第139話『spin one's wheels END1』
長きにわたり増幅し続けた怨嗟が、目を通した者の胸を重く締め付ける。テディの感情のこもった読み方も相まって――ホットは絶句し、額に冷や汗を浮かべた。
【メテ……ヤメテ……】
【……っ!(誰かの声が聞こえる……私だけ?)】
読み終えたヒイも、頭の中へ直接流れ込んでくる何者かの声に頭を抱えた。
【もうこれ以上……私を晒さないで!!】
『ビキィン!』
ガラスに亀裂が走るような鋭い音が鳴り響き、画面はイベントスチルへ切り替わる。
背後からヒイの車椅子にもたれかかるシブミヤ。その右手には【新入社員の日誌】が握られ、口元には底意地の悪い笑みが浮かんでいた。
【シブミヤさん……!?】
【ふふふっ!どうして?こんな最底辺で素敵な人生も、見方を変えれば極上のエンターテインメントよ。白日の下に晒さない理由がないわ】
【ど、どういうこと……!?】
【あたし、風雨や危険に身を晒すのが一番嫌いなんだけど……こうやって相手の秘密や過去を晒すのは、ゾクゾクするほど得意なの】
【じゃあこの日誌は……】
【ふふ。みなまで言わせないで】
『ビキィン!』
再び甲高い破砕音と共に、画面全体が激しく揺れ始める。
「わー」
「ビャッ!」
背景には赤黒い染みがじわじわと広がり、額縁のように画面の端を侵食していく。まるでゲームそのものが呪われ始めたような演出だった。
【イヤッ……イヤァァ……!】
【あたしも絵に書いたような偽善者と綺麗事を吐く人間は殺してぇって思うわ。でも、私情はここまで。この空回った世界と貴女は今日でおしまい――無へと還るの】
「シブミヤさん良いキャラしてんねー」
「いや怖ぇよ……どんな神経してんの?」
イベントスチルが終わると、画面は再び移動画面へ戻る。直後、事務所中に並ぶPCモニターが一斉に眩しく点灯した。
【アァァァァァァ!!】
すると、部屋の奥で車椅子に座る黒い靄が照らし出される。これまで台詞横の名前が【???】と表示されていた箇所は【新入社員の霊】へと更新されていた。
【ハッキング完了。対象施設の電力供給システムを強制停止します】
【ドウシテ……ここは私の世界なのに!】
ミユちゃん、もとい女性新入社員の怨霊が絶叫し、身体を包む黒い靄を膨れ上がらせた。
【(車椅子の拘束が解けてる……!でも走るの自信ないし、電動モードで逃げた方が速いよね。このまま乗ってよう)】
「えっ降りないんだ!?」
「楽しようとしてる!」
「充電大丈夫?土壇場で充電切れてメトロに押してもらうとかありそう」
「ラストチェイスも絶対ハードモードだよな……よしやるぞ!」
テディとホットが好き勝手予想を語る中、ヒイたちは出口へ向かって走り出した。
【警告。対象世界『spin one's wheels』の崩壊を確認しました。脱出を開始します】
【ニガサナイ……ニガサナイ!アァァァァァァ!!】
ヒイたちが事務所を飛び出した直後――
『バゴォォンッ!!』
「「わ゙ーっ!」」
――巨大なフォークリフトが壁を突き破って現れた。コンクリート片を撒き散らしながら、異常な速度で一直線に突っ込んでくる。
【あんた強運よね。あたしたちが来た時に参加するなんて……忸怩たる思いだけど、便乗を許してあげる。さぁ出口はこっちよ】
ヒイとメトロはシブミヤに続き、食品段ボールが山積みになった通路を走る。
『ドサッ!』
しかし、ヒイたちの進行方向へ米袋が崩れ落ちた。
「あ」
「ちょっ……!?」
『ガシャァァン!!』
わずか一瞬止まったその隙を、巨大なフォークリフトが容赦なく踏み潰す。
「覚えゲーだね。ホットならいけるよ!」
「っしゃぁ……!やったらぁ!」
二度三度と数トンはある車体に轢かれながらも、ホットは持ち前の反射神経とミラクルによる神回避で着実に出口との距離を縮めていく。
「うおおっ……!いけたか!?」
「早っ!上手っ!」
「攻略時間が想定を大幅に下回っています。不満パラメーター上昇中」
ようやく搬入口の巨大シャッター前へ到着。シャッターは閉ざされていたものの、人ひとりが通れるほどの穴がぽっかりと開いている。その脇では、腕を組んだサノミヤが待ち構えていた。
【うわっ!何か凄いのに追いかけられてるじゃないですか!】
【早く出るわよ。これで元の世界に帰れるわ】
【ぼくがこじ開けた穴でね。あ、感謝には及びません。お節介焼くのが趣味みたいなものなんで】
【…】
【…】
ヒイとメトロは揃って真顔だった。一瞥しただけで何も言わず、そのまま穴に向かう。
