事案第二十九号「摂取量」(2)
『うちのねーちゃんが拾いに行きたいって言ってる』
――お母様でも、輝美さんでも、どちらでもいいかもです。
『なんかあったの?』
――母が帰ってきて、ちょっとした面白空間が出来てます。
『なにそれ見たい』
白瀬先パイとのメッセージのやりとりをしながら、キッチンで座りながら大人たちの会話に耳をそばだてている。
素面の母さんは相変わらずのマシンガントークで父さんと白瀬先パイのお父様を圧倒して、そしてジンギス豚を白米でもりもり行っている。
一方の父さんは苦笑しながらサーモンのカルパッチョを摘まみ、お父様のほうはそば湯をちまちま啜る。
『うちのかーちゃんがそっちに向かったわ』
――わかりました。お伝えしておきますね。
そう返信したのは十分前。
たぶん白瀬先パイの連絡が遅かったんだろう。チャイムが今、鳴った。
「ごめんね、一香ちゃん。ご迷惑おかけしちゃって」
「いえ、こちらこそ父が無理に飲ませてしまったみたいで」
お茶でも出そうと家の中に入ってもらうと、そこには、
「そもそもお父さんが飲ませすぎなのも良くないのよ連れてくるなら先に言っておいてあげないと一香も困るでしょうあり合わせでこんな豪華な夜食を作ってくれる娘なんてそうそういないのよ」
「そういう母さんだって、事前にいつ帰ってくるのか教えてくれないと」
「……ミスまちこっ!」
白瀬先パイお母様ははっと息を呑んだ。
「ね、ねえ……本物? 一香ちゃん!」
「ええ。先ほど帰ってきました」
「え、美味しそうな料理は、ミスまちこお手製?」
「わたしが作りました」
大した料理ではないけれども、それでもお母様は「すごい、すごい」と誉めてくれる。
「あら? そちらは」
母さんが気が付いてこちらを見る。遅れて、父さんも。
「あ、秋穂みちると言いまして、そこの酔っ払いの妻でございます」
「あらら奥さん! 一緒にどうかしらうちの愚娘の料理でございますけれども」
「いえいえ、そこのポンコツを連れて帰らなきゃいけないので」
遠慮しようとするところを、母さんが立ち上がりその腕を掴んでテーブルに着かせる。
「旦那さんもまだお蕎麦食べ終わってないわけだし奥さんも疲れてるでしょうから本当にうちは迷惑じゃないからそちらがご迷惑じゃなければね?」
勢いに押されている。
やっぱりうちは押しが強すぎるんだろう。
是も非もなく家に連れ込み、テーブルに座らせて、娘の料理を食べさせる。
なんだろう。ヘンゼルとグレーテルの大人版なのかな。
ともあれ、母さん用に作った料理だけじゃ足りなさそうだから、冷蔵庫を開けて何があるか確認する。夕飯を食べてらっしゃるだろうから、板ノリとスライスチーズで明太子を巻いたものを量産して、ピックで止めて皿に載せる。まあまあかわいい。
「あの。お茶請け代わりにどうぞ」
「気を使わなくていいのに、一香ちゃん! 急にお邪魔しちゃって本当に申し訳ないわ」
「いえ。むしろうちの両親が申し訳ないです。辛いものがお嫌いじゃなければ、味見と思って試してみてください」
反応を見る前にキッチンに戻る。そろそろ仕込んでいたものを出せそうな音が聞こえたのだ。
湯剥きしたトマトに、白だしのあんを掛け、カルパッチョに使って余った大葉とみょうが、白ゴマを散らす。
「父さんと、お父様もどうぞ。リコピンで二日酔い対策して、暖まってください」
「綾街さん、僕は小料理屋に連れてきて貰ったのかな」
「ぬははっ! うちの自慢の娘ですよ!」
「ああ、心の底から、うちの娘どっちかのお嫁さんにきてほしいなあ」
なんか照れくさいことを言っているお父様の方には向けず、とりあえず黙ってノンアルコールのハイボールを、お母様のほうに出す。
「父が飲まないので、ここで飲むか持って帰るかしてくれませんか?」
「一香ちゃん……貴女、高校生なんだからこんなに気を使わなくたっていいのに」
白瀬先パイのお母様が困り眉になってまで言いたいことも、わからなくはない。
家のことなのに、母親もいるのに、どうして子どもがやるんだってところだろう。
だけど、綾街家の家事全般は、わたしが預かってるんだから。これは、娘だからとかじゃなくって、日頃忙しい父さんと、家にいない母さんのかわりになりたいと、わたしが願ったこと。
だから。
「人のためにお料理出来る隙があるなら、やりたいんです」
わたしがわたしのためにやっているのだと、白瀬先パイのお母様に伝えたかった。
「……そう。じゃあ、いただくわね」
