はぁっ……はぁ……!」
心中で祈りつつ進むが、この日は一向に何も起こらなかった。白雉は心本当に安堵した様子で深い溜息を吐く。
――ふーん。この人、本当に先輩のこと……。
その雄姿を見ていた糸哉はふと真顔になる。必死にクリアを目指す白雉を見て、彼は密かに評価を改めていた。
――意外とガッツ見せてくれるじゃん。やっぱこうでないとね。
やがて、ここまで何も起こらなかったゾンビゲームの垂れ幕へ差し掛かったその時――
『ウアァァーーッ!』
「うわあ゙ぁーーっ!」
「……っ!」
――ボックス型筐体の中から、巨大な生首が勢いよく転がり出てきた。そのまま主人公の真正面を通過していく。
このゲームの中でも最大級の恐怖演出に、糸哉でさえも息を呑んでしまった。
「…………」
「そういえば最後こんなのあった……って先輩?生きてます?」
対して白雉は――完全に魂が抜けていた。それでも指先だけは機械的に動き、主人公を出口へ進ませていく。
「あ、ホラ先輩見てください!主人公、外に出ましたよ!」
「ア……?」
主人公はいつも通り自動ドアをくぐり、ゲームセンターを出て帰路へ就こうとする――が。
『ゾワワワワッ!』
『……!?モガッ!』
自動ドアから無数の青色い手が伸び、主人公の身体を掴んだ。そのまま中へ中へと引きずり込まれていく。
「……え?」
暗くなった画面を、正気に戻った白雉は凝視せずにはいられなかった。そして、いよいよ結末が訪れる。
『――ジャラジャラ……クスクス……ヒヒヒ……』
一枚絵の画面がゆっくりと右へと流れていく中--メダルゲームの音と笑い声とともに、血まみれの主人公が筐体から伸びた手に引きずり込まれていくシーンが表示された。
「な……っ」
その後スタッフロールが流れ、画面は再びタイトルへ戻る。
「何だ最後は……!?どういうことだ!?」
「だから……食べられちゃったか、主人公もゲームセンターにいる霊の一人になっちゃったんですよ。バッドエンドですね」
「ふっ、不可解な……!」
「謎を多く残して、プレイヤーの気分に影を落とす――纐纈先輩、これがホラーゲームですよ」
「…」
――いささか腑に落ちない幕引きだったが……とにかくクリアだ!成し遂げたぞ!
「はあぁ……」
白雉は糸哉へスマホを返し、頭を抱えて深い溜息を吐いたその時。
「じゃあ、次は先輩が僕の悲鳴をカウントする番ですね。しっかり見ててください」
「……は?」
糸哉が、満面の笑みで鬼畜なことを言い出した。