「いや顔!完全に信用失ってる……」
「ホント嫌いじゃん」
そのあまりに露骨な塩対応に、テディとホットは同時に吹き出した。
「二人の代わりに僕がお礼言っとくね。サノミヤ君、ありがとう……」
こうして、二人はシャッターの向こうに差し込む金色の光の先へ進んでいった。
一瞬、画面が暗転する。次の瞬間――映し出された光景にテディとホットは目を見開いた。
「……え?」
「は!?」
そこは見覚えのある、廃れた青果作業場だった。
薄汚れたコンクリートの床。錆びた作業台。薄暗い照明。部屋の中央では、ヒイがゆっくりと目を覚ます。
【ここは……!どうして!?確かに私、シャッターから外に出たはず……】
彼女は慌てて身体をよじる。しかし――
【動かせない……また縛られてる……。何で!?メトロに外してもらったのに!】
「えっ!?」
「また拘束されてんの!?」
――車椅子から抜け出せる気配はなかった。
「ループした……!?」
命からがら逃げ延び、出口まで辿り着いたはずだった。
それなのに――ヒイはゲーム開始時とまったく同じ場所で、まったく同じ姿勢のまま目を覚ましていた。
【嘘……嘘でしょ……!?】
涙を堪えながら電動車椅子を走らせる。だが数メートルも進まないうちに『ピピッ』と静かな警告音とともに停止した。
【充電が……そんな……】
「ヤッバ……」
「どうなってんだよ!」
それでもヒイは両手でタイヤを掴み、車椅子を手動で回しながら出口へ向かっていく。
【メトロ……助けて……】
『――バタン』
ヒイが唇を噛み締めた途端、出入口の扉がひとりでに開く。その向こうから現れたのは、車掌服を着たアフロの青年だった。
【メトロ!?】
【……電動車椅子のバッテリー残量がゼロです。手動による移動支援を開始します】
メトロは一切の動揺を見せることなくヒイの背後へ回り、車椅子のグリップを握る。その姿を見たホットの背筋に悪寒が走った。
「えっ怖い怖い怖い。これ……メトロ黒幕側じゃね?」
「台詞に全然感情ないから分かんなすぎるよ……!」
【何で振り出しに戻ってるの!?脱出できたんじゃないの!?】
【安心してください。あなたの安全は私が保証します】
【っ、メトロォ……うぇぇぇぇぇぇん!】
そこでイベントスチルに切り替わる。
泣き崩れるヒイ。彼女の涙を隠すように、メトロの白い手袋がそっと目元へ添えられている。
もう片方の手は右耳へ。慰めるようにも、何かを隠しているようにも見える、不思議な構図だった。
「えっ……メトロ何してんの?」
「涙拭いてる……?」
「でもハンカチないし、なんか態勢おかしくない?」
誰も答えない。代わりにヒイとメトロの会話が静かに流れた。
【このままずっと……同じ場所をぐるぐる回り続けなきゃいけないの!?嫌だよぉ……お父さん、お母さん……!】
【この世界において、私の稼働能力は想定値を大きく上回っています。あなたの手足となり、思考を補佐し、盾となります】
【グスッ……うん。絶対、絶対ここから出よう】
【畏まりました】
「あ」
「メトロ……君笑えるのか」
これまで一度も変わることのなかったメトロの表情がふっと和らぎ、柔らかな笑みが浮かんだ。ここで背景が暗転し、真っ黒な画面にメトロの台詞だけが表示される。
【……(貴女が全て無駄骨だということに気づき、生命活動が停止するその時まで――永遠に)】
「は!?」
「えっ」
こちらの感傷を置き去りにしたまま、無常にもエンドロールが流れ始めた。
企画、制作、シナリオ、使用ツール、BGM、効果音、プラグイン、そして――
「わぁ」
「ヒイー!」
――最後に挿入されたイベントスチルに、二人は声を裏返らせた。
車椅子にもたれかかり、まるで事切れたように目を閉じるヒイ。その背後では、ライト付きの制帽で行く手を照らしながら、嬉しそうな笑顔で車椅子を押すメトロの姿が描かれていた。
そして、画面左下に文字が浮かぶ。
【ENDING 1 永遠に進まない車輪】
「マルチエンディング!?」
「完全にバッドエンドじゃん……!」
二人は呆然とタイトル画面を見つめる。メトロは何も反応せず、小さく拍手を送った。
「本作をプレイしていただき、ありがとうございました」
マルチエンディングとは――ゲームや小説などの物語において、プレイヤーの選択や行動によって結末がいくつものパターンに分岐するシステムのこと。おおむね3~4種類存在し、多い作品では2桁を超えることもある。




