事案第三十号「面談」(1)
十二月三十日。
学校はとっくに冬休みに入っていて、先生方だって年末年始休暇に入っているはずの時期だというのに。
朝の九時から、わたしの携帯電話に着信があった。
「あの、もしもし?」
『わたくし、ユリギノ女学院の木滝と申します』
その声に、名乗りに、わたしは一気に背筋が伸びた。
「り、理事長先生でしょうか……?」
『ああ、その反応は一香さんかな? 申し訳ないね、谷先生から連絡先を聞いてしまいました』
何かあったのだろうかと思い、そういえば、と思い至る。
白瀬先パイの個人情報を漏洩させた件について調べると、約束していただいていたのだ。
「何か進展があったんでしょうか」
『申し訳ない。君が期待している方には進展がないのだがね』
ため息が受話器に当たって、ぶぼぼわんとスピーカーを震わせた。思わず耳を離してしまったところに、『ああ、すまない』と謝りの言葉。
『昨晩に、谷先生から電話が行っていたと思うのだが。お母さん宛に』
「母に、ですか……? いえ、聞いてませんが」
答えてから気が付く。
学校から着信があったじゃないか。
「ひょっとしてあの深夜の電話って、谷先生からなんですか?」
『うむ……もう寝てしまったかと思って諦めたと、今朝になって報告を受けたよ』
実際はまだ起きていたけれども、担任としてはなんとしても連絡を入れたいがために電話をくれていたということなんだろうか。
でもそのおかげで、いや、そのせいで担任は学校に報告しなくちゃいけなくなって、そうして出てきたのが理事長先生だったのだろう。
『実はだね、綾街さん。校長を筆頭にした職員会議に出ただろう? その件について、ご家庭に伺ってご説明申し上げるべきだという意見があってね。ただ、谷先生によれば、ご両親はご在宅であることがほとんどないと』
何を両親に言うつもりなのだろうか。
『それがね、お母さんのブログを見ると、君らしき娘さんと一緒に写っている写真があるじゃないか。ということは、こちらにいらっしゃるのかな? と思ったという次第で――今頃、校長からお母さんの電話に、その旨ご説明していると思う』
「つまり、理事長先生は学校の動きとは別に、わたし宛でコンタクトをしているんですか?」
『そのとおり』
なんてこった。
これは、大事な気がしてきた。
◆
ひとまず寝ぼけ眼の父さんをたたき起こしてシャワーを浴びてもらい、母さんには身だしなみを整えてもらい、そしてその間にリビングの掃除を始める。
「校長先生が来るだなんて一香あんたなにしたの!」
「しらないよっ」
ドタバタしながらの支度は滞りなく進み、約束の十一時まであと三十分。
父さんはスーツとまでは言わずとも、Tシャツにジャケットという仕事スタイルだし。母さんは薄く化粧をして来客モードだ。
とりあえず落ち着けるようにと、母さんが淹れてくれたお茶を前に、三人で認識を合わせる会議を開いた。
「父さんと母さんに言ってなかったかもだけど、わたし、職員会議に呼ばれたりしたんだよね」
父さんが急にお茶をむせたが、続ける。
「なんかね、クラスでわたしがレズビアンだとか、芸能人の親の力を使って誰かを脅してるみたいなビラがあったりして」
また父さんがむせた。
「随分、陰湿な嫌がらせねえ……」
母さんにしては本当に珍しく、しっとりとした感想を漏らす。
「それで……まあ、そんなことをしないと思うけど、どうなったんだい?」
「うーん。不純異性交遊をしているとか、そんな疑惑もあって。あ、もちろんわたし、彼氏とかいないし援交もする気ないし、そもそもこんなちんちくりんを相手にする男の人がいると思ってないから安心して?」
両親に自分の身体の出来映えを評価して伝えるのは、ちょっとだけ気が引ける。
背が低い――公称百五十センチは十分満足しているし、肉付きが少ないのも将来的に介護が必要になったって介護士さんの負担も少なかろうから。
不満があるとしたら、その辺のファッションセンターでインナー付き下着が身体に合わないってところくらいだ。
「んんっ。……一香、君のことはとても魅力的だと思う人が、近くにいるだろう?」
父さんが言いにくそうに言う。気を使わせて本当にごめんと思いながら質問に答える。
「父さんが知ってそうな人だったら、白瀬先パイだと思うんだけど。先パイのお父様が、そんなことを言ってたの?」
