第185話『春は麗らかでのどかな季節』
ちなみに敦斗は興味のないジャンルだからと徹底して知らないフリを貫き、 幸樹は塩対応か無視でやり過ごしている。
――でも僕はこんなとこで嘘を使いたくないから……。
「でもまぁ……二人が分かってる通り、僕たちは別に狙ってそうなったワケじゃないよ。これプロって三人グループなの?」
「や、今は五人っす」
「残りの二人は?」
「モチーフが猫のユイガと、ミツバチのナキが……」
「じゃあ僕がその二人と友達になったら、いよいよ本物だね」
「えー!いないんすか周りに!」
「逆にさ、この学校に苗字が『猫』とか『蜂』とか入ってる人いるの?」
「一組に『八景』って人がいますけど……女子なんだよなー」
「まぁそう都合よくはいかないか。ご期待に沿えなくてゴメンね?」
糸哉はこのようにのらりくらりと躱し、頃合いを見て離脱する――これまで何度も使ってきた方法だった。
「――熊本君。ちょっといいかしら?」
「え?」
しかし今回は休憩時間の終わりを待つよりも早く、カレンに呼び出されてしまった。
「はい」
「ちょっとこれをご覧になってくれる?」
カレンは糸哉にスマホの画面を差し出す。そこに映っていたのは、黒褐色の小さなカプセル状の物体だった。
「女子更衣室の開いているロッカーの中にあったの。上の方に付着していたから、お菓子の食べこぼしでもなさそうだし……何だか嫌な予感がして」
「…」
――いや、これはどう見ても……!
小豆の塊にも似たその特徴的な姿を目にした瞬間、糸哉の背筋を今月一番の寒気が走った。『食べこぼし』という単語に反応した幸樹も画面を覗き込む。
「いやこれ」
「幸樹!言うな……!」
「えっ?」
顔をしかめる幸樹と並々ならぬ反応を見せた糸哉に、カレンは虚を突かれたように目を瞬かせる。しかし次の瞬間には、糸哉は幸樹の腕を引っ掴んで走り出していた。
「おい俺を巻き込むな!」
「何言ってんだい幸樹!僕ら相棒だろ!?」
「ちょ、ちょっと熊本君!?」
「先輩!早くそれがどこにあったのか教えてください!」
ただならぬ雰囲気に気圧されたカレンは女子部員たちを説得し、特例として糸哉と幸樹の女子更衣室への立ち入りを許可することになった。
十畳ほどの更衣室には、左右の壁際に木製のオープンロッカーが並んでいる。問題の物体はその右奥にあった。
「先輩、ティッシュとアルコールスプレーあります?」
「え、えぇ……」
「テディどうだ?割れてる?」
「いや。写真の通り……まだ大丈夫っぽい」
糸哉は改めて自分のスマホで現場写真を撮影すると、ライトを照らしながら影に紛れている物体を慎重に取り除いた。
「…」
その作業を横目に、幸樹は別のものへ視線を向ける。
出入り口付近では、同級生の女子部員が呑気にお菓子を食べていた。その足元にはゴミの入ったビニール袋が置かれている。
「なぁ。それもう食べ終わるか?」
「んぇ……あ、うん」
「ついでにアレも今から捨てるから袋欲しい」
「ん」
事情を知らない彼女から袋を受け取ると、二人は手際よく処理を終えた。そして休憩時間を延長し、女子部員たちへの説明に移る。
「――で、熊本が取ったソレは何?」
「わざわざ外で話したいって言った理由もあるのよね?」
「はい。端的に言います」
練習場の外にて。十数名の女子部員に囲まれた状態で、糸哉は切迫した雰囲気のまま息を吸った。
「祐東先輩が見つけて、僕と幸樹が回収したアレは……ゴキブリの卵です」
「「……っ!?」」
「で、でも!見つけた分はしっっかり密封して外のゴミ箱に直接捨てました!除菌も済ませたので、あのロッカーはもう問題なく使えますよ!」
空気が凍りついたのを肌で感じ、糸哉は慌ててフォローを入れる。だがそれで安心できる者などいなかった。
怪訝だった女子部員たちの表情は一気に恐怖へと塗り替わっていく。ある者は悲鳴を呑み込み、またある者は肩を小刻みに震わせていた。
「ど、どういうこと!?」
「何かの間違いじゃ……」
「待って待って待って……」
「お、落ち着いてください!」
「ヘラヘラすんな!」
「すみません!これがデフォです!」
二、三年の内部生たちに詰め寄られると、糸哉は反射的に両手を上げて謝罪する。
「……お嬢様が多いけど、ゴキブリの恐怖はちゃんとあるんだな」
「当然でしょう!?」
