事案第四号「譜」(2)
お弁当というのはなにも、朝から頑張る必要なんてない。
帰宅してすぐ制服を脱いで、ブラウスは洗濯籠、スカートはハンガーに吊るしてファブリーズ。皺っぽくなりそうなところは、手のひらでパンパンと叩いて、プリーツを整えた。
よし。
買ってきた材料を、シンクに並べる。
だし巻きと、先パイが食べたそうにしていた唐揚げと、彩りにミニトマト。先パイらしさを出すために、オレンジも買ってきた。
作り置きできるものは、夜のうちに作って冷やしておく。
鶏もも肉に醤油と、すりおろしたニンニクと生姜。
片栗粉と小麦粉を半々にした粉をまぶして、二度揚げ。
お弁当箱は――父さんのでいっか。最近使ってないし。
サイズを確認して、入れられそうな個数を考える。
「喜んでくれるかな」
自然と、笑みがこぼれるってものだ。
からからと脂が音を立てるのを聞きながら、先パイの笑顔も想像できる。
「先パイはまず、驚くかな……?」
ちょっとだけ、その顔が楽しみになってきた。
うん。ちょっとだけ、だよ。
◆
先パイとの待ち合わせ場所は、図書準備室。
ちょっとだけ早起きして、彩りよくお弁当を詰めたのをしっかりと鞄にしまって持ってきた。
午前中の授業もなんだか気もそぞろで、文化祭準備で浮ついた世間の雰囲気に、ちょっとだけ乗っかれているような気がする。
「お邪魔します」
図書準備室の扉を開くと、先パイはすでに待ってくれていた。
「早いですね」
「二年の教室の方が、図書室に近いからさ」
それよりもと、先パイは目を輝かせている。
銀縁眼鏡が、プラチナみたいにきらっきらだ。
はやくはやくと急かされているみたい。
なんだか待てをされている大型犬みたいで、かわいい。見ていたい。
けど、さすがにかわいそうだし、時間もないから、お弁当を先パイに手渡す。
ずしりと重たい、成人男性用のお弁当箱だ。
「えっ、重たっ」
「開けてみてください」
しまったなー、なんて顔をする先パイに、わたしは胸を張った。
見て驚けと。眼鏡なんて、どっちでもいいというか、よりクリアに見てほしいから、今のレンズで見てくれた方がうれしい。
「わっ。すごい……キャラ弁じゃん」
「先パイをイメージして作りました」
「かわいー!」
ああ。気持ちいいなあ。
塩昆布で髪の毛を。
カラーピーマンで眼鏡のフレームを。
桜でんぶで制服を作ったんだ。
そう。
先パイ弁当だ。
隙間を埋めるように、唐揚げを入れて、だし巻きを入れて、そして、ミニトマトも入れてある。
「かわいいけど、これって結構、力業だよね」
「どこがですか?」
「その、塩昆布とか……ノリでも良かったんじゃない?」
「昆布は身体にいいですから」
そう。わたしはただのキャラ弁なんて作らない。
「栄養第一。味も第一。悪くないはずですよ先パイ」
「そっか。そうだよね……うん」
思ったより反応が薄い。
何か、粗相をしてしまっただろうか。
「こほん。じゃあ、いただきます」
恐る恐るという慎重さで、箸を付ける先パイ。
そっと、塩昆布ご飯を口に含み。咀嚼。
「……うん。うん」
頷きをふたつ。
「食べられる」
それはそうでしょう。食べ物なんだから。
「おかしな先パイ」
自分の弁当箱を開いて、手を合わせる。
いただきます。
「……綾街。それ」
「え? 先パイのお弁当に入れた食材の、あまりものです」
「森じゃん」
また失敬なひと。
ブロッコリーの下に、塩昆布だとか、だし巻きの端っこだとか、そういうものを入れてきたんだから。
「味は先パイのと、一緒です」
「見た目が全然違うじゃん……」
「白米の代わりにブロッコリーですから。仕方がないです」
「そんなもんかあ……?」
後から知ったけど。
先パイは塩昆布も、ピーマンも、桜でんぶも、あまりお好きではなかったらしい。
◆
放課後にはさっそく、朗読劇の準備が始まった。
教室を一室、宛てがわれる。
背景はパソコンからプロジェクターで投射するから、巨大な白い板さえ用意できたらいいらしい。
何事も省力化だと言うわりに、美術部の子が逃げ出そうとするのを押さえつけて、パソコンで描かせてる。
「あと二十カット分よ! 頑張って!」
「腕が……腕がぁ……」
一方で、BGM班は平和なものだ。
学校から電子ピアノが借りられたので、指を踊らせる。
綺麗な電子音が、旋律をぽろりぽろりと転がす。
