第150話『熊本糸哉は甘党男子』
時はナキと出会う前に遡る。喫茶店チェーン『ホシダ珈琲』の四人掛けソファー席にて。 糸哉は控えめに拍手を鳴らした。
「二人共、合格おめでとー!」
「ん」
「うん……」
無事に大舞学園中等部に合格した山根兄妹は、照れ臭さを誤魔化すようにストローを齧る。そんな二人を見て、糸哉は満面の笑みを浮かべた。
「孝太と純花ちゃんなら受かると思ってたよ。しかも孝太に至っては主席入学なんて……本当に凄いね。お疲れ様」
「でもまぁ新入生代表挨拶は内部生の一位がやるらしいけど」
「そうなの!?」
――ここでも内部生贔屓が出てるのか……。
「ガチでよかった……絶対やりたくないもん」
「君ってヤツは……」
主席合格者が務めるとされる新入生代表挨拶。その大役を誰かが代わりに担ってくれることに、ユイガこと孝太は心の底から安堵していた。その露骨な安堵ぶりに糸哉は文句を言う気も失せ、呆れたように息を吐く。
「……純花ちゃんどうしたの?フリーズしてたけど……」
「ひぅっ!」
――だってだってだって……!
純花は考えるより先に自分のミックスジュースをゴクゴクと飲み進める。その視線は糸哉ではなく、彼が注文した飲み物に吸い寄せられていた。
「テディ……が飲んでるのって」
「え?キャラメルマキアート」
「へぇ……」
――本当に甘党……!絶対ここ来たらミルクコーヒーかそれ頼むと思ってた!
純花はこの店に家族と訪れるたび、テディなら何を注文するのかをこっそり妄想して楽しんでいた。そんな密かな楽しみなど知る由もなく、糸哉は見当違いな親切を焼く。
「ひと口飲」
「いらない」
「食い気味!?」
純花は素っ気なく返事をしながらも、兄と談笑する彼へ何度も視線を送る。
――動画や配信は普通に見れるのに……。
だが『糸哉』として目の前にいる彼を見つめると、緊張で心臓が壊れそうになった。
「入学したらちゃんと『孝太』って呼ばないとねー」
「別に絡んでこなくていいんだけど」
「今日、敦斗と幸樹も孝太に会いたがって」
「いらない」
「食い気味……君もか」
孝太は全く祝ってもらえないのも、小言付きで祝われるのも嫌だった。とはいえ、過剰に祝いの言葉を浴びせられるのも落ち着かなかった。
「――そんなワケでお祝いを贈りたいから、二人が欲しいもの何でも買ったあげるよ」
「「何でも!?」」
二人は慌ててゲームや家電、財布やバッグなど、高価な品々を思い浮かべるが――
「テディかな……」
「だね……」
「僕は非売品だけど、クマのぬいぐるみならいいよ」
――どれも目の前の推しには敵わなかった。
「うーんうーん」
――テディに買ってもらうモノだから……身に着けれて見せびらかせて半永久的に使えるヤツ……ゅ。
『ゆ』から始まって『わ』で終わる三文字を思い浮かべた途端、純花の顔がボッと朱に染まる。そんな妹をよそに、孝太は神妙な面持ちで口を開く。
「したいことでもいい?」
「いいよー」
――遊園地行きたいとかかな?