摘まんでくれたので、そこでわたしは満足する。
感想なんて聞かずに、大人達の宴会から離れるように。
部屋に戻って、携帯電話を見ると。白瀬先パイから、メッセージが届いていた。
『帰りが遅いけどひょっとして、そっちで宴会になってる?』
――明日何事もないなら、お二方とも泊まって行かれたらいいなって思いますよ。
『それはさすがに』
白瀬先パイの苦笑が目に見えるようだ。
いくつかのメッセージをやりとりしていると、階下から盛大な笑い声が聞こえて来る。親同士、仲良くやっているらしい。
予定していた課題の消化はできないけれども、それもそれで、うれしい冬休みでうれしいんだ。
◇
秋穂夫妻をお見送りしたのは、夜十一時を回った頃だった。
普通に宴会を楽しんだくらいの時間を経て。サプライズに満ちた一家団欒の時間がやってきた。
わたしは食器を洗い、母さんはさっとシャワーを浴びて髪を乾かし、父さんは良いウィスキーをロックグラスの中の丸氷と馴染ませている。
「母さん、一か月くらいこっちにいるってさ」
「そうなんだ。うれしいね」
「うーん、うん。そうなんだよな」
「なあに、父さん。含みがあるけれど」
父さんは少し、険しい顔をしてグラスに口を付ける。眉をむっと詰め、吐息。
「今回は帰ってくるって言う連絡を、もらっていなかったからね」
「ああ、わたしに電話くれたもんね。急遽決まったんでしょ?」
「そういう時でも、父さんにはメールなりくれてたのになあ、って。寂しくなったんだよ」
なんだ、そんなことで拗ねていたんだとおかしくなった。
「それって、わたしが思ってたことだよ」
「一香が?」
「そう。夏ごろまで、母さんってわたしに連絡をくれなかったじゃない? 全部父さん越しで……すごく、寂しかったんだよ」
洗い物を終えて、父さんの隣に座る。
少しお酒くさいけれど、家にいてくれるだけでうれしい。お酒くさいけど。
「それよりも、父さん。母さん、お正月が明けても、こっちにいるみたいだし、すっごく久しぶりに三人で年越しだよ? 豪華なおせち作らなきゃ」
「ん? ああ、そうだね。明日は買い出しに行こうか」
「やった! 腕によりをかけるからね!」
わたしが意気込むのを見て、父さんは微妙に渋い顔をした。まるで、強いアルコールを飲んだみたいな。
「……母さんがいるんだから、母さんに任せようとは思わないのか?」
なんだか変なことを聞かれている気がする。
「一緒にお料理したいなとは思うけど、でも綾街家の家事はわたしが引き受けてるんだから」
「まだ高校生なんだから……」
「そんなことを言うんだったら、父さんは仕事量をセーブしてよね」
ずるい言い方なのはわかってる。
わたしを私立のお嬢様学校に通わせられるのは、父さんの頑張りの賜物だってことは。
特待生として授業料が免除されているって言ったって、制服や教科書が支給されるって言ったって、芸術鑑賞会みたいなイベントは実費だし、指定のお高いブラウスは消耗品扱いで実費だし、決して家計への負担が無いわけじゃない。
だというのに。
わたしは子どもだから、父が家にいるという事実をうれしく思ってしまうのだ。
そしてそれがなるべく多くあるといいなって思って、こんなわがままを言ってしまう。
「父さんがもう少し出世したら、逆に仕事が楽になるんだろうけどなあ。母さんが不安定な仕事だから、父さんが安定させなくちゃね」
「そう言って、身体を壊したら元も子もないんだからね?」
「来年は草野球でも始めようかな」
「そうして。運動しないとね」
なんて笑い合うと、パジャマに着替えた母さんがリビングに来た。
難しい顔で携帯電話を覗き込んでいたかと思えば、「ねえ一香」と、珍しく慎重な感じで話掛けてきた。
「この電話番号、心当たりある?」
見せられたのは、市内からの電話だ。
父さんがすぐに調べ始め、
「一香の学校だねえ」
「学校から? こんな時間に?」
着信時間は、夜十一時を回っている。
「まだ学校に先生がいるの? すごいわねえ」
感心したように言う母さんだったが、すぐに携帯電話を放り投げた。
「かけ直さなくていいのかい?」
「いいのようお父さん。こんな時間に折り返したって普通は出るわけがないんだし緊急の用事ならまた電話が掛かってくるでしょ」
母さんがそう言って放置する以上、わたしにも父さんにもどうしようもなくて。
結果として、十二月三十日。かなりの忙しさに見舞われる日に、騒動に繋がるのだった。




