事案第二十八号「総和百八十度」(3)
「いいですか、輝美さん。髪のためにお話しすると、サウナなんて日頃から言語道断なのですが、カラーを入れて定着する前にミネラルに触れさせるのも良くありません。なので髪が濡れないようにしっかりとアップにしていただいて。タオルもお貸しします。大丈夫、わたしもトリートメント直後だけど濡れないようにする術を心得てますから。帰りにうちに寄ってもらえれば、ハイパワーなドライヤーと、わたしのオイルとミストでケアもデキます。繰り返しますけどサウナなんて入ったらせっかく赤く染めて素敵なのに、変な色になっちゃったり毛先がぼろぼろになっちゃうんですから。わたしの髪を綺麗というなら信じてください」
「ア、ハイ」
脱衣所で熱弁を振るった結果、輝美さんはサウナを諦めてくれたようだった。
ぎゅっと髪をタオルでまとめてあげて、ようやく輝美さんを洗い場に連行する。
「わたしの使ってるスポンジでいいですか? 嫌なら素手でお背中を流します」
「え、いいよ。気分でやるよ」
「いけません。せっかくきれいな背中なのに。それとも」
一息。
そっと耳元に口唇を寄せる。
「高校生相手に、ドキドキしちゃうんですか?」
ばっと振り向いた輝美さんは、なにやら赤い顔をしていて、胸元がタオルからまろび出たことに気がついていない様子。
「ふふっ。冗談です。輝美さんみたいな大人は、わたしみたいなちんちくりんに変な気は起こしません」
「いっちゃんはちんちくりんじゃないよ……」
おや。反論があるらしい。けど返事を待たずに、身体にシャワーをかけてやる。
「強引だーっ」
「最高のスパ泉体験をしてもらいたいんです。わたしの使ってるスポンジでいいですね?」
これも返事を待たずに、とろりとしたボディソープをなじませ、泡だらけにしたスポンジで、首筋からやさしく、やさあしく擦っていく。
くすぐったそうに身をよじるので、手加減はするけど。
「あ、でも。ふあふあできもちいい」
「そうでしょう。このスポンジに変えてから、変なところにニキビができなくなりました。個人の感想ですけどね」
わしゃわしゃと背中を洗い終えて、さて。腰、お尻あたりはどうしようか。
センシティブなところを、わたしに触ってほしくはないだろうし、さっきの会話で、輝美さん的には女子同士の触りっこは、気にするはず。
取りあえず腕を持ち上げて、スポンジをあてがう。
「さすがに、お尻とか胸は自分でやってください」
「言われなくてもっ!」
ムキになっちゃって、かわいい。本当に、こういう顔は白瀬先パイそっくりだ。
「さて、おしまいです。どうぞ」
身体をお返ししてから、わたしはわたしで鏡に向き合う。
鎖骨からおへそまで、起伏のないままの体格。
なで肩で、腰は少しくびれて、だからこそもう、肉付きが良くなることが望み薄な身体。
こんな身体に欲情するひとは特殊だと思いながら、腕を、脇を洗う。
と。輝美さんからの視線を感じた。
「どうかしました?」
「う、ううん。別に」
「さては、脇でも見てました? 姉妹揃ってえっちですね」
「フェティッシュないっちゃんがわるい」
ざんぶとお湯をかけて自分の泡を洗い流した輝美さんは、わたしの手からスポンジを奪い取った。
「洗ってあげる」
「結構です。背中に届くので」
両手を後ろで組んで見せると、輝美さんは頬を薄く染めて、目を逸らした。
「見ちゃうよ。やらしい気持ちで」
「……本当に魅力的だとか思ってるんですか? 特殊ですね」
なんとなく、胸元を腕で隠しながら、背を向けた。
「魅力的なのわかってないの、自己評価低すぎ」
背中で聞いた声は、シャワーの音で流しておいた。
◆
身を清めたわたしたちは、そのまま露天風呂に出た。
このスーパー銭湯は、大人が四人も入れば狭いくらいの小さな小さな浴槽が、外にぽつんと設置されている。
屋根はあるけど、冬に風が吹いていたら凍った頭に雪が積もっていた――なんてこともあり得る。このあたり、寒雁三大ブリザードの一角を占めているよなあ、なんて思う。
年の瀬の日中、混み合っているかなと思っていたけれども、なんと幸せなことに、露天風呂に先客がいなかった。
恐る恐る脚先を入れて「ひぃ」なんて言って、輝美さんは逡巡する姿を見せた。
「か、貸し切りだねえ。いっちゃん」
「早く入ってください。寒いんです。最高気温の予報見ました? 二度ですよ」
「わかってるけど、身体が冷えててっ」
「あじフライなんか食べてるからですよ」
背中を押して、無理矢理押し込んだ。
露天風呂はぬるめに設定されているけど、キンと冷えた中を移動してきた身体には、凍れる指先に熱湯が刺さるかのような痛みだ。
