第157話『小椿翠羽は恋を知りたい』
宿題を終えた翠羽は、テレビやスマートフォン、パソコンで楽しめる世界最大級の定額制動画配信サービス『Nile Prime』を開く。
――これ……!結構前に予告で見たことある気がする。
新着に追加された映画『お腹劇場~ぶにぶになアナタとカリカリのワタシ~』を見つけると、迷わず再生ボタンを押した。
物語は大学で出会ったカーラとアレックスが、交際を経て結婚するところから始まる。生活リズムが変わっても自己管理を欠かさないカーラとは裏腹に、アレックスは夜勤から日勤への変更や車通勤を都合よく言い訳にして運動を怠ってしまう。しかし彼の食欲だけは衰えることなく、六十九キロだった体重はあっという間に八十五キロまで膨れ上がってしまった――。
そんな新婚夫婦がダイエットを巡って衝突しながらも絆を深めていくドタバタラブコメディーである。
「…」
翠羽は父のノートパソコンを机に置き、麦茶を口に運びながら映画に見入っていた。
『――最近、理由もなく悲しくなるの。理由はハッキリしてるわ。たった一年で、アナタはワタシの知らない人になってしまった』
『つまり、痩せたらボクと一緒にお風呂入ってくれるってことかい?』
『10キロ痩せたらね』
『分かったよ。答えは最初から決まってたんだな……無理だ』
『いつかアナタが20キロ痩せることを願ってるわ』
『オーマイガッシュ!そんなに痩せたら風邪を引いてしまうよ。キミはボディービルダーが風邪ばかり引く理由を知ってるかい?』
『そんなの知らないわ』
『筋肉はあっても脂肪がないからさ』
『面白い話ね。勉強になったわ』
『さ、お腹空いたからカップラーメン食ーべよ』
『おいデブ』
『人生は複雑だけど、空腹の解決法だけはシンプルなんだ。ラーメンを食う……それだけ』
アレックスが二重顎を揺らしながらドヤ顔でウインクすると、ブチ切れたカーラはJ字型の抱き枕を振り回し――肉付きのよい背中へ勢いよく叩きつけた。
「ぷぷっ……ふふふっ……!」
コメディーシーンに何度も笑わされながらも、ある台詞が翠羽の心に余韻を残す。
『――彼の気持ちを尊重したいのに、痩せてほしいって思うと止まれないの……これが愛なら不器用すぎるわよね。まるで彼の母親になった気分よ』
「…」
この世界には、言葉では表せないほど幸福で美しい恋がある。翠羽はそう信じ、素敵な男性との出会いを心待ちにしてきた。
――カーラとアレックスだって……。
つい言い訳を挟んでしまうものの、素直に愛を言葉で伝える夫。照れ臭さからか言葉にするのは苦手で、その代わりに行動で愛情を示す妻――二人のそんな関係性は、翠羽にとって羨ましいと感じる形の一つだった。
――私もいつか……。
そんな理想を夢見てしまうのも無理はない、翠羽はまだ十三歳なのだから。
もっとも、当の彼女を取り巻く現実もまた――
「小椿さん!」
「犬飼がチョコ食えないから作らないって本当ですか!」
「あ、うん。友チョコだけ……」
「「お願いします!犬飼の分を俺に作ってください!!」」
――別方向へ突き抜けたコメディーであることに変わりはなかった。
隣のクラスの双子が抜け駆けの罪で親衛隊に処されていく。翠羽がそんな後ろ姿を見送っていると、隣に誰かが立った。
「小椿さんゴメンね?僕らの部活仲間がアホで……」
「スカッシュ部の恥部だな」
「熊本君に服部君……」
――あれ?敦斗君は?
