第123話『消えゆく街のワンシーン』
しかし謎の女性ポエマーは止まらない。
「……あんなに冷たい涙を流すなんて。この世界も、このまま終わるのが寂しいんだね」
海風がパステルライラックの髪を揺らす。その姿を月光が照らし出し、テディは女性が誰なのかを悟る。
「塩練メアリさんだ……しかも一人で海見ながらポエム詠んでる……」
珍獣を発見した研究者のような目で見ていると、メアリがようやくこちらへ気づいた。そして驚くほど綺麗なフォームで距離を詰めてくる。
「…」
「……っ」
無言の中、琥珀色の視線だけが突き刺さる。テディは思わず漏れそうになった声を必死に飲み込んだ。
――今笑ったら大して綺麗じゃないアトラクション用の湖に沈められる……。
だから腹を括った。テディはおもむろに立ち上がり、星の海へ視線を注ぐ。
「……僕も寂しいよ」
「…」
「根拠はないけど。君が隣にいて『大丈夫』って笑ってくれるなら……この世界の終わりさえ、少しだけ許せる気がするんだ」
「……グギッ」
「メアリさん?」
何かを堪えた結果なのか、彼女の喉が不自然に鳴る。
「……いえ。素敵な言葉ですね」
「あれさっきコーヒー飲んだばっかのに……喉がカラカラだぁ」
メアリは顔を伏せたまま震えていた。テディは額に浮かぶ嫌な汗を拭いながら、新たに『シンプルにきび砂糖と間違えちゃったけど案外イケる。メアリのうっかり塩ココア』を啜る。
『――テディ。今どこにいる』
気まずい空気が漂う中、不意に無線機から低く重い声が響く。悪鬼羅刹を思わせるような声に、テディは条件反射で背筋を伸ばした。
「今『おむらむらす』で塩練さんの人生相談を受けています」
息をするように真っ赤な嘘を吐く。そして何事もなかったかのようにバイクへ向かって歩き出した。
「塩練さんはお散歩ですか?」
「はい。私もカブで来たんですけど……」
「乗り物のチョイス……」
テディは思わず遠い目になる。妖精メイドがカブに跨り、遊園地へソロツーリングに来る光景を脳内で再生してみたが――途中で処理しきれず考えるのを諦めた。
「テディは副業でカスタムエンジニアとかされてないですよね」
「ですね。え、ガス欠しちゃったんですか?」
「そっちの方がまだ平和でした……」
メアリは困ったように微笑むと、指先をちょいちょいと動かして彼を呼ぶ。案内された先はカチューシャ販売ワゴンだった。
「降りた瞬間こうなっちゃって……」
「え……っはははは!えぇっ!?」
テディは視線の先に見えたオブジェに爆笑する。そこには確かにメアリのカブがあるのだが――正確には、カブの半分がワゴンへめり込んでいた。
ゲーム内の不具合、いわゆるバグである。タイヤも車体も綺麗に埋まり、もはや現代アート作品と化していた。
「ビクとも抜けない……ワンチャン車庫の中確認したら元通り格納されてるかもですよ」
「やっぱりそうですよね」
メアリは諦めたように肩を落とす。
「テディ、申し訳ないんですけど店まで送ってもらってもいいですか?」
「お安い御用ですよー」
テディは軽い調子で了承し、ポケットから鍵を取り出した。
『プスッ』
「……あぇ?」
エンジンをかける直前、首筋に鋭い痛みが走る。テディはそのまま傍にいたメアリへぐったりともたれかかった。
――視界がブレて……手足が動かない。これは……。
「筋弛緩剤です」
「え、塩練さんって医療班だったの……?」
「はい。でも本業は飲食なので、そっちは忙しい時だけですね……例えば最終日間近の今日とか」
メアリは地面へ落ちた鍵を拾い上げ、慣れた手つきでテディと自分の体を抑制帯で固定した。
「どうして、善良な一般市民の君が……」
そう問い質そうとした瞬間、テディの目は彼女の耳元に釘付けになった。髪の隙間から覗く小さなイヤホンと、そこから伸びる無線機。
「医療班の無線……そうか、だから僕を無力化して……」
「どうかご容赦を。対策課長官の命令には逆らえませんので」
メアリが申し訳なさそうに微笑むと、テディの脳に真相が電撃のように駆け巡った。
「塩練さん、君は……ネリス長官の刺客だったのか……!」
この街では特別役職ごとに無線回線が分かれている。医療班の無線は医療班しか。対策課の無線は対策課しか使うことができない。
