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事案第四号「譜」(2)

 お弁当というのはなにも、朝から頑張る必要なんてない。


 帰宅してすぐ制服を脱いで、ブラウスは洗濯籠、スカートはハンガーに吊るしてファブリーズ。皺っぽくなりそうなところは、手のひらでパンパンと叩いて、プリーツを整えた。


 よし。

 買ってきた材料を、シンクに並べる。

 だし巻きと、先パイが食べたそうにしていた唐揚げと、彩りにミニトマト。先パイらしさを出すために、オレンジも買ってきた。


 作り置きできるものは、夜のうちに作って冷やしておく。

 鶏もも肉に醤油と、すりおろしたニンニクと生姜。

 片栗粉と小麦粉を半々にした粉をまぶして、二度揚げ。


 お弁当箱は――父さんのでいっか。最近使ってないし。

 サイズを確認して、入れられそうな個数を考える。


「喜んでくれるかな」

 自然と、笑みがこぼれるってものだ。


 からからと脂が音を立てるのを聞きながら、先パイの笑顔も想像できる。


「先パイはまず、驚くかな……?」

 ちょっとだけ、その顔が楽しみになってきた。


 うん。ちょっとだけ、だよ。



 先パイとの待ち合わせ場所は、図書準備室。

 ちょっとだけ早起きして、彩りよくお弁当を詰めたのをしっかりと鞄にしまって持ってきた。

 午前中の授業もなんだか気もそぞろで、文化祭準備で浮ついた世間の雰囲気に、ちょっとだけ乗っかれているような気がする。


「お邪魔します」

 図書準備室の扉を開くと、先パイはすでに待ってくれていた。

「早いですね」

「二年の教室の方が、図書室に近いからさ」


 それよりもと、先パイは目を輝かせている。

 銀縁眼鏡が、プラチナみたいにきらっきらだ。

 はやくはやくと急かされているみたい。


 なんだか待てをされている大型犬みたいで、かわいい。見ていたい。

 けど、さすがにかわいそうだし、時間もないから、お弁当を先パイに手渡す。

 ずしりと重たい、成人男性用のお弁当箱だ。


「えっ、重たっ」

「開けてみてください」


 しまったなー、なんて顔をする先パイに、わたしは胸を張った。

 見て驚けと。眼鏡なんて、どっちでもいいというか、よりクリアに見てほしいから、今のレンズで見てくれた方がうれしい。


「わっ。すごい……キャラ弁じゃん」

「先パイをイメージして作りました」

「かわいー!」


 ああ。気持ちいいなあ。


 塩昆布で髪の毛を。

 カラーピーマンで眼鏡のフレームを。

 桜でんぶで制服を作ったんだ。


 そう。

 先パイ弁当だ。

 隙間を埋めるように、唐揚げを入れて、だし巻きを入れて、そして、ミニトマトも入れてある。


「かわいいけど、これって結構、力業だよね」

「どこがですか?」

「その、塩昆布とか……ノリでも良かったんじゃない?」

「昆布は身体にいいですから」


 そう。わたしはただのキャラ弁なんて作らない。

「栄養第一。味も第一。悪くないはずですよ先パイ」

「そっか。そうだよね……うん」


 思ったより反応が薄い。

 何か、粗相をしてしまっただろうか。

「こほん。じゃあ、いただきます」


 恐る恐るという慎重さで、箸を付ける先パイ。

 そっと、塩昆布ご飯を口に含み。咀嚼。

「……うん。うん」

 頷きをふたつ。

「食べられる」


 それはそうでしょう。食べ物なんだから。

「おかしな先パイ」

 自分の弁当箱を開いて、手を合わせる。

 いただきます。


「……綾街。それ」

「え? 先パイのお弁当に入れた食材の、あまりものです」

「森じゃん」

 また失敬なひと。


 ブロッコリーの下に、塩昆布だとか、だし巻きの端っこだとか、そういうものを入れてきたんだから。

「味は先パイのと、一緒です」

「見た目が全然違うじゃん……」

「白米の代わりにブロッコリーですから。仕方がないです」

「そんなもんかあ……?」


 後から知ったけど。

 先パイは塩昆布も、ピーマンも、桜でんぶも、あまりお好きではなかったらしい。



 放課後にはさっそく、朗読劇の準備が始まった。

 教室を一室、宛てがわれる。

 背景はパソコンからプロジェクターで投射するから、巨大な白い板さえ用意できたらいいらしい。


 何事も省力化だと言うわりに、美術部の子が逃げ出そうとするのを押さえつけて、パソコンで描かせてる。

「あと二十カット分よ! 頑張って!」

「腕が……腕がぁ……」


 一方で、BGM班は平和なものだ。

 学校から電子ピアノが借りられたので、指を踊らせる。

