参考メモの一 噂好きのクラスメート
番外編です。
綾街一香のことを記録していると、気付くことがある。
それは、彼女がクラスの中で浮いている、という事実。
本人はそれほど気にしておらんようだが……一方のクラスメートたちは、どう見ているんだろうか。
/◆◆◆
中間考査を終えた普通科特進コースクラスは、他のクラスに比べても開放感が伝播する勢いが早い。
今年度の入試において、特進コースは偏差値六十、英文科が六十一と、普段とは逆転しているのもあるのだろう。普通科の教師たちは特に熱心に、心血を注いでいた。
それ故に。
開放感の震源地となるほどに、高校一年生の彼女たちは抑圧されていたのだ。
「早月、感触はどうだった?」
宇和早月に寄り添い、声をかけたのは笹芽紀子であった。
「全然。はあ……みんな、開放感あっていいなあ」
特進コースは、三十名。
いくつかのグループができあがっていたが、ふたりは少数精鋭だからこそ、グループワークで人が足りないところに加わるなどいろんな生徒たちと交流を広げている。
そうして、そこで得た情報は、噂話として消化されていく。
だがその中で、憶測でしか消化できない生徒がひとりだけいた。
「綾街さん。颯爽と帰っていったねえ」
「ねえ。孤高、って感じ」
「でも、二年の先輩と図書室で仲よさそうだよね」
そのささめくような噂は、あくまでも綾街一香そのものではなく、ただ目撃した情報でしかない。
◆
中間考査の結果が返された日。
笹芽紀子は掲示板に張り出された順位表を見てため息をついた。
「紀子、何位?」
「普通科で三十位……特進コースの最下位近くだよ……」
「普通クラスの何人かに追い抜かれてるの、不味いよねえ。わたしも、二十位だった」
順位表は、学科ごとに貼り出されている。
普通科は百五十人いるため三十位は十分に上位層ではあるのだが、そのうちの三十人が所属する特進コースとしては、致命的な順位だった。
「普通クラスの子が三位……あ、綾街さんが四位だ」
「悔しいだろうねえ。一点差でトップスリー入れないって。直前に体調不良で休んでたもんねえ」
「あ、でも、あんまり気にしてなさそうだよ」
見れば、噂の主である綾街一香が、無表情に掲示板を眺め、頷きをひとつ残して立ち去るところだった。
「クール~!」
「かっこいいよねえ……さすが孤高の撫子」
そのあだ名は紀子が勝手に呼んでいるものだが、小柄で、可憐で、凛としている様が、大和撫子そのものである。
いつも独りで凛と立つ、高値の花の少女。
憧れの証として、ふたりの間ではそう二つ名されているのだ。
孤高の撫子、と。
「最近の綾街さんって、かっこよくなったよね。夏服だからかな」
「ねー。ちっちゃいから気付かないけど、意外と姿勢がいいよね」
「冬服のときは重たかったのかな」
「線が細いから浮いてたのかな? うちの制服、着こなすの難しいもんね」
背が低い綾街一香では、ハイウェストのロングスカートは小豆色の面積が大きすぎて、短めの丈のブレザーはウェストラインに合ってないようだった。
だから、小豆色と千歳緑のタータンチェックは、ロング丈だが比較的に軽やかだし、パリッとアイロンの利いたブラウスはすっと背筋が映えさせていて、
「かっこいいよねえ……」
「ねえ」
ため息が、ふたりの想像を色めき立たせるのであった。
◆
ある日の放課後、笹芽紀子は生徒玄関前のベンチに腰掛けている綾街一香を見つけた。
「綾街さん」
思わず声を掛けてしまってから、話題がないことに気が付いた。後の祭りである。
「どこに行ってたの?」
「図書室で、台本を」
「そっか」
会話が続かない。
居心地が悪そうにしている綾街一香が気の毒になるのだが、笹芽紀子自身も所在なさげにもじもじしてしまった。
「……あ、そうだ。早月、来てなかった?」
「宇和さんは、見てないです」