「綾街さんがピアノ弾けて、よかった!」
大きな声で安堵を伝えてくる宇和さんは、リコーダーのサイボーグみたいな楽器を持ってきていた。
何年か前に話題になっていた、ウィンドシンセというらしい。
「早月は変な楽器持ってきて。注文の多い料理店にシンセって」
そう言う笹芽さんが手にしているのはいくつかの……何? っていう楽器たち。
「きーこだって、なんで家にギロがあるの」
「ビブラスラップもあるよ……」
変な人たちだ。
思わず、笑みがこぼれてしまう。と、
ふたりは顔を見合わせて、クスリと微笑。
いつものふたりのささめきあいだ。
やっぱり、会話には混じれない。
クラスは最初の一週間でグループが決まっていて。
その一週間を失っていたわたしは、しばらく浮いたままなのだろう。
なんとなく指を置いたCmが、喧噪の中浮かんで溶けていった。
◆
下校時刻まで練習して、ひとりの帰り道。
西に傾いた日差しは、それでもまだ高い位置にある。
けれども、背の高いポプラ並木は、ユリギノさんのお社をすっぽりと陰に隠している。
「お弁当、気に入らなかったでしょうか」
思わずぽつりと、そんな愚痴めいた言葉がこぼれてしまった。
いつも朗らかで、たまに意地悪な顔の先パイが見せた、困り顔。今になって気が付いた、心に刺さっているトゲ。
ちくりと痛む。
そう言えばブロッコリーが苦手って言ってたっけ。パセリだったかな。
どっちも入れちゃったな。
「お詫びはしたほうがいいですか? ユリギノさんは、どう思うんでしょうか」
「詫びなんていらないんじゃないかな」
唐突な声に、飛び跳ねそうになった。
振り返る。
重たそうな前髪は、図書室でいつも見かける二年生。
「神野先輩、でしたよね」
「そうよ、綾街一香さん」
フルネームで認識されていることに、少しだけ気味の悪さを覚える。
今までにお話ししたことは、ほとんど無いはずなのに?
「君は、悪いことをしていないのだから。ただ、ちゃんと話を聞いてやればいい」
風が一陣吹いた。
小豆色のスカートがはためく。
「どうしてそう思うんでしょうか」
「いつも君たちを見ているからね。わかるわ。けれども、今の君の顔を見ていると、あやまちをおかしそうだったから、口を挟まずにいられなかった」
神野先輩はそう言って、にこりと微笑む。
ポニーテールが風に揺れた。
「わたくし、必死な女の子は、応援したくなるの」
「……そこまで必死になってました?」
「自分の表情は、自分では見えないものね」
それはそうかも知れないけど、端から見て、必死に見えたのかな?
だとしたら、ちょっと恥ずかしい。
「神野先輩はどうして、わたしを気にかけてくれるんですか。部活も入っていないし、委員会だって入ってないわたしを。繋がりなんて、図書室の常連って言うだけです」
無表情の微笑。
そして、一陣の風、騒がしいポプラのざわめきが、わたしへの答えみたいだった。
「君はここで待っていてもいい。だけど、生徒玄関くらいまで行ったら、なにか分かることがあるかもね?」
小豆色のスカートを翻して、神野先輩は背を向けてしまった。
追いかけるほどのこともないし、そこまで知っている間柄でもない。
けれども。
なんだか校舎に戻らなくちゃいけない気がして、いてもたってもいられなくなった。
ユリギノ女学院の校舎は変わった作りだと思う。
生徒玄関には靴箱がなくて、土足で中まで入っていける。これは、靴まで綺麗に履きこなしなさいという方針なのだとか。
その代わり、教室前に個人ロッカーがあって、冬のブーツなんかはそこにしまうらしい。
つまり。夏の間は個人ロッカーに用事なんか無いはずなのに。
二年英文科クラスの教室前。
ロッカーの前でうなだれているしらせ先パイの姿を見つけた。
いつだったか、一緒にいたクラスメートさんも一緒だ。
声を掛けようとして、
「綾街ちゃんが、ねえ」
面識の無いはずのクラスメートさんからわたしの名前が出てきた。
えっ。
驚き、思わず物陰に隠れてしまった。
「そんなことで怒るような子?」
「でもねえ」
なにやら、わたしは先パイに怒るようなことをされたらしい?
心当たりは、全然ない。
「でも、百パー好意でしてくれたんでしょ。付き合って何か月さ」
「まだ……。
「四月からなら、三か月。ならお互いに知らないこともあるでしょ」
なるほど?
わたしは四月から先パイと?
