第106話『鉄拳制裁が正義』
ワカオミとひかりは床に座ったまま顔を見合わせ、そのまま小声で会議を始める。
「熱戦……って七月のアレか」
「これプロ……あーウチ聞いたことあるかも」
「めっちゃヤバい人じゃん」
「いや聞いてないってこんなの」
「こんなのいるならウチもう……」
「な。もういいよな」
「……何かヒソヒソ話してるなー」
テディは机がら下り、二人の抽象的な会話を呑気に聞く。
薄いグレーの壁と同色のセラミックタイルに囲まれた小さな会議室にて。対策課の面々が黒いキャスター付きオフィスチェアに座っている一方、彼は自分だけが安価な黒のスタッキングチェアに座らされていることに気づいた。
――ここでも細かな違いが……流石メガヒットゲーム。
「すまない。一度、上の者と掛け合ってくる。連絡先を教えてくれ」
「あ、はい」
テディが端末を取り出す横で、ひかりは興味津々な様子で身を乗り出した。
「だからこれプロなんだー。ねぇねぇ、ひかりとも仲良くしよ?電話番号教えてー」
「あれ、急に媚が……全然いいですよ」
そんなこんなで、違法薬物の罰金の話はいつの間にか流れた。
テディは上官の判断待ちということで、一人ミーティングルームに待機することになる。
「……なんか流れで職決めちゃったけど、まぁいっか」
テディは天井を見上げ、ドーム型の防犯カメラへ視線を向ける。さらに観察を続けると、音声を拾うための小型マイクも机の中央や壁際に目立たないよう設置されていた。
「この部屋じゃあ滅多なことは言えないね。一人くらいは知り合いいるといいな……っ!?」
――殺気!?
そう呟いた直後、背後から鋭い拳が飛ぶ。テディは反射的に首を傾け、紙一重で回避した。拳は空を切り、攻撃者の瞳がわずかに見開かれる。
「なんだなんだー?」
同時にテディの身体が動いた。床を軸に半回転し、スタッキングチェアを掴んで迷いなく相手の頭へ振り下ろそうとする。
「……え?」
しかし視界に入った人物を認識した瞬間、その動きはぴたりと止まった。
「貴女は……がっ!?」
白い軍服の女性は――鍛え上げられた拳を二発、一切の容赦なくテディの胴体へ叩き込んだ。
「うっライフが……そんでもってウェルテックス祭以来、ですか……」
肺の空気が強制的に押し出される。そのまま彼は膝をつき、床へ崩れ落ちた。
「報告を受けて飛んできてやったぞ」
テディは霞む視界をどうにか持ち上げる。蛍光灯の光を受けて揺れるブリーチのロングヘア、その隙間から覗く深緑のインナーカラー。そして白い軍服が目に入った。
「お久しぶりです……ネリスさん」
「あぁ。久しぶりだな」
ユニオンストリーム所属の女性ブイチューバーであり、この街ではマフィア対策課局長のネリス・ヴォーンは冷たい目でテディを見下ろした。
「君と部下の会話は途中から聞かせてもらった。長官もテディと呼ばせてもらおう」
「……長官?」
テディが目を丸くすると、ネリスは肩へ流れる髪をさらりと払う。
「私がこの街のマフィア対策課トップ。ネリス・ヴォーン長官だ。貴様もここを志望するなら、口の利き方と身の振り方には気をつけろ」
「あの、一つ質問いいですか」
「何だ。もし『何でいきなり殴ったんですか』とかいう下らん質問なら失望するぞ」
「いやいやそんなー」
テディは床に倒れたまま小さく笑う。
「てっきり夏のウェルテックス祭で僕がボコボコにした件、まだ根に持ってるのかと」
「そんなものこの世界では関係ないだろう」
そう言いながら――彼女は自然な動作で、倒れたテディの背中に腰掛けた。
「ぐえ」
「ここでは私が絶対だ。お前は座布団以下のぬいぐるみ……歯向かったら普通に潰すぞ」
「圧が凄い……あー了解です」
ぐっ、と体重がかかる。テディが力なく返事をしてから数秒後――
「あの何か僕、指一本動かせなくなりました……」
「……は?」
――彼は自分が栄養失調で気絶していることを自覚した。
「この街来てから何も飲み食いしてなくて……」
「空腹で倒れるな!初心者か貴様!」
「食べる暇なさすぎて忘れてたぁ……」
『アナーキー・ダウンタウン』では全プレイヤーに体力ゲージ、精神力ゲージ、空腹ゲージ、飲料ゲージの四つが存在する。
そしてそのどれか一つでもゼロになれば、プレイヤーは行動不能へ陥ってしまう。放置すれば医療班の救助が来るまで再起不能である。
つまりこの街では現実と同じように、自分の身体を管理する必要があった。なおアバターが倒れた後もVCは有効なため、近くにいる相手とはそのまま会話できる。
「はぁ……基本すら怪しいとはな。対策課志望が聞いて呆れる」
