第104話『ライアンの頼みごと』
洗面所から戻ると、テレビ画面は既に別の動画へ切り替わっていた。
「あ、これライアンが推してるブイチューバーの……イッサさん?」
「イッサ『ちゃん』な」
「イッサちゃん」
サムネイルを見て、糸哉は目を瞬く。落ち込んだ時ほど推しを見るタイプなのかもしれない――そんなことを考えていると、ライアンがふっと息を吐いた。
「いっ君。休みの間お前の編集手伝うわ」
「……エ!?」
「俺、仕事でサービス紹介動画とか研修動画作ってるから。大学の時も結婚式のプロフィールムービー作るバイトしてたし」
ライアンはソファーの背にもたれながら続ける。
「いっ君の編集、ちょっと演出の方向性教えてもらえれば……カットとか字幕入れくらいは普通に手伝えると思う」
「それは……」
――お釣りがくるほど余裕で可能なんでない!?
仕事として企業向け動画を制作しているなら、編集ソフトの基礎操作は完全に身についているはずだ。
カット編集、音量調整、テロップ、画像や素材の差し込み、書き出し設定――。
ゲーム実況の編集も結局はその延長線上にある。むしろ視聴維持や情報整理を求められるビジネス動画の方が、求められる安定感や丁寧さは上かもしれない。
『絶対ゲーム実況の字幕編集くらいならすぐ慣れるやつだ……』と糸哉は半ば確信した。
「僕はめちゃんこ助かるけど……それ仕事休んだ意味なくない?」
「まぁ有給めっちゃ溜まってたのもあるし。今は家で何かに集中してたい。あと手伝ったら給料出るだろ?」
「そりゃ出すけど……マジか」
糸哉は頭の中で編集スケジュールを組み直した。ライアンが編集作業に加われば、これまで一人で背負っていた負担が大幅に減るからだ。
――じゃあ早速今から……いや流石に明日からか。
「じゃあ機材どうにかしないと。ノーパソじゃ絶対キツいし」
「あー。なら俺その間シェンの家泊まろうか」
「の方がいいかも」
シェンの家には糸哉が泊まり込み編集をする時のために用意されたPC部屋が存在する。ライアンがそこを使えば、機材問題は即解決だった。
「いっ君それで多少余裕できる?」
「うんかなり」
「ならその代わりこれやって」
ライアンはリモコンを持ち上げ、テレビ画面に映っているNIco・Tubeの画面を指した。
「……『BRO・AD』?」
画面に映っていたのは、大規模ストリーマーイベントのアーカイブ動画だった。
『BRO・AD』――ゲーミングコミュニティ『BRONZE ATTIC』通称BRO主催の、配信者限定イベントである。
「それってアレだよね。『アナーキー・ダウンタウン』を大人数で遊ぶイベントでしょ?」
「そー」
『アナーキー・ダウンタウン』とは――巨大な架空都市『ミリオレ』を舞台にしたオープンワールド・クライムアクションゲームである。一般市民として堅実に働くもよし、犯罪者として裏社会を渡り歩くもよし。プレイヤー自身の選択で生き方を決められる自由度の高さが最大の魅力だ。
「いっ君これやる予定なかったでしょ」
「だね……招待は来たけど……」
本ゲームのマルチサーバーに運営から招待されるのは実況者やブイチューバー、プロゲーマーなどの配信者のみ。
ゲーム内VCを利用した突発コラボにより、配信者同士の偶発的なドラマ性が人気を集め、昨年の第一回はかなり話題になっていた。
――らむらすとかこせゆ隊とか、大御所が沢山集まってたっけ……。
「いっ君のチャンネルカラーと合わないから去年やんなかったんだっけ」
「そー」
『諸君!これがプロである!!』チャンネルの主軸は高難易度ゲームの攻略や、プレイヤースキルを活かした魅せプレイ紹介である。
対して『アナーキー・ダウンタウン』は『レゾンクラフト』に近く、生活要素を楽しむ遊び方や、プレイヤースキルに自信がない人でも楽しめるよう作られている。
自由度は高いが、純粋な腕前を見せるゲームではない。よって糸哉は去年の招待を断っていた。
「あれっ。てか第二回って確か……」
「今ちょうどやってる。今日で二日目?」
「うわぁ……こういうのって色々準備も必要なんだけど」
「普通にいっ君がやってるとこ見たい。イッサちゃんも今やってるし」
「いやその人と絡むとは限らないからね?」
「別にいいよ」
「うーん……」
――まぁ……これがプロだ!って部分をちゃんと見せればいいか。