「ちょっと、いっちゃん! 熱いから!」
「ふふっ。わたし、早くお湯に浸かりたくって」
ひと思いに肩まで浸かると、心臓が驚いて走り出すかのよう。身体に悪いのは承知だけど、正直なところ、これが良くて通っている。
おばさんくさいかも? いいじゃない。寒い日の温泉は格別なんだから。
「いやあ……でも、確かに気持ちいいねえ……」
輝美さんも熱に慣れたのか、両手両脚を伸ばしてリラックスしはじめた。
そのまま、無言。
分厚い雲から、はらりと舞い落ちてくる忌ま忌ましさも、誰かと一緒と思うと暖かく感じる。
「しーちゃんに悪いかなあ」
急に、輝美さんが白瀬先パイのことを思い出したように言った。
「いっちゃんとお風呂に入りたかったのは、私よりもあの子だと思うんだよね」
「そうですか。でも、問題無いんじゃないでしょうか。白瀬先パイ、わたしの背中を見たこともあるし、この間だってお泊まりさせていただいた時には、一緒にお布団に入った仲ですから」
「進んでるなあ」
苦笑するかのような輝美さんの表情が、なにか達観しているかのように見えた。
「不躾なことを聞いてもいいですか?」
つい、そんなことを口走っていた。
どこまで言っても他人である輝美さんの何かを暴いていいのか? そんな思いが、直後に去来したけれども、だけど、「いいよ?」なんて言われた日には続きを言わないわけにはいかなくなった。
「輝美さんって、失恋か何かされたんですか?」
「ええー? わかるー?」
随分と軽い返事が来たものだった。
わかるどころか何もわからないんだけど、輝美さんはなんだか晴れ晴れした表情で、曇天を見上げている。
「浮気されたんだー。いや、付き合ってはなかったんだけどさ」
「そう、ですか」
付き合っていなかった。だけど、浮気。
「サークルの後輩でさ。仲良くなったかなーって思って、家に遊びに行って、泊めてもらったりして、……ねえ」
何か同意を得るように、こちらを見てきた。
その表情は、髪をタオルでぐるぐる巻きにしたおかげでよく見える。
一言で表すなら。
バレエの話をするときの、白瀬先パイに似ていた。
「その方とはどのくらい、その、」
踏み込んで聴いていいものか。一瞬の躊躇は
「流されるように、だったけど。結構好きだったからね。私のギターに合わせて歌ってくれたり」
輝美さんはギターを弾く人らしい。
たしか、昔は白瀬先パイに先駆けてバレエを習っていたはずだから、音楽系の素養があるのかもしれない。
「小さいサークルだから、ライブやるって言っても小さいバーのステージとかで、ちょっとやるって感じだったからね。お客さんとも近くて」
ふっと、奥歯を噛むような、眉間にしわを寄せた顔で、首を振った。
「同じ大学だってのに、めっちゃフェミニンって感じの子と腕組んで歩いてた。あの近さは、ヤッてるね」
人のこと言えないけどさー、なんて言いながら、輝美さんはぐいっと伸びをした。
お酒が飲める女子大生。
お酒がでるお店でバンド活動。
モデルみたいな体型。
バイセクシャルと自認する経験。
その人と、何もないわけがないだろう。
「切れて正解じゃないですか」
「まだ切れてないんだよ~」
「なんで切らないの?」
純粋に、疑問だった。
輝美さんみたいに明るくて気が利くなら……って考えて、理屈じゃないことを思い出した。
こういうのは、理屈なんかじゃない。
「付き合うっていう言葉はさ。契約書なんだ」
「口約束でも、約束は約束みたいなことですか?」
「そうそう。私はね、そこをおろそかにしちゃって……色々、しちゃったもんだからさ。いっちゃんは、後悔しないようにしたほうがいいよって、おねーさんからのアドバイス」
暖かいお湯に心がほぐれていくように、輝美さんは少しずつ、ほんの少しずつだけど、リラックスし始めているみたいだった。
声がふにゃふにゃだ。
「ふっきれようと思って、誉めてくれた毛先の金色を、赤くしてみたってわけ」
それで今日につながるのか。
「数奇な巡り合わせでしたね」
「ねー。いっちゃんがしーちゃんと付き合ってなかったら絶対落としに行ってる」
「間に合ってますあと付き合ってません」
わたしの否定にひと笑いして、輝美さんは白瀬先パイそっくりな瞳を細めた。
「いっちゃんはしーちゃんのことが、ちゃんと好きなんでしょ? でも、ちゃんとした契約をしておかないと、私がいっちゃんにちょっかいかけちゃう」
「それは要りませんけど」
「あっ。ひっどいーんだ。失恋女に優しくしてくださーい」
なんて言いながら悲しそうに笑う輝美さんを、わたしはどんな顔で見つめたらいいのかわからない。
胃の奥が重たい。チャーシュー麺の消化が、進まないんだ、きっと。




