事案第二十八号「総和百八十度」(2)
「しーちゃんから聞いてるけど、いっちゃんって結構食べるタイプなんでしょ? 私、この間は酔い潰れちゃったからあんまり覚えてなくってさあ。北藍駅のあたりで安くて美味しいお店しらない?」
などと、シートベルトを締めながら言った輝美さんの髪は、毛先が赤になっていた。
どうやら気分によって、カラーを変えているらしい。
言えないんだけど、もともと金色の毛先に合わせたのであろう緑のセーターが、新たな毛色である赤毛と相まって、クリスマスらしさを生んでいる。
「知ってはいますけど……輝美さん、小汚い店って、大丈夫ですか?」
「そういうお店ほど美味しいっていうじゃん。大学の同期とか、おしゃれなカフェ行きたがって困るんだよねえ。飽きちゃって」
「それだったら、あじフライとラーメンの美味しいお店がありますけど」
「じゃあそこに行こうよ!」
というノリと勢いで、年の瀬に場末の定食屋に来てしまった。
わたしの顔を見た大将さんは無言でラーメンの準備を始めるし、女将さんは「ラーメンでいいでしょ?」と聞いてくるのでちょっと恥ずかしい。
「……輝美さんは、あじフライなんですね?」
「洋食屋さんとか入ってもさー、ハンバーグとかエビフライとか食べたくなるじゃん。なんか、いっつも食べたいランキング三位くらいなんだよね、あじフライって」
わからないでもない。
食べたら美味しいのは知ってるんだけど、今食べたいか? って言われると、他に目移りしがち。
父さんに連れてこられなかったら、そして父さんが食べてなかったら、それが美味しいものなんだと認識することもなかったと思う。
やがて、テーブルに届いた山盛りの味噌チャーシュー、そして輝美さんの注文したあじフライがやってくる。
「……マジでその量食べるの?」
「あ、そうですね。ごめんなさい、わたし、人と食べると食べすぎちゃうんです」
チャーシューが十枚くらい、野菜が山盛り。
塩分と脂質がいけないことになっている量だろうラーメンは、今年の食べ納めになるだろう。
「毎日こんなご飯じゃないですよ? 白瀬先パイには、森食ってる、なんて言われたことあるんです」
「森っ? しーちゃんもひどいこと言うわねえ」
誰かと食事をする楽しさって、やっぱりあると思う。
会話の合間に、どんどんとチャーシューが消え、山盛りの野菜が消え、麺がなくなるんだから。
これがひとりご飯だったら、絶対に食べきれない。
「……マジで食べるんだねえ、いっちゃん」
「それは、まあ。輝美さんは白瀬先パイと一緒で、ゆっくり食べるタイプなんですね」
「いっちゃんが早いんだけどさ……いや、食べ方が汚いとか食べ急いでるとかいう感じもないのに、よく食べるねえ……」
ああ、これがドン引きなんだというお手本で輝美さんが見ている。
普通のつもりなんだけどな、じゃない。普通じゃないんだろう。
「ちなみに、いっちゃんはそんなに食べておなかは苦しくならないの?」
「苦しいって感じることはないですね。この後にハンバーグでも天丼でも食べられますよ」
「フードファイトで生きて行ったら?」
「ふふっ。それもいいかもしれないですけど……母が母なので、大人しく大学に進学して、どこか地元の会社に入って、結婚でも、して……」
あれ。
普通に思い描いていた未来像が、なんだかずれている気がする。
白瀬先パイと付き合ってるわけでもないんだし、大学を卒業したころにはどうなっているかはわからない。
もしも、今の共同正犯っていう関係から、どうにか転がって恋人関係になったとして。結婚するというのは、相当ハードルが高いだろう。
わたしが白瀬先パイにとって結婚したい相手かっていうと、そうとも限らないし。白瀬先パイをお嫁さんにしたいかって聞かれたら、きっとわたしは首を傾げる。
好きなのと。
キスしたいなって思うのと。
一緒に暮らしたいって思うのとは。
きっと全部、違う感情なんだろう。
「そもそもわたし、将来は何になりたいんでしょうね。結婚するっていうのは、今考えるとよくわからないですけど……」
ぽつりと漏らした言葉に、輝美さんは「そうねえ」と答えながら、箸でフライを割った。
「大学って、お米みたいなもんだと思うの」
「……はあ」
「あじフライにも合うし、ラーメンのスープとも最高じゃない?」