『アナーキー・ダウンタウン』というゲームタイトルから見てとれるように、本ゲームでは糸哉の大好きな銃を用いた対人戦が日常的に勃発する。工夫次第で、十分視聴者にチャンネル名に違わない実況配信が届けられると踏んだ
「……分かった。じゃあ今から連絡とか準備してくる」
「ありがとー」
ライアンは少し嬉しそうに頷く。
こうして――『第二回BRO・AD』には、まず様子見としてテディのみが参加することとなった。
☆彡
『ここはアナーキー・ダウンタウン。けたたましいクラクションと、挨拶代わりの罵声。錆びついたドックを潮風が叩き、夜のネオンが欲望を駆り立てる……世界で一番イカれた自由都市だ。
お前がどんな稼ぎ口を選ぼうが、いくつワラジを履こうが、すべては自分次第さ。
テーマパークで子供を笑わせる?結構。マフィア対策課として街を守る?最高だ。
ジャーナリストとして裏社会を暴く?命の保証はしないがな。
え?犯罪もあるのかって?勿論!マフィア、運び屋、武器商人、闇医者――ここじゃ朝のコーヒーを淹れるより簡単に、誰もが汚れ仕事に手を染める。
倫理だって?ハッ!そんな上等な言葉、この街のドブ川に流しちまいな。考えるだけ時間の無駄さ。
……ただし覚えとけ。ここでは勝者が正義だ。そして勝者は、いつだって金と力を持ってる。
ようこそ、アナーキー・ダウンタウンへ――人生をぶっ壊す準備はできてるか?』
ここで導入ムービーが終わる。ノイズ混じりの英語アナウンスと重低音のBGMがフェードアウトし、暗転していた視界がゆっくり開けていく。
「おぉー!」
次の瞬間――テディの眼前にはアナーキー・ダウンタウン、略してアナダンの舞台であるミリオレの街並みが広がっていた。
縦型の信号、クラシックカーを思わせる流線型の車両。テラス席が並ぶオープンカフェ。
伝統的な白壁の建物とガラス張りの高層ビルが立ち並び、その頭上では巨大なホログラム広告が輝いている。まるで古きヨーロッパと近未来都市を強引に繋ぎ合わせたような景観だった。
「ビルもマンションも高いなー。でも向こうは伊太利亜っぽい情緒があるね。『上京したての田舎っぺ』……そうだよ。着の身着のままで森から出てきたんだから」
『すごすぎ』『景観やっば』『もう最高』
テディは視聴者コメントとほぼ同じ反応を返しながら、ゆっくり石畳を踏みしめる。
『BRO・AD』三日目――現実世界の時刻は午後十六時。しかしミリオレには真昼の日差しが広がっていた。
「実はこの世界に来ようと思ったきっかけがありまして……いや『コネ作り』じゃないよ?『世知辛ぇな。100万人超えても売名か』も違う」
テディは苦笑しながら通りを歩く。
「同居人のライアンがね。『BRO・ADオモシロイ。オマエ。ヤレ。食イ千切ルゾ』って勧めてきたから……」
『どんな脅迫だよ』『マフィアやん』『怖い』
「だからクリスマス配信と年末生放送の代わりにこれやるかーってなった。僕アナダン自体初プレイだから皆優しくして?ちょ『してほしかったら全部やれ』はグロいな」
テディはコメント欄の阿鼻叫喚を無視し、初期支給されたスマートフォンを開く。画面には職業一覧と、現在ログイン中のメンバーが表示された。
「へぇー。アパレルショップ店員に運び屋にカジノディーラーに……車両を修理したりカスタムしたりするエンジニアもいるんだ。あ、でも先にご飯……どっか飲食店に――」
テディが立ち止まったその時、遠方からエンジン音が爆音で迫る。
「……え?」
次の瞬間、一台のクロスカントリー車が歩道に突っ込んできた。
『ドガァァン!!』
「っっぶない!?」
テディは咄嗟に跳躍し、近くのポストの上へ飛び乗る。車体はその真横を擦り抜け、石畳を削りながら急停止した。
『ナイス回避』『何で避けれるんだよ』『開始一分で治安終わってるw』
「ねーちょっと!? 私の愛車凹んだー!」
勢いよく開いた運転席のドアから、緋色の髪と小豆色の瞳が印象的な女性が降りてきた。
「今ので運転ミスですか?って聞く気なくなったんですがー?」
テディはポストの上から呆れた視線を向ける。
「は?オイ!こちとら永遠のゴールド免許だわ!てゆーかいつまで上いるの!?」
「避難って言ってくださいよ、この確信犯罪者――じゃなくて、イッサ・ヂーチンさん。お疲れ様です」
「ふふふふふふ!」
女性ブイチューバーグループ『ユニオンストリーム』所属のイッサ・ヂーチン――彼女は楽しそうに笑いながら、凹んだ車のルーフに腰掛けた。