 綺麗な電子音が、旋律をぽろりぽろりと転がす。


「綾街さんがピアノ弾けて、よかった!」

 大きな声で安堵を伝えてくる宇和さんは、リコーダーのサイボーグみたいな楽器を持ってきていた。

 何年か前に話題になっていた、ウィンドシンセというらしい。


「早月は変な楽器持ってきて。注文の多い料理店にシンセって」

 そう言う笹芽さんが手にしているのはいくつかの……何? っていう楽器たち。

「きーこだって、なんで家にギロがあるの」

「ビブラスラップもあるよ……」


 変な人たちだ。

 思わず、笑みがこぼれてしまう。と、


 ふたりは顔を見合わせて、クスリと微笑。

 いつものふたりのささめきあいだ。


 やっぱり、会話には混じれない。

 クラスは最初の一週間でグループが決まっていて。

 その一週間を失っていたわたしは、しばらく浮いたままなのだろう。


 なんとなく指を置いたCm(ミ♭・ソ・ド)が、喧噪の中浮かんで溶けていった。



 下校時刻まで練習して、ひとりの帰り道。

 西に傾いた日差しは、それでもまだ高い位置にある。

 けれども、背の高いポプラ並木は、ユリギノさんのお社をすっぽりと陰に隠している。


「お弁当、気に入らなかったでしょうか」

 思わずぽつりと、そんな愚痴めいた言葉がこぼれてしまった。

 いつも朗らかで、たまに意地悪な顔の先パイが見せた、困り顔。今になって気が付いた、心に刺さっているトゲ。

 ちくりと痛む。


 そう言えばブロッコリーが苦手って言ってたっけ。パセリだったかな。

 どっちも入れちゃったな。


「お詫びはしたほうがいいですか? ユリギノさんは、どう思うんでしょうか」

「詫びなんていらないんじゃないかな」


 唐突な声に、飛び跳ねそうになった。

 振り返る。

 重たそうな前髪は、図書室でいつも見かける二年生。


「神野先輩、でしたよね」

「そうよ、綾街一香さん」


 フルネームで認識されていることに、少しだけ気味の悪さを覚える。

 今までにお話ししたことは、ほとんど無いはずなのに?


「君は、悪いことをしていないのだから。ただ、ちゃんと話を聞いてやればいい」


 風が一陣吹いた。

 小豆色のスカートがはためく。


「どうしてそう思うんでしょうか」

「いつも君たちを見ているからね。わかるわ。けれども、今の君の顔を見ていると、あやまちをおかしそうだったから、口を挟まずにいられなかった」


 神野先輩はそう言って、にこりと微笑む。

 ポニーテールが風に揺れた。


「わたくし、必死な女の子は、応援したくなるの」

「……そこまで必死になってました?」

「自分の表情は、自分では見えないものね」


 それはそうかも知れないけど、端から見て、必死に見えたのかな?

 だとしたら、ちょっと恥ずかしい。


「神野先輩はどうして、わたしを気にかけてくれるんですか。部活も入っていないし、委員会だって入ってないわたしを。繋がりなんて、図書室の常連って言うだけです」

 無表情の微笑。

 そして、一陣の風、騒がしいポプラのざわめきが、わたしへの答えみたいだった。


「君はここで待っていてもいい。だけど、生徒玄関くらいまで行ったら、なにか分かることがあるかもね?」

 小豆色のスカートを翻して、神野先輩は背を向けてしまった。


 追いかけるほどのこともないし、そこまで知っている間柄でもない。

 けれども。

 なんだか校舎に戻らなくちゃいけない気がして、いてもたってもいられなくなった。


 ユリギノ女学院の校舎は変わった作りだと思う。

 生徒玄関には靴箱がなくて、土足で中まで入っていける。これは、靴まで綺麗に履きこなしなさいという方針なのだとか。

 その代わり、教室前に個人ロッカーがあって、冬のブーツなんかはそこにしまうらしい。


 つまり。夏の間は個人ロッカーに用事なんか無いはずなのに。


 二年英文科クラスの教室前。

 ロッカーの前でうなだれているしらせ先パイの姿を見つけた。

 いつだったか、一緒にいたクラスメートさんも一緒だ。


 声を掛けようとして、

「綾街ちゃんが、ねえ」

 面識の無いはずのクラスメートさんからわたしの名前が出てきた。


 えっ。

 驚き、思わず物陰に隠れてしまった。


「そんなことで怒るような子?」

「でもねえ」


 なにやら、わたしは先パイに怒るようなことをされたらしい?

 心当たりは、全然ない。


「でも、百パー好意でしてくれたんでしょ。付き合って何か月さ」

「まだ……。

「四月からなら、三か月。ならお互いに知らないこともあるでしょ」


 なるほど?

 わたしは四月から先パイと?