トイレ帰りらしき二人と鉢合わせ、翠羽はその場にいるはずのもう一つの影を探した。その視線の意味を察したのか、糸哉が口を開く。
「女子アルティメット部の子たちに捕まってたよー。どのお菓子なら食べられるのか根掘り葉掘り聞いてるっぽい」
「やっぱり皆、どうしてもバレンタインに何かあげたいんだね……」
――私はリクエスト通りウチでホットサンド作って一緒に食べるけど……。
今年のバレンタインは休日だが、土曜日なので部活はある。噂によると敦斗にチョコを渡すべく、部活中の彼に会いに行く女子が一定数いるらしい。
「凄いよね。しかも敦斗優しいからさ。一部の女子は『彼女いるから義理でも受け取れないって言われたけど、当日持ってったらワンチャン受け取ってくれるかも』の思考に辿り着いてるみたい」
「全然あるな……怖。アイツが情けない顔してんのが目に浮かぶわ」
「敦斗君……」
――でも凄いありそう……しょげて私に謝ってくるとこまで想像できちゃう……。
敦斗は大舞学園中等部生の中でも屈指のイケメンである。たとえ奇跡のような美少女が彼女にいたとしても、バレンタインの前ではそんな障害は無いも同然らしい。
クラスメイトや部活仲間という立場を免罪符に、なおアピールを試みる女子たちがいる――そのたくましさに、翠羽はただただ舌を巻くばかりだった。
「正直、私は……『他の女子から絶対もらわないで』より『折角持ってきてくれたものをその場で断るのは可哀想』って思っちゃうかな」
「いいんじゃない?強者の余裕感出てて」
「『どれだけ菓子持ってこようと敦斗の一番は結局私だから』って?凄ぇ爆裂マウント取ってきたな」
「きょっ……ち、違うよ!?」
――私はただ許しちゃうというか……!だって恋してる時点で私より経験値が上って感じがして……。
「尊敬の気持ちが先に来るの。やっぱり普通の彼女は、常に彼氏を独占したいって思うのかな」
「人による」
「って幸樹みたいにつまんない回答したいところだけど」
「おい」
「小椿さんがそこまで気にしてないのは……自分に自信があるのもそうだけど、何より敦斗を信じてるからじゃない?」
「自信……?」
――そんなにないけど……。
「独占欲って自分に自信がない時や、何か後ろめたいことがある時ほど強く出がちだからね」
糸哉の口から吐き捨てられた言葉には、まるで特定の誰かへ向けられているかのような棘があった。
「ま、揺らいでる気持ちを無理に決めなくていいいと思う。敦斗と一緒に模索してみたら?」
「丁度来たしな」
幸樹の視線の先には、心なしか表情を曇らせた敦斗の姿があった。だが翠羽たちが揃って居合わせていることに気づいた途端、その顔にぱっと笑みが咲く。
「何してんのー?俺のこと迎えに来てくれた?」
「今年も敦斗のバレンタイン処理手伝うのかーって話してた」
「……多分大丈夫」
「嘘つけ」
「せめて『本当かよ』って疑って!?テディと翠羽のお陰で俺が甘いモノ無理って事実はちゃんと広まってるし……」
「ふふっ!」
――やっぱり……敦斗君が熊本君や服部君と仲良くしてるのを見るのも、普通に楽しいな。
敦斗の交友関係や異性に嫉妬を覚えないという気持ちを否定するのは、まだ早いのかもしれない――翠羽はそう結論づけるのだった。
☆彡
「…」
「ん……」
偽装カップルが成立してから、まもなく一年を迎えようとしている今。翠羽は誰もいない路地で抱き合うことも、舌を絡ませて互いの呼吸が混ざるようなキスにも抵抗を感じなくなっていた。
「翠羽……もっかいしていい?」
「うん……でも先にハグからね」
――恋する前に、恋人みたいな触れ合いを知っちゃった……。
身体は先へ進んでいても、心はまだ大して成長していない。それでも翠羽は、この温くて甘くて都合の良い、楽な状況に溺れかけていた。
――いっそ偽装カップルからお試しカップルになった方が、自分の気持ちが整理できるのかな……。
「どした?」
「……!」
――ヤバ……別のこと考えてた。
つい強く抱きしめすぎてしまい、敦斗に指摘されてしまった。
「うーん。春休み何して遊ぼうかなーって」
翠羽は淀みなく嘘ではない偽りの理由を並べる。ころっと信じた敦斗は笑って彼女の長い黒髪を梳いた。
「カラオケとゲームと……あ、遊園地とかどう?今度はテディと幸樹と草重さんとか誘ってグループで」
「めっちゃいい……!でもカップルっぽくないかな」
「クリスマスは二人でイルミ見たし。一回くらいよくね?」
「うん……それって前に二人で遊園地へ行った時、私がナンパとスカウトに散々絡まれたから?」
「俺もね……だから今度は皆で行こ。テディの背中に隠れて」
「ふふふっ!私も音緒ちゃん誘ってみる!あ、カレン先輩にも声かけてみていいかな」
「いいね。あーでも惜しい……幸樹にも誰か良い人現れないかな」
「うーん……うーん……」
どれだけ考えても答えの出ないその問題を、二人でそっと共有する。そして同時に笑い合った。
――やっぱり……まだまだこのままでいっか。
恋愛はフィクションと身近な実話で十分だと、翠羽は心のどこかで羨む自分を隠した。