「こ、この世の虫は全部死に絶えればいいのよ……!」
「益虫もかよ」
幸樹は怯え切った女子部員たちを眺め、意外そうに呟いた。その時、彼に袋を渡した女子部員が恐る恐る口を開く。
「……待って。あそこに卵があったってことは……」
「まぁ確実にいたんでしょうね。アレの親が」
「…」
再び場が静まり返った。
「報告は上がっていないけれど……見た者は挙手を」
女子部員の部長が重々しい声で促す。しかし幸いにも、成体を目撃した部員はいなかった。
「でも、本当にあれがゴキブリの卵鞘だったの?この部室が少々古びていることは承知しているけれど……定期的に清掃しているし、窓もないから虫が入る余地なんて……」
「アレは暗くて狭くて暖かかったらどこにでもいますよ」
「Gの生命力と繁殖力舐めんな」
「ど、どうしよう……あたし今日もあそこでお菓子……」
「だだ、大丈夫!それは皆いつもやってるから!」
「わ、私の荷物……!」
「皆!慌てないで!」
部長が先輩らしい凛とした声を響かせる。後輩たちの動揺を抑え込むように、彼女は震える拳をぎゅっと握り締め――
「まずは顧問の先生に……報告と部室焼却の許可を!」
「部長が一番テンパってる!」
「普通は殺虫剤からだろ」
――完全に正気を失った指示を飛ばした。
「あと私は本日をもって引退するわ……ありがとうスカッシュ部……」
「部長!?」
「一人だけ逃げないでくださいまし!」
「世界一情けねぇ引退理由だな」
「幸樹。分かるけどまだ部長だから」
こうして男子部長にも事情を説明し、女子部員たちは一時的に部活を中断。更衣室に置かれていた荷物を、ひとまず外へ移動させることとなった。
これで糸哉と幸樹の役目も終わり――かと思われたが。
「あった!?ねぇあった!?」
「どうなの!?」
「まだ探してますよー」
「何で俺まで……」
二人は部長命令により、他にも卵鞘がないか女子更衣室を隅々まで捜索する羽目になった。
「……テディ」
「え?」
しかし、それは結果的に正しい判断だった。下段のロッカーを調べていた幸樹が二個目を発見し、糸哉はまたしても戦慄を覚えた。
「オーマイガーだ……」
幸樹は『殻が割れる』――孵化していないことを確かめ、新聞紙を何重にも巻いて駆除する。
「アレって一度に一個しか産めないらしいよ」
「なら二匹いたか、一匹が時間を置いて二回産んだか……。どっちにしても、中が割れてなかったなら最近だろ」
こうして女子更衣室は一時封鎖された。顧問への報告を経て後日、害虫駆除のための専門的な処置が速やかに行われたのだった。
☆彡
「なぁなぁ。女子更衣室どうだった?」
「いい匂いした?」
「「それどころじゃない」」
部活終わり。糸哉と幸樹は、やや疲労の残る顔で左沢兄弟をあしらっていた。
「でも部室あるのいいよなー。そこだけフェンシング部が羨ましい」
「な。冬とか外で着替えんのマジつれーよ」
「まぁウチそんな強くないから。仕方ないね」
「もう慣れた」
スカッシュ部では女子部員にしか部室が与えられておらず、糸哉たち男子部員は練習場の外で着替えることを余儀なくされている。
この学校では現在、あるいはかつて強豪だった運動部を中心に部室が与えられているのが現状だった。
「――ねぇ」
「え?」
帰ろうとしていた二人の前に、三年の女子部員が立ちはだかった。その隣にはカレンの姿もある。
「彼女がお二人に聞きたいことがあるそうよ」
「はぁ」
何だ何だ告白か?と遠くから野次馬が覗いているのを尻目に、糸哉たちは少し離れた場所へ移動する。
「――潰してから捨てた?」
「はい。卵には殺虫剤が効きにくいですし、掃除機で吸うのも、もし中で孵化したら大変なので……」
しかし、彼女の用件は先刻の駆除についてだった。
「いやにアレについて詳しいわね。博士にでもなろうとしてる?」
「僕も普通に苦手なので。敵さんのことを調べるのは普通ですよ」
「そろそろ活発になる頃か……ダリィな」
件の虫について妙に手慣れた糸哉と幸樹だったが、そのことを思い出すだけでもげんなりしてしまう。そんな二人を見つめ、カレンの友人は少しだけ眉をひそめた。
「二回とも卵を潰してしまったのよね?」
「はい」
「……可哀想ではなくて?」
「え?」
「確かに放置するのは良くないわ。でもせめて優しくティッシュに包んでから外に返すとか……」