言わんとしていることはわかる。
「大学の文系がササニシキで、理系がコシヒカリだとしたらさ、例えば医療大はジャスミン米で、商科大は餅米みたいなものでさ」
急にわからなくなった。
「要するに、その先を考えて、どうしよっかなーって、いっちゃんは思ってるんでしょ」
「そうなんでしょうか」
「きっとそう。だけどね、ササニシキでもコシヒカリでも、あじフライは美味しい。餅米でラーメンライスは厳しい、みたいなことはあるじゃん。こういうお店に行って頼むんだったら、おかずに合わせてお米を選びたいかもだけど、家で十キロとか五キロで買う米袋がさ、全部餅米だから毎食お餅をつくわけにもいかなくて、たまにお赤飯にしたり、炊いてみたり、色々するじゃん」
ほんっとうに何を言っているのか、わかるようでわからない。
困惑が伝わったのか、輝美さんは眉尻を下げて、笑う。
「献立を考えるのは後でいいってこと。料理上手ないっちゃんにわかりやすく例えると、ね」
「一ミリくらい、わかりました」
「なら、よろしい! ちなみに総合の偏差値っていくらなの?」
うれしそうに笑う輝美さんには本当に申し訳ないけど、よくわからない例えだった。
だけど、わたしに興味を持ってくれているというのは、うれしいことだと思う。
「この間の模試で、六十五でした」
「……はい?」
「帝大の文学部が、B判定だったかな。B+だったかな」
「……才女~」
輝美さんが平伏して、そして、笑う。
「なんにでもなれるよ、いっちゃんなら」
そういうもの、なんだろうか。
◆
すっかりごちそうになってしまった。
こんなことなら、女将さんからのお誘いを拒み続けてきたチャレンジラーメンにして食べきれば、逆に輝美さんにプレゼントができたのに。
「いやー、おなかいっぱい! いっちゃん、この後どうする?」
得てして、こういう聞き方をする人は、このまま帰りたくないっていうことを遠回しに伝えてきているんだと思う。
だとしたら、何かご提案するべきなんだけど、
「さっきまで、大掃除をしてたんです」
「ほほう。だからラフな格好なんだね?」
「お恥ずかしい格好ですよね」
「いやいや、私の金髪に合わせたコーデよりましじゃん! ほぼ部屋着でしょ?」
まあ、そうなんだけど。
おしゃれな女子大生のお姉さんと、どこかに行きます! みたいな格好じゃないことは確かだ。
だとしたら。
「あの、一度家に寄ってもらえたら、ご提案があるんですけど」
「なになに、どんな?」
「近所に、天然温泉のスーパー銭湯があるんです。ご一緒しませんか?」
「いっちゃん、私に裸見せて大丈夫? 私、バイだけど」
わたしの提案を受けたからか、急に真顔で、輝美さんがそんなことを聞いてきた。
そもそも未成年に手を出すような人には思えないし、白瀬先パイとわたしの関係を知っていて言うんだから、それはもう、ただの雑談だと思う。
だと思うのに。
少しだけ泣きそうで、覚悟を問うような顔をしているのはどうしてなんだろう。
「……わたしって、実は」
「うん」
「AA65っていうサイズなんです」
「……うん?」
輝美さんが困惑した。
突拍子もないことを言っている自覚があるから、その反応は想定内。
「白瀬先パイとお揃いのブラを買うのも一苦労なんですよね」
「……お、おう」
「つまり、ですね。貧相なわけで、歴代の彼女さんたちと輝美さんが何をしていたのか知りませんけど、お酒を飲める年の輝美さんをわたしが誘惑したって、箸にも棒にもかかりませんよ」
しばしの沈黙。
冷たい空気に、白い吐息が、何度か溶けたあと。
「ふふっ。……あははっ! そっか、そういうことね!」
輝美さんがおなかを抱えて笑い始めた。
「うん、そうかあ……いっちゃんって、脱いだら逆にすごいんだ! それはおねーさん、見せてもらわなきゃな! 行こうぜ、サウナ!」
けらっけらと笑いながら目尻の涙を拭う輝美さん。
なんだか元気になったみたいで、よかった。
何かを思い詰めていたみたいだけど。
そうじゃなきゃ、こんな場末の駅まで来て髪を切り、妹が懇意にしている女子高生を相手に変なことを言うわけがない。
この際、一年の垢を落としきってもらおう。
そのためなら、わたしはいくらでも道化になるよ。