「どこでも連れてったげる」
糸哉が二つ返事で了承し、約二十分後――
「確かにどこでもライアンの運転で連れて行かせる気だったけど……」
――彼は山根兄妹を自宅へ招いていた。
「「お邪魔します」」
「普通のマンションだよ?あ、洗面所そこね」
山根兄妹は受験の面接以上に強張った表情で手を洗い、冷えた廊下をぎこちなく歩く。糸哉は無人のリビングへ入るなり暖房のスイッチを入れた。
「最近ライアンが編集手伝っててくれてね、今も僕の部屋でやってくれてるんだー」
「聞いてないんだけど!?」
「気づかなかったかー。一月に上がった動画は三割くらいライアンだけど」
「ぬぐぐ」
「そうなんだ……」
――ライアンさんが編集のお手伝い……。
純花はその情報を頭の片隅にしまい込み、静脈認証のドアに驚きつつ編集部屋へ入る。そこでは同居人のライアンが黙々と字幕編集に没頭していた。
「ここがテディが生まれた部屋……」
「違うって言っておくね?」
「ふわぁ……わぁ……!」
ヘッドホンを装着したライアンは、まだこちらに気づいていない。兄妹は物音を立てないよう、静かに五畳ほどの編集部屋を見渡した。
「モニター三枚あるんだ……お兄ちゃんの部屋より多い」
「編集してるからねー」
「かっこいい……!」
「いやユイガの部屋とほぼ変わんないよ?」
両親の寝室をそのまま実況部屋として使っているだけで、糸哉自身も内装に特別なこだわりはない。それでも孝太と純花は違う。
「写真撮りたい……」
「ここの壁になりたい……」
「オタクの発想だぁ……」
この場所で推しが日々ゲーム実況を撮影し、動画を生み出している――その事実だけで、二人の胸は感動でいっぱいになった。
ライアンの作業を邪魔しないよう、彼が気づく前に編集部屋を後にする。ほどよく暖まったリビングで、客人に好きな家庭用ゲームを選んでもらっていると――
『ピンポーン』
――来客を知らせるチャイムが鳴った。
「んー?」
――まさか山根家?いやお迎えにしては早すぎ……。
もしくは忘れていた荷物の配達か、それとも勧誘か。糸哉がそんな予想をしながらドアを開けると、そこには高級そうなコートに身を包んだ少女が立っていた。
「え?先輩?」
「御機嫌よう。熊本君」
「お疲れ様です……どうしたんですか?連絡してましたっけ」
カレンは返事の代わりにケーキ屋の袋を差し出す。部活の先輩に過ぎない彼女は、きりっとした表情を崩さないまま、ここを訪ねた理由をつらつらと話し始めた。
「先日……ホテルでいただいたフルーツケーキがとても美味しかったの」
「はぁ」
「お年玉も使い道に困っていたし……貴方には色々と借りがあったような気もしたから、お返しに丁度良いと思ったの。たまたま今日は時間が空いてら、空いていたから……」
「え」
「庶民が一生食べられないくらい希少で人気なケーキよ!感謝していただきなさい!」
「嘘ぉ……あ、時間が空いてらなら上がってください」
「ケーキじゃなくてパイの方が良かったかしら……貴方に投げる用の」
「バラエティ番組じゃないんだから……」
玄関へ入ったカレンは、すぐに見覚えのない靴が二足並んでいることに気づく。彼女が口を開くより早く、糸哉は「知り合いの小学生が遊びに来ている」と事情を説明した。
――知り合い?同じマンションの子供か、お兄さんの親戚とかかしら?
「テディ!メテブラやろ!」
「いいよ。その前にちょっと……」
糸哉は小声で新たな客の説明をし、彼女は活動について何も知らないことを話す。山根兄妹に口裏合わせをしている間、手を洗い終えたカレンはリビングではなく、静脈認証式のドアロックが付いた部屋へ向かった。
「…」
――お兄さんの私室だと言っていたけれど……。
躊躇った後、遠慮がちに扉をノックする。数秒の沈黙を挟み、外開きのドアがゆっくりと開いた。
「どした……ってどわぁーー!」
糸哉だと思って部屋を出たライアンはカレンの存在に驚き、反射的に後ろ手でドアを閉めた。
「ビックリした……え!?お嬢様……じゃなくて、いっ君の先輩!?」
「お休みの日に突然お邪魔して申し訳ありません。熊本君にケーキのおすそ分けを届けに来ました」
「えーっわざわざ?ごめんね俺こんな格好で」
「いえ。突然お邪魔したのはこちらの方なので……」
「寒かったでしょ。折角だし一緒に食べない?」
「ぁ……」
カレンは後ろ髪を引かれる思いでその場を離れる。
――パソコンとオフィス……いえ、あの形状はゲーミングチェアかしら。何が映っているのかまでは見えなかったけれど、やはりあの部屋はお兄さんの私室みたいね……。
閉まるドアの隙間から一瞬だけ見えた部屋には、これといって不自然な点はない。
――であればなおさら奇妙だわ……何故あの部屋だけ、過剰なセキュリティが施されているの?
それでも、正体のわからない違和感だけが胸の奥に残り続けていた。
「えーっ!何かいっぱい子供いるー!いっ君!今日この子らと買い物行くんじゃなかったの!?」
「買い物より僕の家で遊びたかったんだって」
「もー言ってよー!」
「メッセージ送ったよ!あとここにいる皆は兄さんが部屋着でも気にしないから」
「あーー!」
ライアンが一目散に退散するのを見送り、糸哉はソファーの裏へ隠れている山根兄妹を紹介した。
「えーと……遠いな。こちらの緊張してる子たちが山根孝太君と純花ちゃんで、二人共春から僕らの学校に入学します」
「あら。後輩になるのね。双子……?」
「じゃないです。同学年の年子だよね?」
警戒心いっぱいの二人が小さく頷くと、糸哉は来客用のハンガーを軽く振る。
「で、この人が……」
しかしカレンは言葉の続きを片手で制し、二、三歩離れた場所へ静かに腰を下ろした。