「ああ、うん。秋穂さんと娘さん達は、女の子の趣味が一緒だって」
……つまり。
いや、やめよう。母さんの顔が真っ赤だ。
「それでね、昨日の十一時に電話してきたのは担任の谷先生みたいなんだけど。とんでもないブラック職場にしちゃったのは、わたしのせいかもしれないんだ」
「ほとんど間違いないと思うけどね……一香、話をまとめてもいいかい?」
父さんは、ここ最近のわたしに起きたことを整理した。
レズビアン疑惑などが書かれたビラが撒かれた事件。
白瀬先パイが元特待生だと幾杉先生から知らされた件と、その個人情報漏洩について調査するよう約束したメモをもらったこと。
職員会議で不純異性交遊の疑いを晴らしたこと。
「生徒指導部の幾杉先生っていうひとが、なかなか厄介で。だからわたし、幾杉先生の名前で婦人科を予約しろーとか、職員会議の最中にスカートを脱いでやって本当に男の人とそういうことをしたのか確認しろーとか、迫ったんだよね」
父さんは頭を抱えて、けほけほと咳込んでいる。そんなにもお茶のダメージが強かったらしい。
一方の母さんは、さっきから腕を組んでじっと黙ってるのが、なんだか怖い。
「あの。母さん……わたし、何か間違った?」
「改めて聞くとひどい話だわと思って」
「改めて?」
「一香に紹介した古佐っていたでしょうあの子ってまだユリギノと付き合いがあるから色々と話が入ってくるそうなんだけど職員会議のあった部屋でスカートを下ろした生徒がいるとかなんとか面白おかしく連絡くれてねまさかかわいい娘がそんなことになっているだなんて気付けなくて母さん本当に辛い」
切れ長の瞳が、刺身包丁みたいに鋭く細められる。
わたしと同じ榛色のはずなのに、冷たさの質が全然違って感じる。
「それで校長が来るっていう理由が母さんがブログを更新したからっていうんだから本当に何を考えているのかしら」
「まだ処分が下りてないから、父さんや母さんに連絡するっていうタイミングじゃなかったんじゃないの?」
わたしが推測? フォロー? を入れると、間髪を入れずに父さんが「それは違うよ」と遮った。
「学校の経営者であれば、まずは保護者に連絡すべきだ。確かに父さんはあまり家にいないし、母さんだって普段は東京。家庭環境に問題があるんだと学校側が見ていても仕方がない」
だけどと、ひとつ吐息を挟む。
「だったらより、預かっている大切な娘さんにこれこれこういうことが起きていますと、担任の先生なりから連絡を寄越すのが、正当じゃないのかな? どう思う、母さん」
「私は古佐からゴタゴタしていて私たちのゴムの乱前夜みたいな空気だよって言われててわくわくしていたんだけれどもその中心が一香だというのならもう徹底的に戦え何なら援護射撃してやるわという気持ちだけれどもそれはおいといて先生方が保護者に連絡しないというのは本当に面白くないわね母さんが在学中はもっとしっかりしていた気がするんだけどやっぱり代を重ねるごとに質が落ちてしまうのかしらねハァーッ嘆かわしい!」
大仰に天を仰いで、そして、母さんはにやっと笑ってわたしを見つめる。
不穏だ。
絶対に何か、悪いことを考えている顔。
「母さんがブログに書いたりレストランの開業記念のインタビューで記者に何か言ったら一発で大事にできるけど?」
「それはやめて」
やっぱり!
「母さん。それと、父さん。わたしはね、ユリギノ女学院が好きで受けて、別に望んじゃいなかったけど特待生に選ばれた。これは幸運なことだと思ってるの。だからその幸運を大事にしたいから、ユリギノさんに――女神さまに、品行方正に生きて行きますって誓ってるつもり。それが壊れちゃいそうなのは、ちょっとなって思うよ」
それは偽らざる本心。
だから、どれだけ白瀬先パイと心を通わせたって唇を重ねたって、お付き合いしましょうという関係に至らないでいるんだし。
特待生であれば家計に負担も掛けないんだし。
だけど。
「それが、学校側から壊れていくんだったら、まずはわたしが戦うべきだと思うの。校則がおかしいなら解釈を糺すし、必要があれば改正するように学校側に申し入れる。そのためのカードと、材料はもう手の内にあるの」
「さっすが、わが娘!」
母さんが快哉を叫んだ。
「我が子ながら、過激に育っちゃったなあ……」
父さんが冷や汗を掻きながら、お茶を飲もうとしてまたむせた。
時間は、十時五十五分。
インターホンが、鳴ったのだ。




