第189話『熊本糸哉のたくらみ』
そして取っておいた最後の一口をゆっくりと味わう。
「……何をそんなにニコニコしている。僕は本気だ」
「やーすみません。こんな話してる時でも、うな重が美味しすぎて……」
――ごちそうさまでしたっと。
「あと何か、僕って纐纈先輩の前だと……平凡でどこにでもいる、ただの中学二年生だなーと思って」
「……?」
――萎縮している……?ようやく自分が置かれている立場を理解したのか?
白雉の考えは完全に的外れだった。糸哉は格上からの脅しにも、忌々しげに向けられる視線にも、もう動じていない。
「流暢な交渉が完璧な脅しになる前に……一つ抵抗させてください」
「……抵抗?」
「はい」
――困るなぁ。そんな全身から『お前が邪魔だ』ってオーラ出されると……。
糸哉は穏やかな笑みを浮かべながら、心の底に冷たい波風が立つのを感じていた。
――こっちも君を害虫だと認定したくなるじゃないか。
「僕も忙しい時間をぬって君に会いにきたんだが……」
「貴重なお時間は取らせません。ただ最後に、少しだけ僕と遊んでくれませんか?」
『ジリリリリリリリリッ!』
その瞬間。個室内に、目覚まし時計を思わせるけたたましいアラーム音が鳴り響いた。
「なっ……!?」
音の主は、栂崎の胸ポケットにしまわれていた糸哉のスマートフォンだった。
「あぁ。そこにあったんですね」
二人が動揺した隙を突き、糸哉はスマートフォンを取り返す。アラームを止めると、彼は冷たい瞳で栂崎を見下ろした。
「……だから早く返してって言ったのに」
「……!」
――電源は切っていたはず……どうしてアラームが!?
狼狽する栂崎をよそに、糸哉は白雉へスマートフォンの画面を突き出した。
「カレン先輩とは『部活の先輩後輩』という関係でしかない僕が、わざわざ転校しなければならないことを証明してください――この『よみち』で!」
『よみち』――それは、スマートフォンやPCで遊べる無料の短編ホラーゲームシリーズである。
主人公の日常へ少しずつ異変が混ざっていくタイプの作品で、プレイヤーは横方向へただ歩き続けるだけ。そのシンプルな操作性も人気の理由の一つだった。
「お互い一作品ずつプレイして、叫んだ回数と三秒以上目をつぶったり逸らした回数が多い方が負け!先輩が勝ったら速攻で転校すると誓います」
場所を変え、行きに乗った車内。いかにもホラーゲームらしいタイトル画面を前に、白雉は懐疑的な視線を向けていた。
「所詮ゲームだろう?くだらない……」
「え?逃げんの?纐纈家のご子息ともあろうお方が?」
「ただ歩く映像を見るだけだな?」
「はい。じゃー先行は先輩がどうぞ」
――御しやすいなぁ……。
「二十分くらいで終わるシナリオにしましたんで。じゃ、カウントしまーす」
白雉がプレイするのは、ゲームセンターを舞台にした『よみち~亡課後ゲームセンター~』。
主人公である少年が学校帰りにゲームセンターへ寄り、店内を通って退店するというシチュエーションだ。本作は左にしか進まない主人公を歩かせるだけの、非常にシンプルな仕組みとなっている。
「これがゲームセンターか……不潔で治安が悪そうな施設だな」
「これでそう思うならパチンコや雀荘はどうなっちゃうんだ……」
――思ったけどこの人、先輩とちょっと似てるな。
白雉は生まれて初めて目にするゲームセンターの店内を、一般的な感想とは少しばかりズレた言葉で評していく。
「……っ」
そんな彼の指がふと止まった。主人公のすぐ後ろを、小学生の二人組が勢いよく走り抜けていったのだ。
「…」
――ん?何かすぐ何も無かったフリしてゲーム続けたけど……先輩意外とビビり説あるな。
そんな仮説を立てる糸哉をよそに、白雉は無言でゲームを進めていく。
主人公は明るく賑やかな店内を進み、UFOキャッチャー、音ゲー、メダルゲーム、レースゲーム――様々な筐体を素通りしていく。そして何事もなく出口へ辿り着いた。
「……何だ。何もないじゃないか」
「そうですね……初日は」
糸哉が意味深な笑みを浮かべると、画面いっぱいに『二日目』というおどろおどろしいフォントのカットインが入った。
「……フン。さっきから低俗な演出ばかりじゃないか」
――所詮、無料で公開されているゲームか。
