事案第三十号「面談」(2)
外は、粉雪が散っていた。
分厚くはない、なんなら薄く空を透かす雲から舞ってくるという、実に寒雁市三大ブリザードと知られている藍路周辺らしい空。
そんな中、前輪駆動の安い軽自動車で我が家に現れたのは、一目で上等だと解る黒いスーツに身を包んだ校長と、授業の時と同じスーツの谷先生――ヒールで来たのはTPOっていうやつだろうか。
そして、キーロックに手こずってからぱたぱた駆けてくる、副担任の福飯先生だ。
「あら。福飯先パイの姪っ子ちゃんじゃないの」
その顔を見つけた母さんが、校長や担任よりも先に、福飯先生に声を掛けた。
「お久しぶりです、まちこさん」
「あははっ! やーねえ」
快活に笑ったかと思ったが、しかし。
母さんは、緑がかった瞳をすっと細めて、まるで羅城門の楼閣で呟くかのような低い声を絞り出した。
「今は、綾街一香の母。ユリギノ女学院OGの綾街風香よ」
ひ、と息を呑む声は、担任からだ。
「母さん。こんなところで威嚇しないでよ……先生方、どうぞ、上がってください」
玄関を潜った先生方は、母さんの先導でリビングに向かう。
その最後尾の福飯先生は、ちらとわたしを見て、
「おっかないねえ」
肩をすくめた。
「先生。一応お伝えしておくと……うちの母、マジギレしてます」
「いやそうだよね……うん。はあ……」
「ふふっ。嫌そう。大丈夫ですよ、先生は、わたしの味方だと思ってますから」
「そう思ってくれてるのって綾街さんでしょう? お母さんがどう見るか」
大丈夫だって言ってるのに、信じてくれないんだなあ。
まあしょうがない。
テレビに出ているミスまちことは、違うんだから。
藍路中学PTAで猛威を振るったモンスターペアレンツ、綾街風香の姿だもの。
濃い緑のスーツに、アップにした髪は――母さんの戦闘服。
破天荒な料理研究家ミスまちこじゃなくて、実業家としての顔なんだから。
「福飯先生に延焼しそうなときは、わたしがフォローしますから」
「ううっ……頼むね、綾街さん」
がっくりと肩を落とす福飯先生の後について、リビングに入る。と。
父さんが、黒い鼈甲フレームの眼鏡を掛けて、軽自動車くらいなら買えそうなギンギラギンのごっつい腕時計をして、腕組みをしていた。
両親揃って、うちの学校の先生を威嚇しないで欲しいんだけどなあ……。
でも。
ユリギノ女学院は、寒雁市で有数のお嬢様学校なわけで。
議会議員やお医者さん、繁華街のビルのオーナーだとか、スポーツ選手だの、そういう身分のご家庭が多いはず。
それに、大正時代の女学校時代もそうだし、戦後の復興のときも、財界とかそういうところと渡り合ってきているのが、経営層なんじゃないのかな。
校長先生が頼りなく見えるのは……そういう政治的なことは、理事長先生が引き受けてるからなんだろうか。
初代校長の種生守さんから現在の理事長である木滝家が託された、揺貴屯田兵村の遺志は、校長には注入されていないのかもしれない。
母さんが戦闘モードのまま、人数分のお茶を用意している。だからわたしも、それを手伝う。
「ねえ。母さん、ちょっと殺気を抑えるとかね?」
「あら一香母さんはとっても冷静よ」
「冷静な人が入れる茶葉の量じゃないよ」
手元を見て、母さんは目を丸くした。
急須から溢れるくらいに、お茶っ葉が入っているんだから。
「あら。ありがとう一香。冷静になるわね」
にっこりと柳刀のように目を細める。それが殺気なんだってば。
嘆息。
どうなることやら、見守るしかない。
先生方にお茶をお出しして、お盆を抱えたまま傍らに腰を下ろす。
フローリングの冷たさが、お尻にダイレクトに伝わってくる。
遅れて母さんが、足音を立てずにリビングに入ってきて、父さんの前に湯飲みを置いた。ちらりと見えた色は、透明――白湯だ。
少し不満そうな顔をしてるのは、仕方ないと思うよ、父さん。さっきまであんなにむせていたんだし……。
