事案第二十九号「摂取量」(1)
事案第二十九号「摂取量」
輝美さんが帰ってから、夕飯の支度を始めた。
しなしなになりそうなお野菜を、適当に切って、適当に炒めて、適当に煮込んだ。霜のついたシーフードミックスを塩水で解凍してぶち込んで、賞味期限が切れそうなカレールウを割り入れて、とろみがつくまで煮る。
その間にお湯を沸かして、うどんを茹でる。
出来上がったカレーはめんつゆで割って、カレーうどん。
髪をまとめて、さあ食べようというその瞬間、着信があった。
母さんからだ。
『やっほー! 今夜のご飯決めたのかしら母さんは今秋田にいるんだけど食べる時間がぜんぜん取れなくってコンビニの菓子パン!』
「カレーうどんできたばっかりだから、食べながらでいい?」
返事を待つよりも早く、すすり始める。
ちゅるるっという音は、スピーカーモードにしたからきっと届いていることだろう。
『あらーいいわねいつもの乾麺かしらカレーの匂いだけでお腹空いちゃうわ』
「匂いまで届いてるんだね。んむんむ」
『ああそうそうそれで本題なんだけど今夜家にいるわねいてくれないと困るんだけど』
「わたしはいるけど、父さんは朝日駅で飲んでるよ。代行使うから終電逃すのかも」
『あらあそれじゃあお迎え頼めないわねえ』
マシンガントークの間に相づちを挟みながら食べ進めていたわたしは、一瞬、その意味を理解しかねた。
なんのお迎え?
「母さんが……空港にいて、お迎えを欲している……?」
『そうよーでも今夜はホテル泊かしら飛行場からバスが出てる時間に着陸出来たらいいんだけどあの路線って一時間に一本の線でしょう』
「タクシーで地下鉄の境町まで行けたら北藍駅まで来られないかな……」
いけない。実感が湧かなくって、反射で喋ってる。うどんの麺もテーブルの上で力なく横たわってるし、どうしよう。
うれしいな。
「母さん、なんとしても帰ってきてよ! 父さんので良かったらビールも冷やしておくし、野菜はカレーに入れちゃったから無いけど、リクエストどおりにご飯作るから!」
「あら本当? うれしいわーじゃあ冷凍庫に丸いラムあったらささっと焼いてポン酢とジンたれで食べたいわねえ」
「豚肉とジンたれはあるからジンギス豚にしておくね! 到着時間に合わせてお風呂も準備する!」
『了解よ~ああそろそろ保安検査行かなくちゃだわ着陸したらメールするわねー!』
ぶちっと電話が切られたけど、一大事だ。
飛行機にはあまり乗らないけど、調べる術は心得てる。
秋田にいて、保安検査ギリギリ。
じゃあ、着陸は夜八時くらいの便か。確かにバスは無いけど三十分も歩いたら境町に着くし、タクシーなら十分くらいかな。徒歩だと荷物が多かったり冬眠してないヒグマが現れたら危険だけど。
境町に着いちゃえば、北藍駅まで来られる。夜九時過ぎには、帰ってくるよ!
「やったー! 買い物行かなくっちゃ!」
少し冷めたカレーうどんを飲む勢いで平らげて、器を潤かして、コートとお財布をひっつかんで家を飛び出した。
◆
買い物から帰って、冷蔵庫に中身を突っ込んで。
急いでシャワーを浴びたらじっくりと一時間はかけて髪を整えて、すでに八時。
そこから、買ってきたタマネギともやしを豚肉に合わせて、ジンギスカンのタレで焼いていく。お味噌汁はマイタケを水から茹でて出汁を出し、たっぷりのネギでボリュームを増やす。
もう一品作れる。
山わさびをおろして、薄切りにしたサーモンの上に散らして、青ネギ、ミョウガ、大葉を添える。レモン風味のオリーブオイルを垂らして、仕上げにポン酢で和風カルパッチョ。
一通り、準備が出来たなあ、なんて思ったそのタイミングで、インターホンが鳴った。
ひょっとして、母さんってば鍵を持ってくるのを忘れたのかな?
――そう思って出てみると。
「一香、ありがとう。開けてくれて」
そう言ったのは、父さんだった。
「えっ。どうしたの?」
「ちょっと手伝ってくれないか? 車に、あいおさんがいるんだ」
あいおさん? 秋穂さん、だ!