ネリスは呆れた目でテディを見下ろした。
「長官に殴られたダメージがトドメ説ありますよ」
「今、医療班を呼んだ。復活したら採用試験を始める」
「おーありがとうございます」
テディは床に転がったまま安堵の息を吐く。
「やー幸先いいですね。危うく門前払いかと思いました」
「貴様を野放しにしてマフィア側へ回られる方が厄介だ」
「恐縮です」
「褒めてない。そして安心しろ。不採用でも雑用係として雇ってやる」
「対策課の雑用係?」
「あぁ。施設内に立ってるだけで給料が出る」
「えっ最高……いやでも配信的には終わってるポジションだなー」
テディが苦笑している間も、ネリスは当然のように彼の背中へ座っている。だが本人は、怒涛の展開続きでそこにツッコむ余裕すらなかった。
「これは対策課専用トランシーバーだ」
ネリスは透明なチューブ式イヤホンを取り出し、テディの耳へ押し込む。
「試験中はこの無線で指示や報告をする。使い方を覚えておけ」
「はい」
「ちなみに今のようなダウン中は発信不可だ。聞くことしかできん」
「へぇー。何か惨めになってきたな……」
今のテディにできることは医療班の到着を待つことと無線を聞くこと、近くのネリスと会話すること――その三つだけだった。
「どうだ聞こえるか」
「あ、はい。聞こえま……」
『――すみません。曙ひかり、只今をもって対策課を退職します!』
『自分、ワカオミも退職します』
『『クソお世話になりましたーー!!』』
『『えぇーーーー!?』』
「…」
――待ってうるさっ!
無線からは二人の退職を惜しむ職員たちの声が幾重にも飛び交い、テディは騒がしさに耐えかねて現実のヘッドホンを外す。
てっきり犯人追跡だの応援要請だの、マフィアを鮮やかに制圧するやり取りが交わされているものと思っていた。しかし実際に聞こえてきたのは、つい先ほど知り合った先輩たちの退職宣言だった。
「あの。長官って無線聞いてます?」
「今は切ってるな」
「たった今ワカオミさんと曙さん辞めましたよ」
「……は?」
「え?初知り?
「…」
「まさかの……相談とかなかったんですか?」
ネリスが本気で硬直し、今度はテディの方が面食らう。ミーティングルームになんとも言えない空気が流れたその時。
「急患はここっすかー!」
バンッと扉が開き、医療班が元気よく到着した。
「あ……」
「ブハハハハハ!!テディ!?」
入ってきた人物――プロゲーミングチーム『Quirk Hematite』所属のさがんは床のテディを見るなり吹き出した。
「さがん……君が医療班なのか」
「久しぶりー!まさかこんなとこで再開するとかマジ激アツ!」
ネリスが放心したまま通話しに部屋を出ていく中、医療班のさがんは爆笑しながら聴診器を装着した。
「はい診察しまーす」
「ちょ、何でチェストピースほっぺに当ててんの」
「なにそれ」
「心音聞く丸い部分の……」
「へー。この丸い部分チェストピースって名前なんだ。お前本当博識だな……それなのにこんなっ……栄養失調で雑魚死しやがって……」
「ちょっ、グリグリ当てすぎ……遊ばれてるー!」
さがんはニヤニヤしながら無抵抗なテディの顔面へチェストピースを押し付け続ける。いくら彼が苦しんでも、コメント欄は『wwww』で埋まるだけだった。
「はい、脱水・栄養失調・打撲ですねー」
「凄いな……今のところ出会った人間、全員ロクでもないよ」
「これに懲りたら医療班に逆らうなよ?」
さがんが最後に注射器を突き刺すと、テディの全パラメーターは百%まで回復した。
「お、全快。ありがとう……」
テディが軽くなった身体を起こした瞬間、真横から右ストレートが放たれる。
「危っ!?」
しかし彼は咄嗟に頭を逸らし、直撃を免れた。
「何ッ!?俺の初撃を避けるとはやるな!」
「ちょっ危な……!治した傍から怪我させるのやめてよ!知ってるよ!?これ医療費かかるんでしょ!?」
「は?当たり前だろ」
『アナーキー・ダウンタウン』に存在する特殊医療班――通称医療班。
彼らはダウンしたプレイヤーを治療し、復帰させることができる唯一の存在である。なお料金は現場蘇生、四十万。病院搬送後の治療は二十万と一律固定だった。
ミリオレの物価・給与
飲料水……10万。飲食……10万。
乗り物(全て最低価格):自転車……3万円。原付スクーター……10万円。自動車……130万円。ヘリコプター……4千万円。飛行船……5億円。
時給:マフィア対策課……50万。医療班……40万円。市民(マフィア・ベイビーマフィアも含む)……30万円




