事案第二十七号「時間」(5)
十五時を回った。
カフェの窓から見える景色は、曇天。
雪がちらついているけど、ベタ雪ではなさそうだ。
「そろそろ、父さんがお父様に電話をかけるころですね」
すっかりと冷めて、生クリームが溶け込んだコーヒーを意味もなくかき混ぜる。
くるくる回る渦。
溶け込んだまろやかさ。
「綾街。緊張することじゃないよ」
「そうでしょうか。わたしって、非常識なんだと思うので、こういう時間は一番怖いんです」
「職員会議で身の潔白を証明するためにスカート脱ぐ子が?」
くすくす笑う白瀬先パイに、ムキになったって仕方がないんだけど
「あれは、幾杉先生がっ」
立ち上がりかけたわたしの手を、白瀬先パイが握った。
「わかってる。わからせるから綾街はこれ以上、大丈夫」
そのトーンが、地獄から鳴り響く銅鑼のようだった。
白瀬先パイの率いる大群が、先輩の仇敵でありわたしを貶めようとした存在を揉みに揉みあげて蹂躙するのだろう。
先頭を往くのはきっと、一日に千里を駆ける汗血馬。
白瀬先パイの手を握り返す。
「卒業まで、あと一年と少しなんです。静かに、穏やかに過ごしましょう?」
「綾街には倍の時間がある。禍根は残しちゃいけないよ」
意外と白瀬先パイって、戦闘民族なのかもしれない。
敵将の首級を上げるまでは、なんていう血の気の多さ。
わたしを想ってのことなのはわかる。うれしい。
だけど、わたしが望むのはそうじゃないんだ。
「このリボンに誓ってください。わたしが悲しむことはしないって」
「……まあ、善処する」
「だめ。ちゃんと」
「わかったよ。綾街と一緒にいるように、全力を尽くす。そのかわり、本気でぶつかっていくから、覚悟しなよ」
諦めたように、白瀬先パイは微笑を浮かべた。
まるで駄々をこねる幼子をあやすお姉さん。心外である。
「わたしの純潔は先パイが保証してくれるなら、それでもいいかな」
「むっ」
なにが、むっ、だ。
まさかとは思うけど、奪おうとしていた? わたしの純潔を?
思わず、身体を抱いていた。
半眼。そして、
「えっち」
「言わせたのは綾街だろう……」
そうだよ、白瀬先パイ。
そんなことしなくたって、わたしたちの関係は壊れないでしょ?
見つめ合いながら、曖昧に笑い、笑みを交換する。
くすぐったい。そんな時間だ。
そんな時に穴を穿つように、白瀬先パイの携帯が着信音を発した。
面倒そうに、ゆっくりと画面を確認した白瀬先パイは、
「うそでしょ」
取り落とした。
テーブルの上を滑る携帯電話。
その画面がちらと見えた。
「これって……」
「両家顔合わせ、だって」
すぐに自分の携帯電話を出した。
きっと白瀬先パイのお父様が大げさに言ってるだけのはず!
『今夜、秋穂さんと飲みに行くから。約束を守れなくてごめん』
気が抜けた。
なんだ。それだけ?
「……綾街、どうする? 外堀が埋められてない?」
「そうですねえ。国家安康、といったところですか」
イマイチ伝わってないけど。
だけど。
「わたしは、わたしで。父さんとの約束を守ることにします」
それは、だれも待っていない家に帰るっていうことだけど。
娘として、父親と交わした約束は忘れちゃいけないから。
白瀬先パイは理解してくれると思っている。だけど、
「寂しくならない?」
なんて、心の中の柔らかいところをぐいと押し込んでくる。
寂しいに決まってるけど。
「何歳だと思ってるんですか。十六歳、高校一年生ですよ」
「そっか。そうだね」
残っていた生クリームが大半のコーヒーを飲み干す。
十五時十分。これから帰れば、夕飯の支度には間に合う。
「帰りますね」
「待って、綾街。プレゼントは?」
ちょっとだけ慌てる白瀬先パイに、わたしは揺れるポニーテールを見せ付けた。
「大事にしますね」
「……そんなもの」
「こんな大層なもの、ですよ。わたしたちにとって、これ以上って、魂の半身ひとつになるくらいの大事じゃないですか」
そう言って聞かせると、白瀬先パイは神妙な顔になった。
きっと、その覚悟を口にしちゃうだろうから、わたしは聞かないことにする。
「また年内に会いましょうね、先パイ。年明けの初詣の打ち合わせと、模試対策で」
「あ、ああ……じゃ、連絡するよ」
「はい。じゃあ、また」
無理矢理だったかな。
でも。これ以上は……ずっと一緒にいたくなっちゃうから。
駅のホームでひとりになってから。
吹き込む風が肺の中を氷点下に染めていく息苦しさ。
いくつもの心を凍れさせていかなきゃいけない今のわたしは、ただただ白瀬先パイに甘えられなくって。
コートの前を合わせる。
母さんの匂いがした。
包んで欲しいのは、シトラスの香りなのにな。
どうも、女神様はわたしのペースに合わせようとしてくれないらしい。
「見てるんですよね、ユリギノさん。いったい、わたしにどんな試練を与えようとしてるんですか?」
答えは、あるはずもない。
/◆◆◆
駅のホームでじっと虚空を見つめる榛色の瞳。
大神のいたずらに翻弄されながらも我を通した少女も、大人の論理にはなかなか抗いきれないようだ。
「そろそろ、関係を進めてほしいのだがな」
独りごちた女神の言葉など、彼女には届かないのだろうが。
余は、この報告書をどうしたらよいのだろうな。
「いっそ、お主が答えをくれんかのう……綾街一香、女神に抗うとする者よ」
呟いた言葉は、氷の粒を孕んだ風に切り裂かれていく。
その風は、小豆色のロングスカートを翻しながら虚空に消えた。