ただその不満顔が、先生方への威嚇として作用しているみたい。
「して。此度はうちの愚娘がなにやら粗相をしたそうで。そのご説明にお見えだと伺いましたが」
なんだか威厳があるように振る舞う会社員。ちょっと面白いけど、笑うわけにいかない。顔を俯かせて、前髪を垂らす。
「わざわざ担任の先生と、校長先生が。どのようなご用でしょうか」
「……ええ、綾街一香さんにつきまして、ご説明をと」
「うちの娘が、不純異性交遊をしていたと」
ぐっと、校長が奥歯を噛みしめた。
「いえ。そのような疑惑があった中で、お嬢様が学校側にしっかりと説明をされておりましたので、その件については、もう」
「もう?」
母さんの声は、学校近くの牧場で聞くよりも、低い響きだった。
「娘から聞いた話では、男とセックスしたって因縁を付けられて、スカートの中を暴こうとしたと」
「ごっ! 誤解です!」
母さんはきっと、あえて誇張してるんだろうけど。それって良いことなんだろうか。
「何が誤解なんですか高校一年生という多感な年頃の女子ではあっても性的な興味があるとも限らないというのにどこが出所かわからない流言に惑わされたのが今のユリギノ女学院の体制ですよねその申し開きに来たというのであれば娘の名誉は完璧に回復したのでしょうし悪質なデマを流した人間には最大限の処罰を決定した上でその説明にいらしたのでしょう?」
母さんが言っていることは、わたしが職員会議でスカートを脱いだ前後に主張したことを、保護者の視点で言い直しただけのように思える。
それなのに、校長がタジタジになっているのは、なんだか、興ざめ感がある。
一方で担任は「あのっ!」と声を上げた。勇気あるなあ、と思う。
「お母様は、ユリギノ女学院のOGでいらっしゃるということで、内情にも明るいのでしょうが……」
「内情に明るいも何も夏にフクイモモノ先パイと私に講演させてくれたでしょうテレビの取材混じりだったとしても覚えてないわけないわよね」
吐息。
「ねえ?」
視線を向けられた福飯先生が、「はい!」と反射で大声を上げた。
「そもそも何をしに来たのかが不明瞭なのよねうちの娘が公衆の面前で制服を脱ぎ散らかしたからそれを咎めに来たって言う方がまだ戦い甲斐があるんだけどそうでもないのでしょう?」
「はあ、お嬢様は確かに、あの、スカートを……しかしそれは私どもが不当に性的関係を示唆してしまい、正当に無罪を主張される中での……」
「高校一年生が無罪を主張するために制服を脱いで性器を曝け出すなんてそんなこと信じられる保護者がどこかにいるんだったら連れてきなさい!」
ほんとだよね。
母さんが激昂するのはわかるよ。同じ女としてあり得ないことを、娘がしたって言われてるんだから。
でも。
「母さん。そこまでやってない」
「あらそうなの失礼したわね申し訳ございません早とちりしてしまいましたわ」
すっと引くあたり、人格がいくつもあるのかと不安になる。これを演技でやってるんだったら、母さんは年明けから月曜九時のドラマに出演したほうがいい。
「風香さん、落ち着いて」
父さんが、母さんの肩に手を置いた。
その仕草は落ち着いた大人そのもので、一回りかそれ以上年上であろう校長先生よりも、大きく見える。
「娘から、何があったのか、聞いてはおりますが。保護者としては、不純異性交遊の禁止という校則を犯す、不良生徒の疑いを向けられたことによって、特待生として、あるいはユリギノ女学院の生徒として相応しくないと、烙印を押されたのではないかと危惧しております。そのことについて、ご説明にいらしたのですよね?」
静かな声だ。
今までの母さんのマシンガントークは、この重厚さを際立たせるためだけのためにあったのだと言っても過言じゃないってくらい、心にすっと入ってくる。
いや、過言か。父さんが着いてこられてなかっただけだし。
