魔力と魔法
あれから、時間が流れた。
俺は少しずつ身体を動かせるようになっていた。
寝返りを打てるようになり、ハイハイができるようになり、そして――。
「よい……しょっ」
壁に手をつきながら、ゆっくりと身体を起こす。
まだ足元は少しふらつく。
それでも、以前のように寝たまま何もできない赤ん坊ではない。
(立てた……!)
俺は小さく拳を握った。
転生してから、もうすぐ一年。
前世の記憶を持っているとはいえ、身体の成長そのものは普通の赤ん坊と大きく変わらない。
ただ、頭の中だけは違う。
俺はこの一年間、ずっと考えていた。
――女神からもらった力。
――マイルーム。
そして、この世界そのものについて。
マイルームについては、まだ扉を開けることができていない。
歩けるようになれば使える。
そう思っていたのだが、実際にはもう一つ問題があった。
(……魔力だ)
この世界に転生してから、俺は自分の身体の中に何かがあることを感じるようになっていた。
熱とも違う。
空気とも違う。
身体の内側を流れる、不思議な力。
女神から聞いた話を思い出す。
――魔力。
この世界の人間なら誰でも持っているもの。
そして、それを使って魔法を行使する。
少なくとも俺は、そう思っていた。
だから俺は、歩けるようになるのを待ちながら、少しずつ魔力を動かす練習を始めた。
最初は何も起こらなかった。
身体の中にあるような気はする。
だが、それを外に出す方法が分からない。
(もっと……こう……)
集中する。
手のひらに力を集めるような感覚。
すると――。
ぽっ。
「……!」
目の前に、小さな光が浮かんだ。
ほんのりとした明かり。
豆電球くらいの明るさしかない。
けれど、確かに光っている。
(できた……!)
初めて魔法を使えた。
俺は興奮しながら、その小さな光を見つめた。
そして、別の日。
今度は火をイメージする。
手のひらに熱が集まる。
すると――。
ぽっ。
小さな炎が生まれた。
大きさは、ろうそくの火ほど。
少し風が吹けば消えてしまいそうな、頼りない炎だ。
(火魔法……!)
さらに水。
手のひらに意識を集中させる。
すると、ぽた。
小さな水滴が落ちた。
ぽた。
ぽた。
まるで蛇口をほんの少しだけ開いたように、水がゆっくりと出てくる。
(……これも魔法か)
光。
火。
水。
どれも、まだまだ小さなものだ。
だが、俺にとっては大きな一歩だった。
そして俺は、あることに気づいた。
(魔力って……思ったより少ないのか?)
一つの魔法を使うだけで、少し疲れる。
連続して使えば、すぐに身体がだるくなる。
今の俺はまだ一歳。
身体そのものが小さいのだから、当然なのかもしれない。
それでも――。
(魔法が使える)
その事実だけで、俺は嬉しかった。
だが、そんなある日。
俺は少し気になる光景を目にした。
「おーい、こっち持ってきてくれ」
「はいよ」
家の外から、村人たちの声が聞こえる。
俺は母さんに抱かれながら、窓の外を眺めていた。
ここは小さな村だ。
畑を耕す人。
家畜の世話をする人。
荷物を運ぶ人。
村人たちは、それぞれ仕事をしている。
そして、その中には不思議な道具を使っている人もいた。
「これ、もう少し明るくしてくれ」
「魔石を入れ替えればいいんじゃないか?」
村人が小さな道具を操作すると、淡い光が灯った。
(……魔法?)
俺は思わず目を凝らした。
だが、少し違う。
魔法を使ったときのような魔力の流れが感じられない。
道具そのものが魔力を利用して動いているようだった。
(あれが……魔道具?)
以前、父さんや母さんの会話で聞いたことがある。
魔道具。
魔力を持っている人間なら、特別な魔法を使えなくても扱える道具。
つまり――。
(魔力を持っていることと、魔法を使えることは別なのか?)
俺はそのことを確かめるため、しばらく村人たちを観察することにした。
畑で働いている人。
荷物を運んでいる人。
家の中で魔道具を使っている人。
何人もいる。
だが――。
誰一人として、魔法を使っている様子がない。
水を出すときも魔道具。
明かりをつけるときも魔道具。
火を使うときも、普通の火や道具を使っている。
(……あれ?)
俺は少しずつ違和感を覚え始めた。
魔力は誰でも持っている。
魔道具も普通に使われている。
なのに、魔法を使う人がいない。
(もしかして……)
俺は自分の小さな手を見る。
(魔法を使えるって、珍しいことなのか?)
その疑問は、すぐには答えが出なかった。
だが、俺の中では一つの結論ができつつあった。
――この世界では、魔力を持っていることは普通。
――魔道具を使えることも普通。
――しかし、魔法を使える人間はほとんどいない。
(……じゃあ、俺って結構すごいのか?)
まだ一歳。
使える魔法も、豆電球ほどの光。
ろうそくほどの火。
蛇口からポタポタ落ちる程度の水。
とても「すごい魔法」とは言えない。
それでも――。
誰も使っていないのなら話は別だ。
(……これは、誰にも言わないほうがいいかもしれない)
俺はそう考えた。
少なくとも、今は。
魔法を使えることが、この世界でどれほど珍しいことなのか。
まだ俺には分からない。
だからこそ、慎重になる必要がある。
そして、もう一つ。
俺にはまだ使っていない力がある。
目の前にあるはずの、あの扉。
――マイルーム。
歩けるようになった今なら、もしかすると。
(……そろそろ、開けられるかもしれない)
俺は小さな手を握った。
一歳になった俺の、新しい生活が始まろうとしていた。