しかしマフィア対策課と医療班それぞれのトップ二名だけは別だった。権限により、両方の無線に入ることができる。
メアリが無線に入っていることを確認したネリスは、すぐ傍にいるテディを確保するよう指示を飛ばしたのだった。
「長官。テディの無力化に成功いたしました。どちらへお運びしましょうか……」
「ぐうぅぅ……」
テディは必死に抵抗するが全く動かない。脳から送られる命令が途中で遮断されているかのように、身体は一切反応しなかった。
そして彼は死が近いことを悟り、涙を流した。以前ネリス長官のスカートの中を見た罪で、文字通り丸焦げにされた過去を思い出したのである。
「僕はここで終わりなのか……」
エンドロールが流れ、人生が走馬灯のように再生される。しかし数秒後、あるコメントを読んで冷静になった。
「『長官の車のドアガラス割ったくらいならパンツ見た時より罪軽くない?』……確かに。なら今回もガソリン臭くなる程度で済むかもしれない」
「毎日私の塩フード食べてるのにどうしてそんな甘ったれた思考になるんですか?」
「メアリさん自分のフードメニューのこと『塩フード』って呼んでんの?」
メアリはシカトしてアクセルを回し、彼の運命の待つ場所へと送迎する。
『BRO・AD』終了まで残りわずか。祭りの終焉を前に、各地ではマフィアやベビーマフィアが『最後に一稼ぎ』とばかりに犯罪へ走る。便乗するように一般市民の中からも一度きりの非行へ手を染める者が後を絶たない。通報件数は右肩上がりに増加し、対策課と医療班は連日休む暇もなく各地を駆け回っていた。
「メアリさん。現金輸送中の飛行機がねー、今襲撃されてるんだ。しかもマフィア二組織が手を組んで」
「負傷者が増え始めた頃ですね。こちらも過半数の人員が対応中のようです」
「ただえさえ手一杯のなのに別の犯罪も起こってるし……これお仕置きする暇なくない?」
「今はそうですね。先にテディをそこに放り込めとの指示です」
ほぼ同じ頃、ジェノ率いるマフィア『トゥルピネ』も別件の犯罪に動き出した。その報告を無線で聞いたテディは苦笑する。
「しかも飛行機の現場から一番遠い場所の……」
「犯罪は対策課が忙しい時に行うべし――諸君!これがマフィアの基本である!!」
「そんな……メアリさんに体の自由だけじゃなくてこれプロの座まで奪われたぁ……!」
テディが萎えているうちに、今回の目的地である偽札製造グループのアジトが見えてきた。彼らが狙うのは現金ではない。そこで製造されていた『偽札』そのものと、その価値を生み出す『原版』だった。
襲撃によってそれらを強奪し、裏社会の取引先へ売却する犯罪――その名も『フェイフォーチュン』。
換金に成功すれば莫大な収益を生み出す、極めて危険かつ計画性の高い犯罪である。
対策課の主力部隊が別件に拘束されている今こそ最大の好機。実際、通報が入ってから三分経過した今も対策課はテディ以外誰も対応に向かっていなかった。
「私に攻撃手段はありませんが、治療は任せろください」
「頼もしいなー。お、薬の効果も切れてきた」
雨のように降り注ぐ銃弾を縫うように駆け抜け、メアリは高速ドリフトで車体を横滑りさせる。そのまま入口前へ完璧なビタ止めを決めた。
「いや運転上手っ……笑っちゃったよ」
「それでは……行ってらっしゃいませ。ご主人様」
「はーい行ってきまーす」
メアリはふっと微笑み、アサルトライフルを構えた物騒なご主人を恭しく犯罪現場へと送り出した。
☆彡
十分後。飛行場では、確保した犯人の引き渡しと押収金の確認が進められていた。対策課の面々もようやく一息つき、撤収準備に取り掛かろうとしていた頃。
「オルトス、今からフェイフォーチュンの応援に向かいます」
「あっオルトスさん!テトも蘇生したら行くって代わりに言って!」
「……テディ、そっちの状況は?」
しかし返答はない。医療班の手当てを受けながら、ネリスは眉間に皺を寄せる。
「テディ。もし倒されているなら応答するな」
その言葉に、無線を聞いていた者たちの間に緊張が走る。そして二秒後。
「――すみません海老反りになってて応答遅れました」
「どういう状況?」
テディの謎報告に、副長官のバルチャーが無線でツッコミを入れた。