「まず、単刀直入に本題をお話しすべきでしょうか……職員会議において、綾街一香さんの特待生資格につきましては、処分不要ということになりました。保留ではなく、処分しないということでございます」
額に浮いた汗をハンカチで拭きながら、校長先生はそう言った。
「校則違反の疑いについては、別の生徒……ええと、本件に関係のある生徒ではありますが、発端となったことも含めて、真相を突き止められておりまして。同性愛者であるとか、ご両親の権威を笠に着たというデマについても、正式に否定されていることを、ご報告したく」
「本件に関係のある生徒というのは、秋穂さんのお嬢さんでしょうか?」
父さんの口からその名前が出たことで、校長は少しだけ目を見開いた。
「娘から、仲の良い先輩がいると聞いています。そして、私は先日、秋穂さんの親御さんと会食をいたしました」
先日っていうか昨日なんだけど。
わたしが席を外している間なのか、父さんがたがふたりで焼き鳥屋さんにいた時なのかはわからないけれども、意見交換がされていたんだろう。
……わたしが、今回の件をあまりふたりに話していない間に、それぞれのネットワークで情報が集まってしまっていた。
これはあとで、怒られる必要があるよね。ホウレンソウ、できていなかったのだから。
会話が大事だと、かつてわたしは、母さんに言ったんだけど。それを、わたしがないがしろにしてしまっていたのかもしれない。
「いかにも、秋穂白瀬さんを中心として、悪質なビラがデマであったという証拠が提出されておりました。それを、生徒指導部が握りつぶしていたことが判明いたしましたので……この後、秋穂さんのお家にも謝罪に伺わせていただくこととなっております」
「えっ。先パイが」
口を挟んでしまった。
でも、そんなこと、聞いていないと思う。白瀬先パイが、そこまで動いていただなんて。
「綾街さん。職員会議に貴女と秋穂さんが呼ばれる前には、秋穂さんはビラを作った犯人を、突き止めていたの」
担任が、鞄からクリアファイルを取り出した。
そこには、コピー用紙一枚にまとめられた、経緯の報告書が挟まれている。
一年普通科特進コースの某生徒が、綾街一香さんに好意を伝えたが思ったとおりにならず、その腹いせとしてビラを作成した。
もとより孤立している彼女がさらに立場を無くしたところに、付け入るつもりであった。
――ということが、端的に書かれている。
こんな書類を、白瀬先パイが作ることができたとは思えない。
脳裏に、神出鬼没な先輩の姿が浮かぶ。
きっと、神野先輩が、一枚噛んでるんだろう。だから白瀬先パイはあのとき、わたしとりりちゃんだけじゃなく、神野先輩を同席させたんだ。
「なんで……こんなこと……」
声が、震えた。
「綾街さん。貴女がひとりでいることが多いことは、私たちも把握していたのに……ごめんなさい」
福飯先生が、肩を抱いてくる。
けど、違う。そこじゃない。
白瀬先パイは、どうしてそんな危険なことをしたんだ。
もしも犯人が大人だったなら。
はっきりと書かれていないけど、今回の下手人はわたしのクラスの、芝崎さん。彼女は社交的で、演劇部にもいて、どんな影響力があるかわからないのに。
もしも調べる中で、脅迫があっただなんて悪評がばらまかれちゃったりしたら、白瀬先パイの立場が危うくなるに決まってるのに。
校長先生が、わたしの目の前で、床に手を突いた。そして、深く頭を下げる。
「綾街一香さん。教員の不手際、生徒の指導不足、重ねてお詫びいたします」
「……はい」
「そして、お父様。お母様。お預かりしている大切なご令嬢を、深く傷つけてしまったこと、お詫びのしようがございません。しかしながら本件は、揺貴女学校開校以来の大スキャンダルであるとして、関係教員及び生徒の処分をお約束いたします」
うん、と父さんと母さんは頷いている。
だけど。
「それじゃあ、ダメです」
わたしは、納得ができない。
