第113話『恋人にうってつけの乗り物』
8月31日・・・I Love Youの日
しかも何を思ったのか、そのベンチにはエンジンまで積まれていた。
「その名も『カップルベンチカー』!お値段なんとポッキリ八百三十一万円!」
「割り切れないアイラブユーって……コト!?」
テディがノリで茶化すと、DASSAIは誇らしげに親指を立てる。
――でもこれ僕が乗るにはちょっと……誰と乗るかによるなぁ。
「い、いやー。これはもっと華がある人が試乗した方が……」
テディは顔を引き攣らせながら一歩後退し、そっと逃走を試みる。だが、その肩をDASSAIががしっと掴んだ。
「まぁまぁまぁ!運転側はそっちね!」
「待っ……わ、分かりました」
じりじりと迫る大御所に押され、テディはとうとうハートまみれのカップルベンチへ追い込まれてしまった。ピンク色の車体(?)が照明を反射し、無駄にキラキラ輝いている。
「えーとハーネスはこれでエンジンが……」
テディがカップルベンチカーの操作をフィーリングで把握していると、隣へぬっと大柄な影が腰を下ろした。
無言で助手席――いや正確には『彼女席』を陣取ったのは、同じカスタムエンジニアのがるどである。
「あのすみませーん。そこで僕たちにスマホ向けてる人たちー。僕このまま発進したらムキムキ裸エプロンのおっさんと強制カップル成立しちゃうんですけどー」
テディがいくら助けを求めても、カスタムエンジニアの職員や周囲の客はクスクスと笑いながら写真や動画を撮るばかりだった。
「失礼な。ちゃんと穿いているぞ。ホットパンツだがな」
「うわ健康的……じゃなくて!ダメだこれ以上イジると始まる!『俺は昔なぁ』って裸エプロンの回想シーン始まっちゃう!」
「ふっ。新参の前ではつい態度が大きくなるのが古参配信者の性でな」
がるどは腕を組み、威厳たっぷりに頷く。テディは抵抗をやめ、その場から一秒でも早く離れるため改造カーを走らせた。
「全く遺憾だな。皆面白がって僕を見世物に……腐ってるよ!」
「ちなみに私を事故に巻き込むと、三万三千人のハゲメタボが君の家へ走って向かう」
「ぶふっ……!何ですかその終末の軍勢!視聴者層偏りすぎじゃないですか!?」
「男女比は九対一だ。私の見た目を見れば納得だろう」
「残り一割が裸エプロン性癖ネキなんですね」
「そのうち九割九分は心だけ女だ」
「ハァ、ハァ……!一体どんな配信をしたらそんな視聴者層になるんだ……!」
荒い呼吸とは裏腹に、テディの運転は驚くほど安定していた。カップルベンチカーを時速百十キロで夜道を駆けるその安定感に、がるどは思わず感心してしまう。
「ほぉ……。これを普通の車みたいに運転している奴は初めて見た」
「当たり屋来た瞬間に終わるんで、そこだけは覚悟してくださいね」
「車の効果も相まって、うっかり惚れてしまいそうだ」
「惚っ……!?マズい動揺っ……!」
テディが横を向くと、濃い顔面に上裸エプロンの筋肉質な中年男性が至近距離でこちらを見ていた。
「どうした。わき見運転は危険だぞ」
「んふっ、ふふっ……!すみませ……っ!」
噴き出しながらハンドルを握り直し、どうにか無事故で帰還すると――待機していたDASSAIが目を丸くした。
「おかえりー。え無傷!?絶対どっかで爆発すると思ってた」
「身体は無事だ。だが私の心は致命傷かもしれん」
「は?」
DASSAIが眉をひそめる。すると、がるどはベンチに座ったままぽっと頬を染めた。
「運転が上手く、私が喋るたび笑ってくれるテディに……恋の追突事故を起こしてしまった」
「キッッッショいんだよジジイ!!」
「がはぁっ!」
DASSAIの拳が綺麗に腹部を抉り、がるどはベンチから転げ落ちた。
「はぁ、何かメッチャ疲れた……」
テディは腹を抱え、ふらふらとその場を離脱する。
だが配信コメント欄には『口直し希望』『チェンジで』『次は美女で頼む』など好き放題な文字が並んでいた。
「……まぁ確かに。次乗るなら女の子がいいかも」
そう呟いたテディは周囲を見渡し、近くにいた人物へ軽く手を振る。
「――ネリス長官。ちょっとあの車の試乗、付き合ってもらえませんか?」
「何?」
その瞬間、周囲の空気がざわつく。しかし当のテディだけはまだ何も理解していなかった。
「長官運転上手いんで、あのイロモノカーのドライビングテクも隣で体感してみたいです」
「イロモノ言うなウチの大人気新商品を」
「……仕方がない。これも運転が上手い長官の務めか」