いやまて。わたし以外に「あやまちちゃん」がいるのかもしれない。
「素直に聞いてみなよ!」
クラスメートさんは強くそう言い切って、話を切り上げたようだった。
パタパタと靴を鳴らして駆けていく彼女は、わたしに気付かずに通り過ぎていって。
後に残された先パイは、なんだか呆然としているみたいだった。
どうしたらいいんだろう。
そう思いながら、身体が先に動いていた。
「しらせ先パイ」
思ったよりも明るい声。自分の喉が鳴らしたとは、にわかには信じがたい声音だ。
「綾街っ?」
銀縁眼鏡の奥が、まんまるに見開かれた。
「もう帰っちゃったんじゃなかったの?」
「クラスで文化祭の準備をしてました。先パイは?」
「図書室当番……今日は誰も来なくって……」
大型犬がしゅんとするみたいに、肩を落としている。
そっとそばによると、ほのかなシトラスの香り。
「あ、いい匂い。先パイ、嗅いでもいいですよね」
返事を待たないで、ウルフカットのてっぺんに鼻を近づける。「うわっ」という小さな悲鳴は、聞こえない。聞こえない。
少し香ばしい、紅茶みたいな香り。
「アールグレイみたい」
「うっ、正解……。鼻がいいんだから……母のシャンプーだよ」
「へえ、いい匂いですね。わたしもこれにしたら、大人っぽいかなあ」
「綾街はいつものミュゲが、らしくていいよ」
ん?
「どうして、うちのシャンプーの香りを知ってるんですか」
「そりゃ……綾街にくっついてたら、いいにおいしたら、気になるじゃん。うち、花問屋だから、よく扱う匂いだし」
「ふうん」
それにしたって、すごい嗅覚だと思う。わたしみたいに普段から、相手の香りを意識しちゃってるってこと?
「ねえ先パイ、わたしのこと、好きすぎ」
いつも言われるような軽口で、ちょっとだけ追い詰めてみる。
すると。見上げた顔は、目線を合わせないようにして、口元だって隠しちゃって、
「ばかいうなよぉ」
弱々しい、降伏宣言だった。
「ふふっ。満足しました。ね、先パイ。一緒に帰りましょう? 遅くなっちゃう」
赤い顔のまま先パイは頷いて、鞄を手にそそくさと歩き出した。
すぐに追いついて、横に並ぶ。
頑なにそっぽを向く先パイから、シトラスミントが香る。
わたしの好きな匂いだ。
「やっぱり先パイ、いい匂いです」
「機嫌直してくれたなら、いいんだけどさ」
「機嫌?」
はてさて。
わたしはやっぱり何かに腹をたてなくちゃいけなかった? 理由が見あたらないけど……。
「図書室、来なかったから。機嫌か体調が悪いのかなって。でも元気そうで良かったよ」
「ああ、そういうことですか。クラス展示の練習を、さっきましてました」
「……それだけ?」
「はい。他意などありませんよ」
でも、どうしてそう思われたのかな。
ちょっと陰っている先パイの表情が、どうしたら明るくなるんだろう。
「もしかして先パイ、お弁当が美味しくなくて、ヘコんでます?」
う、といううめき声だった。
図星みたい。
ブロッコリーとパセリ、カラーピーマン、桜でんぶ。
そっか。そうなんだ。
「ふふっ」
「だってせっかく綾街が、早起きして作ってくれたんでしょ? 良い反応できなくて……がっかさせちゃったかなって」
しゅんとする貴重な姿。
ああ、写真に撮っておきたいな。
でも、元気な先パイが一番だし。
「いいんですよ。わたしも空回りしちゃったから。こんど、リベンジさせてください」
「いいの? 許してくれるの?」
「はい。だって」
背伸びして、先パイの耳に唇を寄せる。
「お揃いのブラを選んでくれた、お返しです」
今度こそ先パイの顔が、爆発するんじゃないかってくらいあかい。
きっとそれは、ポプラの枝が揺れて、木漏れ日が差したことだけが理由じゃないはず。
「また、お昼ご飯一緒しましょうね?」
先パイが聞いてるかはわからないけど。
また、作ってきますよ。ふつうのお弁当を。
/◆◆◆
鎮守の森。
その小さなお社はユリギノ女学院の側にあり、時折神に縋りたい生徒が訪れる。
……のだが。
「お揃いの……ブラ、ですと?」
小柄な少女が、中肉中背を手玉に取るその様。
ひそひそとささめきあうその姿よりも、聞き捨てならない台詞があった。
「余が見守れぬ範囲で何があったと言うのだ……!」
その手にはペンとメモ帳。
手違い、すれ違い、それは極上のスパイス。
「報告書を認めるにしたって、余は……何があったか気になるではないかっ!」
小豆色のロングスカートを翻した女神は、地団駄を踏み、しかし――ふたりの進展があったらしいことに、満足の笑みは取り繕えなかった。
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