「幾杉先生の、行き過ぎた指導は、どうなるんですか」
「行き過ぎた……?」
校長が狼狽える。
わたしからそんな言葉が出るなんて、想定していなかったんだろう。
「本来だったら、特待生資格が喪失しなくてもよかった人や、高校生活をふいにした人もいたと思います」
「綾街さん。それは、秋穂さんのこと? 職員会議のときにも言っていた」
福飯先生の確認に、わたしは首を縦に振って返す。
「秋穂先輩だけに限らず、近年の記録に残っている限りの、ユリギノ女学院生のことを、改めて確認してください。そしてそのうえで、過大な処分だったと認められた場合には、最低限、謝罪があってしかるべきではないでしょうか」
一息。
「かつての天下人ですら、あやまちを認め臣従することでしか家名を存続しえなかったのです。それと比べれば、過大な要求ではないと、わたしは思っています」
一瞬の間。
その空白は、社会科の教諭である福飯先生が「そうか」と頷くのに十分な時間だった。
「自らが人質になった経験を持ち、我が子を人質に差し出したとしても、大義のためには……と、綾街さんは言いたいのかしら?」
「そこまで過激なことを言ったつもりはありません。だけど、そうですね……わたしは、わたしの名誉だけであれば、すでに回復していただいたと思います。婦人科にも行かず、下着まで脱ぐ必要もなく信じていただけたのだと。だけど、それはあくまでもわたしだけの話です」
わたしの大切な先パイを傷つけ、そして今回の騒動でも錆びたナイフで刺したような学校側の対応に、憤りを覚えているんだ。
回復すべきは、秋穂白瀬というわたしの大好きな先パイの名誉。
わたしが知らないうちに、わたしのために汗を掻き危険を冒してくれた、先パイの名誉だ。
わたしはそっと、一枚のメモを福飯先生に渡す。
「以前、見ていただいたメモですけど……わたしから望む最低限は、秋穂先輩の名誉の回復です」
「このメモ……理事長の文字ですね」
福飯先生が中身を検めて、声を上げた。
「校長先生。幾杉先生の生徒指導は、行き過ぎだったのではないでしょうか」
その進言に、校長先生はううむとひとつ唸る。
「今この場で即答はできないが……」
ちらりと見たのは、母さんの顔色か。
気付いた母さんはにこりと、笑む。
「いいのよ私だって虎の威を借りるからOG会に影響力のあるフクイモモノ大先輩の力を使わせてもらうし寒雁の財界に影響力のある古佐はPTAにだって顔が利くわけだしそもそもあのふたりが握っている情報と一香の調べた揺貴村の歴史は学校側ですら秘匿したい情報なのは間違いないしいくらでもカードはあるんだから」
母さんの物言いに、まだ伏せたままのカードがあることに先生方は気付いているのだろうか。
いや、正確にはもう場に出ていて、それがいつでも切り直すことができるもの。
わたしへの疑惑にあった、芸能人の親の影響力というものだ。
インフルエンサーで、全国区のゴールデン番組に顔が出ていて、これからプロデュースするレストランが開業間近という話題性のある芸能人。それが、ミスまちこなんだから。
母校が、不当に我が娘を貶めた――そんなカードが切られるの、学校側は恐れているはず。それを今、この場にいる三人の先生方が意識しているのかどうか。
◆
校長先生らが我が家を出たのは、正午を回った頃だった。
「なんだか疲れたな」
「お父さんなんて最後の方空気だったじゃないのよ一香が頑張らなくていいように私たちがいるっていうのになにしてるの!」
「母さんの攻撃が早すぎるし、一香の覚悟がキマりすぎてるんだよ……」
力なく肩を落とす父さんに、なんだか悪いことをしちゃったなあ、なんて思いながら。
わたしは、せっかくの家族三人が揃った年末の空気がうれしくて。
「そんなことより、おせちの買い出しに行こう?」
そう言って、ふたりの手を取る。
それしかできない娘だから。