「そっか」
距離にして五メートル。
パーソナルスペースが広めの笹芽紀子には、ちょうどいい距離ではある。
だが、会話が続かないのが、居心地の悪さに繋がる。
「……変なこと言うかもだけど」
紀子は、遠慮がちに――出して良い話題なのかを吟味する間もなく、言った。
「綾街さん、クラスに居づらいとか、ない?」
とんでもない暴言だったかもしれないと思ったのは、今更のことではあった。だが、綾街一香はいつもの無表情で、
「大丈夫ですよ」
素っ気なくそう言った。
「そっか」
だから、そう言うしかなかった。
廊下の遠くから、ぱたぱたと足音が響いてくる。
お互いの呼吸の音。
風。
笹芽紀子のプリーツスカートが、ふわっと舞う。
「おまたせー!」
遠くから声を掛ける、知らない人の声。
綾街一香はその声に視線を向けると、文庫を鞄にしまって、立ち上がる。
「笹芽さん」
「あ、はい!」
「待ち合わせ相手が来たので、失礼しますね」
「はい! また明日!」
ぶんぶぶんぶと、紀子は手を振る。
綾街一香からも、会釈が返ってくる。
と、図書委員の二年生が、綾街一香にタックルをかますようにぶつかっていった。
「おまたせー。あ、ごめんね。綾街のクラスの子? 話し中だった?」
「いえ。特に」
「ごめんねクラスメートちゃん! 綾街、もらっていくね!」
「はい! すみません!」
嵐のようなひとだった。
そして、その風に連れ去られて行く綾街一香は、孤高じゃないかもしれないけれども、
「高嶺の花に、手が届くひとっているんだなあ」
しみじみと、笹芽紀子は独りごちた。
◆
「昨日ね、綾街さんと話しちゃった」
「大事件じゃん!」
宇和早月が大声で反応するのを、笹芽紀子は必死に制止した。
「しーっ」
「ご、ごめん。でも、なんで?」
ふふんと、紀子はニヒルに笑う。
「帰りにね、あの図書委員の先輩と待ち合わせしてる綾街さんがいてさ。話しかけた」
「すごいじゃん!」
「しーっ!」
天丼を繰り返す早月にまたしても、制止。
「で、なんて話したの?」
「クラスに居づらくない? って」
「馬鹿かっ!?」
「しーっ!」
何人かが、ふたりを見たが――件の綾街一香は、やや赤らんだ顔で髪をまとめ直していた。ゆったりとした三つ編みに手早くまとめる姿を見ながら、ささめきあう噂好きのふたりは、顔を寄せる。
「めっちゃ手際良い」
「鏡なしであの精度。すごくない?」
「髪きれー」
「で、クラスには居づらいって言わなかったでしょ? 居づらいなら、ああして、休み時間に髪なんかまとめられないでしょ」
たしかにと、紀子は頷いた。
「大丈夫ですよ、だって」
「っていうか敬語萌えなんだけど。クラスメートに」
「ね、いいよね。推せる」
ふと、綾街一香は髪を編む手を止めた。
そして三つ編みを全部解き、手櫛で元に戻すと、大きく吐息をひとつ。
それから国語の教科書を開いて、まだまだ習わないであろうあたりのページを開いている。
「羅生門だ」
「あの髪をな、抜いてな、かつらにするんじゃ」
「紀子も先に読むタイプか。私も」
「綾街さんもそうなんだね。なんかうれしい」
そう言って笑い合うふたりは、綾街一香が一瞬だけ視線を向けたことに、気が付かない。
そして、自分の噂話かと思い、気のせいかと思い直したことも。
/◆◆◆
世の中、多角的に見ると色々なものが見られるものである。
綾街一香の場合は、クラスメートからアイドル扱いでもされているようじゃが……くふふっ。下着のサイズがピタッと合っただけで、背筋が伸びてかっこいいと色めき立つ少女たち。
それに気付かぬ綾街一香。
いいのう。
乙女よ、青春を生き抜けよ。
このユリギノ女学院に在籍している間、余が見守るからの――。
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