なんで?
見ると、確かに後部座席に、白瀬先パイのお父様が寝ていて。
「住所がわからないから連れてきちゃった……」
「……わたしに連絡くれたら、ご家族とやりとりできたのに」
「そういやそうだったねえ……」
車の中に放置するわけにもいかないし、連れて帰ってきちゃった以上どうにかするしかなくって。
父さんの手助けをして、ソファまで連れ込んだ。
日中、輝美さんが痴話喧嘩の電話をしていたところだ。
昼と夜で、他人の家で失態を犯せる秋穂父娘……ああ、いやいや、失礼なことを思ってしまった。
とりあえず水を汲んで父さんに渡し、ちょっと考えて、白瀬先パイに連絡を入れた。先パイのお父様が、うちで酔いつぶれているよ、と。
「そんなに飲ませたの?」
「いや、なんかね……白瀬ちゃんが真剣になっているのが嬉しいって言ってたよ」
飲ませたかどうか、の質問への返事として返ってきたのは、柔和な笑顔。
「一生懸命、高校生活を楽しんでいるんだね、一香」
「いや、まあ、そうかもしれないけど……」
「言いたいことはわかるよ。秋穂さん、あまりお酒に強くなかったみたいで、そこは父さんのミスだ」
自覚があるなら良いんだけど……。
父さんは延々ビールを飲み続けてもケロッとしているタイプだし、わたしが生まれる前には五次会まで同じペースでビールを飲み続けていたそうだし。
それが、いわゆるザルだということはわかる。
飲み放題百二十分で千五百円。ビール一杯五百円。百二十分で三杯は飲むんだろう。五軒はしごして、十五杯。アルコール度数五パーセント。
だから二日酔いでぐったりしている朝が未だにあるんだろうけど。
今夜に限って言えば、一次会で終わった、という時間。節度を持って飲んでくれていたんだろうか。
「あ、そういえば。おつゆ作ってるけど、食べる?」
「うれしいなあ。もらえるかい?」
父さんのうれしそうな顔を見て、キッチンに向かう。
明日の朝に食べる分と思って、お味噌汁を多めに作っておいてよかった。
火に掛けて温めている間に、鍋で湯を沸かしておそばを茹でる。
「小腹が空いてるころ、でしょ?」
「一香は飲んべえの気持ちがわかってるねえ」
うれしそうな父さんのため、ってわけじゃないけど。乾麺が常備されてるってだけだけど。
ささっと一束を茹でてしまったけど、全部は多いだろうから半分だけお椀に盛る。そこに卵を落として、めんつゆをとろっとかける。釜玉風だ。
できあがったところで、「あれ?」と声が聞こえた。
「秋穂さん、起きた? 住所がわからなかったから、連れてきちゃった」
父さんが話しかけている。それなら、ちょっとだけわたしが食べちゃおうかなって思ってた半束のおそばは、お客人用だった、ってことにしておこう。
「ああ、申し訳ない……妻に迎えに来てもらわなきゃ」
慌てて携帯電話を探し始める白瀬先パイのお父様に、釜玉そばを出す。
「お疲れ様です。お蕎麦、食べられそうですか?」
「一香ちゃん……ああ、申し訳ないねえ……戴いていいのかい?」
「もちろんです。お味噌汁もあります。食い合わせ悪そうですけど、二日酔い対策にいいと思うので。あ、そば湯もありますから、言ってください」
「そば湯があるなら、そば湯割りをもらおうかなあ」
父さんがとんでもないことを言い始めたので、ひとにらみして、縮こまったところにハイボールを作って出してあげる。
「これで最後にしてね!」
「そば湯割りは……」
「焼酎なんてストックないよ。ハイボールだっていいでしょ」
物言いが母さんっぽいなって思ってたら、お父様がくすくすと笑い始めた。
「一香さんは、家だとそういう感じなんだね」
あ、ちょっと恥ずかしい。
でも、お蕎麦をひとくち啜って「うん、美味しい」と言ってくれるのは、とてもうれしく思う。
なんて、不思議な空間は。
「ただいまー!」
母さんの帰宅によるパニックと共にかき回された。




