事案第五号「クリーニング」(1)
「綾街、何読んでるんだい?」
「パンフレットですよ」
文化祭の前夜祭を終えて、初日のステージ展示もつつがなく終わった。
あとは、土曜日に設定された一般公開日を終えれば、文化祭は終了する。
一緒に帰る約束をしていたので、いつものように生徒玄関前のベンチで待つ。その間、明日のクラス展示を確認していたところだった。
クラスTシャツの上にジャージを羽織った先パイは、小豆色と千歳緑のタータンチェックをぱたぱた揺らしながら現れて、いつもみたいにわたしに密着してきた。
「そうそう。先パイのダンス、素敵でしたよ」
「くそっ。見られていたか……何やるか、ずっと秘密にしてたのに」
しらせ先パイは、ステージ展示でダンスを披露していた。
特に中盤で披露した技は圧巻だった。
直立から、ぐいっと後ろに反って――そのままブリッジしたんだから。
「先パイって体幹が強いんですね。昔の映画で見たキアヌ・リーブスみたいでした」
「へへっ。小さい頃にバレエを習ってたからね。柔軟と体幹に自信はあるのさ。あれね、実は頭も手も、床に突いてないの。遠目からだったらヘッドブリッジみたいに見えたかもしれないけどね、腹筋だけで身体を支えてたんだよ、八小節分。すごいっしょ?」
「そんな派手なことをしておいて、バレないと思ってたんですか?」
じとっと見つめると、先パイは「あはは」とごまかすように笑った。
「でも、かっこいいって言ってもらえて、やった甲斐があったね」
「かっこいいとは言ってないですけど」
あれ? とおどける先パイ。
いつもより強めのシトラスの香りと、ちょっと香る汗。ブラウスとは違う生地の厚みが、わたしの二の腕に押し付けられる。
「綾街のクラスは、ここか。音楽班だったよね」
「先パイはステージ展示だから、明日は一日フリーですよね」
「うん。朝一番に、綾街のところ見に行こうかな?」
「クラスの方と回らないんですか」
そうだねえと、先パイはピンク掛かったレンズの奥、瞳がうっすら細くなった。
「多田野は、彼氏が来るって言ってるしなあ……」
「ただの?」
「ああ、クラスの友達。綾街も何度か、私と一緒にいるところを見たことがあると思うよ」
たしかに。
先パイのことを「しらせ」と呼び捨てるクラスメートさんが、記憶の片隅に引っかかっていた。
「でも確かに、多田野の彼氏が来るのは朝一番じゃないか。それまであいつと一緒にいて、ひとりになったら綾街のところに行こうかな」
「多田野さんと一緒に来たらいいじゃないですか」
「あいつが興味ありそうだったら、そうしようかな」
それがいい、それがいいと、先パイは納得してる。
いつ教室に来るのかわからないなら、わたしとは会えないっていうこともあるということか。
せっかくなのに、寂しいな――なんて、感傷的にはならないわたしって、ドライなのかな。
◆
これを着るのは恥ずかしいなあと思うのが、クラスTシャツというもの。
ビビッドなオレンジ生地に、これまたビビッドなピンクで毛筆書きされた「友情最強」の四文字。
デザインした子は、きっと四日くらい徹夜させられていて、そのうえ家族でも人質に取られていたんだと思いたい。
そんな、着るのに躊躇が必要なTシャツを、洗濯機から取り出した。と、襟のところにブラジャーのホックが引っかかっている。
最近の悩みである。
お洗濯をすると、三回か四回に一回は、こうしてこのブラジャーが引っかかってしまうのだ。
中学生のころに着けていたスポブラだったら、こういう金具が無くて安心だったのに。
「なんか、他の服を傷つけてそうだなあ」
リビングでつけっぱなしにしているテレビから、歓声が上がった。ケーブルテレビのスポーツチャンネルで、釣り番組をやっているんだった。別にブラジャーは餌をやる必要もないんだけど。
取り出したものをハンガーに掛けて、パンパンと叩いてから浴室乾燥機に吊るしていく。Tシャツもブラジャーも、乾いてくれないと明日、困る。
「うーん……みんな、どうしてるんだろう」
聞く相手が、いない。
先パイしか。
『そんなの、中学のときの着けたらいいじゃん』
電話の向こうで先パイは、あっけらかんと言った。
「でも、高校生たるもの、しっかりとした下着を着けなければいけないんじゃないですか?」
『気持ちはわからないでもないけどさ、まずは身体にぴったり合うものを選ぶのが大事だよ。ほら、私とお揃いのやつはワイヤー入りだけど、疲れるでしょ? 店員さんが選んでくれたやつは、ハーフトップっていうの。あれもスポブラの延長だよ』
確かにそんなことを、店員さんも言っていた。
先パイがあえてわたしに、嘘を言うメリットもないだろうし。じゃあ、最悪のケースとして乾いていなければ、引っ張り出してこようか。
『ところで、綾街は今、どんなパンツをはいてる?』
「通報案件ですか」
電話の向こう、何か飲み物を吹き出す音が響いた。耳が痛い。
『ち、ちがわい! 明日のブラに合わせたパンツにしてるのかなって』
「合わせた……?」
どういうことだろう。
もしかして、上下を合わせるというのは、大人のマナーなのだろうか。
「ごめんなさい、先パイ。先パイの好きそうなやつではなくて、コットンの着心地がいいやつを履いてます」
『私のこと、綾街をどんな目で見てる人間だと思ってるんだ』
隙あらばのぞき見してくる女だと言って、からかってやりたいけれども。
しっかりと心配してくれている人にそんな冗談は、失礼に値するよね。
『色味くらいは合わせるものだけど、そんなにカラフルな人じゃないでしょ?』
「そうですね。汚れが目立たないようにって、黒いのばかり買ってました」
『あと、いくら私を信用してくれてるんだとしても、あっけらかんと答えすぎだよ? おねーさん、ちょっと心配だわ』
声を潜めるように言うのは、周囲に聞こえないようになのかな。電話だから大丈夫だと思うけれども。
「下着の話なんて、父さんか、先パイにしかできませんから」
『父親に相談出来るの、剛の者すぎる』
「ふふっ。そうじゃなかったら、先パイに頼りませんって」
本当は頼りたい母は、著名な料理研究家として東京に拠点を構えている。父が言うには、今はレストランを開く準備で忙しいのだという。
そう。
わたしは母のことを、父経由でしか動向を知らない。テレビに映る母――料理研究家ミスまちこは、早口でまくし立てる小っこいおばさんで、エキセントリックなのに実用的な料理を披露する変な人だ。
決してないがしろにされているわけじゃなくて。
洗濯機の使い方にアイロンのかけかた、料理、掃除。いろんな事を、ユリギノ女学院家政科仕込みの技を、叩き込んでくれた。
『そういえば綾街、当たり前すぎて聞くの忘れてたことがふたつあるんだけどさ』
「なんでしょう?」
『ブラは熱で縮むことがあるから、乾燥機に掛けてないよね? っていうのと、明日、何時頃に出番あるの?』
「うちの洗濯機は乾燥機能ないですよ。浴室乾燥中です。だから、先パイとお揃いのを、明日は着けていけます。なんだか宣言すると気恥ずかしいですね」
『やばいかも……』
ちょっと疲れたような声が、電話の向こうからぽろり零れてきた。
わたしとお揃いにできない、とでも言うのかな。
別にいいけど。
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