白雉が早くも『生産性のない底辺の娯楽』というレッテルを貼り付けたその時。
「…」
主人公の足が、ピタリと止まる。
「ん?どうしました?」
「あの女性……こんな容姿だったか?」
画面の前方。プリントシール機の垂れ幕に映っていた女性の顔が――先程までの真顔から、歯を見せた歪な笑みに変わっている。
「あれ、言われてみれば……まぁ害はないので進みましょう」
「……ワッ!」
だがその直後、背後のクレーンゲームから『ボトッ』と何かが落ちる音がした。
外見はごく普通の犬のぬいぐるみに見える。ところがアームからすり抜けて落ちてきたそのぬいぐるみは――両目が抉り取られていた。
「…」
糸哉は無言でカウントを一つ加える。運転席の方を見ると、栂崎は膝の上のノートPCに一切触れていなかった。彼女はバックミラー越しに、怯えた瞳で『よみち』をプレイする主を凝視している。
――これは栂崎さんも……。
「おかしい……この空間は一体どうなっているんだ!」
彼女のそうした変化に気付く様子もなく、白雉は徐々に『よみち』へと没入していく。
トレーディングカードのアーケード筐体の液晶が砂嵐に変わっていたり、リズムゲームをプレイする青年の頭に半透明な手が乗せられていたり――日常の風景が少しずつ異常へと侵食されていく光景に、彼は足を止める回数を増やしていった。
「……!!」
メダルゲームに没頭していた老人が青白い顔を勢いよくこちらへ向け、彼は声も出せないほど驚愕する。
『ペタペタ、ベチャッ……バリィンッ!』
「うわあぁぁっ!」
横並びになったクレーン筐体の一つに赤い手形が浮かび上がり、最後はガラスが勢いよく砕け散って赤い液体が溢れ出す。その演出に、白雉は肩を跳ねさせながら叫んでしまった。
――はい。カウント二……。
「お、音まで使うのは卑怯だろう……!?」
「何言ってるんですか。メインカルチャーに効果音はつきものですよ」
そうして三日目も、展開はますます加速していく。
「な、内装まで変わっている……」
――ここを進むのか!?いや、とにかく一刻も早く外へ出ないと……。
画面上に広がる、禍々しくも確実に蝕まれていく空間——それを見た白雉は思わず呼吸を忘れ、恐怖に体を強張らせた。
「……これは一体いつまで続くんだ」
「大体どのシリーズも四日目で終わりですよ。だから次でラストです」
「死を連想させる四日目、か……ありきたりだな」
皮肉で自分を落ち着かせながら、白雉が操作する主人公は慎重に足を進める。
「…」
バスケットボールのアーケード筐体に、サラリーマンの霊がぶら下がっている光景を黙って素通りした直後。
「はヒュッ!」
主人公の肩と背中にべたりと手足が絡みつき、生気を失った子供がひょこりと顔を覗かせた。
「お、おい……憑りつかれてるぞ!」
「三……よかったですね。弟ができて」
「君はこ、これを見てその感想しか出てこないのか……!?」
意地でも『怖いのか?』とは聞けず、白雉はふと隣を見る。糸哉はいつの間にか瓶底眼鏡をかけていた。
「僕この作品だけはやったことあるんですよねー」
「…」
――経験者なのか……。ならばあの悪趣味な演出程度で平静を失わずにいることくらい造作もないか……?
主人公が再び歩き出すと、背中にいた子供は『クスクス……』と笑ってフッと姿を消す。
プリントシール機の垂れ幕は、もはやズタズタに裂けていた。かつては眩しいほどだった筐体の明かりも、今では鈍く明滅しているものが目立つ。
「幽霊を倒す系のガンシューティングゲーム……どうせここで何かが起こるんだろう!?」
「おぉ。予想して構えていくぅ」
運転席で身構え始めた栂崎を見て、糸哉は感心したような声を漏らす。
「来る来る来る来る……」
白雉もまたガンシューティングゲーム特有の巨大な画面を警戒しながら、慎重にその前を通り過ぎていく。
「…」
「…」
だが結局何も起こらなかった。そのまま主人公は何事もなく通過する。
「何も起こらないなんてことあるのか……!?」
「恐怖演出が来ると思ったタイミングで来ない……ホラーゲームあるあるですね」
そう言って先へ進む一行。そして出口まであと半分というところで――
『ザパッ……!』
――釣り体験ゲームの筐体から突然、半魚人が顔を出した。