『鉄血の女長官』という異名を持つネリス・ヴォーンのキャラコンセプトは『峻厳な統率者』である。
ゆえに彼女へ気軽に頼み事をできる者はほとんど存在しない。せいぜい、冗談混じりに距離を詰められる同事務所の同期ブイチューバーくらいである。
「マジで行った……えぐ」
「しかも長官に運転させるのかよ!」
「アイツやば!怖!」
「自称ぬいぐるみにも限度ってもんがあるだろ!」
「アイツの胆力どうなってんの?」
「万世!テディの配信テレビに映せ!」
「はいなー!」
「……マジで何してんの?全員暇人?」
「やかましい!けやもこっち来て鑑賞しなさい!」
「わー!」
そんなネリスと怖いもの知らずのテディがカップルベンチカーに並んで座った後ろ姿を見て――その場にいたカスタムエンジニア職員や客たちは、歴史的瞬間を目撃したかのような騒ぎになった。
☆彡
カップルベンチカーが新商品として搬入されたその日、偶然その場に居合わせたネリスは密かに注目していた。
職員たちがその異様な改造カーを試乗している光景を見ているうちに、彼女の興味は徐々に膨らんでいく。
もっとも、だからといって自分から『乗せてほしい』などと言い出すつもりはなかった。
よりにもよって恋人向けの乗り物である。『鉄血の女長官』の異名を持つ自分が率先して乗りたがるなど、威厳も何もあったものではない。
日頃からロールプレイを徹底している彼女にとって、自らカップルベンチカーへの試乗を希望する行為は――自身が築き上げてきた『峻厳な統率者』像を崩しかねない重大案件だった。
――『何だその運転は!代われ』……これだと私の趣味嗜好を茶化す者が現れそうだ……『長官がこの車?を直々に評価してやろう』……は身内が少ないここでは何様すぎる……。
ネリスは平静を装ったまま腕を組み、運転ミスでこちらに被害が及ばないよう見張っているという顔を貫いていた。
「おい!施設内でそんなカッ、キュッ、クセ強カー乗るな!間違って長官にぶつかったらどうすんだ!」
「ヒッこっち見てる……!さっ、さぁせんっしたぁ!」
「…」
その結果――ネリスは内心で乗りたさと戦いながらも、ただ無言で試乗風景を見張り続けるしかなかった。
「――ちょ、長官っ……うわ、うわぁぁぁ!?すっご、すっごい!」
「ははははははッ!」
――すっごい楽しい……!もう誰かが乗っているとこを奪って乗る手しかないと思ってたのに!
これまで押し殺していた感情を発散するかのように、ネリスが運転するベンチカーは猛然と加速する。前方車両の隙間を縫って追い抜き、コーナーではタイヤを激しく軋ませた。
車体が擦れ、ガードレールから火花が弾けても構わない。まるで彼女の高揚そのものを乗せているかのように、ベンチカーは一般道路を爆走していった。
「死ぬ死ぬ死ぬ!振り落とされる!!」
「安心しろテディ弱音を吐くな!長官は運転が上手い!」
『――強盗事件発生!現場付近の対策課は急行してください!』
「……近いな。向かうぞ」
「エーッ!?」
無線から通知が来た瞬間、カップルベンチカーは交差点をドリフトで曲がり、三回ほど縦回転した後――現場へ文字通り突撃した。
『ガシャァァァン!』
「ぐうっ……」
テディが目を回して混乱している中、煙を上げるカップルベンチカーからネリスが悠然と降り立つ。
「コラ愚物共!今すぐ両手を上げて降伏すれば命の保証くらいはしてやろう!」
「何だよ!うっわマジか……対策課はもう間に合ってるぞ!」
スリグループのアジト兼盗品保管場所である家を襲撃し、金品を奪う犯罪『カーサ・デッラ・タルパ』を遂行中の犯人は切羽詰まった声を上げる。
「長官。今――」
現場には既に対策課のバルチャーが到着しており、彼は人質のNPCを盾にしている『ディパレット』所属の男性ブイチューバー、鬼形ラセツを説得している最中だった。
「鬼形は……現在どのマフィアにも所属していない『ベビーマフィア』だったか?」
「そうですね」
「あ、そうです」
バルチャーだけでなく、窓からこの会話を聞いている本人も律義に答えた。
「こんなところで奇遇だな……家にいるのはお前だけか?」
「あっ……長官お疲れっす!いやー何かアレっすね!お久しぶりっす!」
「コイツ俺にはイキってタメ口だった癖に……」
バルチャーは小声で不満を漏らすが無理もない。チンピラ気質のラセツですら、ネリスの纏う場数を踏み過ぎた修羅の圧には逆らえなかった。