 いやまて。わたし以外に「あやまちちゃん」がいるのかもしれない。


「素直に聞いてみなよ!」

 クラスメートさんは強くそう言い切って、話を切り上げたようだった。


 パタパタと靴を鳴らして駆けていく彼女は、わたしに気付かずに通り過ぎていって。

 後に残された先パイは、なんだか呆然としているみたいだった。


 どうしたらいいんだろう。

 そう思いながら、身体が先に動いていた。


「しらせ先パイ」

 思ったよりも明るい声。自分の喉が鳴らしたとは、にわかには信じがたい声音だ。


「綾街っ?」

 銀縁眼鏡の奥が、まんまるに見開かれた。


「もう帰っちゃったんじゃなかったの?」

「クラスで文化祭の準備をしてました。先パイは?」

「図書室当番……今日は誰も来なくって……」


 大型犬がしゅんとするみたいに、肩を落としている。

 そっとそばによると、ほのかなシトラスの香り。


「あ、いい匂い。先パイ、嗅いでもいいですよね」

 返事を待たないで、ウルフカットのてっぺんに鼻を近づける。「うわっ」という小さな悲鳴は、聞こえない。聞こえない。


 少し香ばしい、紅茶みたいな香り。

「アールグレイみたい」

「うっ、正解……。鼻がいいんだから……母のシャンプーだよ」

「へえ、いい匂いですね。わたしもこれにしたら、大人っぽいかなあ」

「綾街はいつものミュゲが、らしくていいよ」


 ん?


「どうして、うちのシャンプーの香りを知ってるんですか」

「そりゃ……綾街にくっついてたら、いいにおいしたら、気になるじゃん。うち、花問屋だから、よく扱う匂いだし」

「ふうん」

 それにしたって、すごい嗅覚だと思う。わたしみたいに普段から、相手の香りを意識しちゃってるってこと?


「ねえ先パイ、わたしのこと、好きすぎ」

 いつも言われるような軽口で、ちょっとだけ追い詰めてみる。

 すると。見上げた顔は、目線を合わせないようにして、口元だって隠しちゃって、


「ばかいうなよぉ」

 弱々しい、降伏宣言だった。

「ふふっ。満足しました。ね、先パイ。一緒に帰りましょう? 遅くなっちゃう」


 赤い顔のまま先パイは頷いて、鞄を手にそそくさと歩き出した。

 すぐに追いついて、横に並ぶ。

 頑なにそっぽを向く先パイから、シトラスミントが香る。

 わたしの好きな匂いだ。


「やっぱり先パイ、いい匂いです」

「機嫌直してくれたなら、いいんだけどさ」


「機嫌?」

 はてさて。

 わたしはやっぱり何かに腹をたてなくちゃいけなかった? 理由が見あたらないけど……。


「図書室、来なかったから。機嫌か体調が悪いのかなって。でも元気そうで良かったよ」

「ああ、そういうことですか。クラス展示の練習を、さっきましてました」

「……それだけ?」

「はい。他意などありませんよ」


 でも、どうしてそう思われたのかな。

 ちょっと陰っている先パイの表情が、どうしたら明るくなるんだろう。


「もしかして先パイ、お弁当が美味しくなくて、ヘコんでます?」

 う、といううめき声だった。

 図星みたい。


 ブロッコリーとパセリ、カラーピーマン、桜でんぶ。


 そっか。そうなんだ。


「ふふっ」

「だってせっかく綾街が、早起きして作ってくれたんでしょ? 良い反応できなくて……がっかさせちゃったかなって」


 しゅんとする貴重な姿。

 ああ、写真に撮っておきたいな。

 でも、元気な先パイが一番だし。

「いいんですよ。わたしも空回りしちゃったから。こんど、リベンジさせてください」


「いいの? 許してくれるの?」

「はい。だって」


 背伸びして、先パイの耳に唇を寄せる。

「お揃いのブラを選んでくれた、お返しです」


 今度こそ先パイの顔が、爆発するんじゃないかってくらいあかい。

 きっとそれは、ポプラの枝が揺れて、木漏れ日が差したことだけが理由じゃないはず。


「また、お昼ご飯一緒しましょうね?」


 先パイが聞いてるかはわからないけど。

 また、作ってきますよ。ふつうのお弁当を。


/◆◆◆

 

 鎮守の森。

 その小さなお社はユリギノ女学院の側にあり、時折神に縋りたい生徒が訪れる。


 ……のだが。


「お揃いの……ブラ、ですと?」


 小柄な少女が、中肉中背を手玉に取るその様。

 ひそひそとささめきあうその姿よりも、聞き捨てならない台詞があった。


「余が見守れぬ範囲で何があったと言うのだ……!」


 その手にはペンとメモ帳。


   手違い、すれ違い、それは極上のスパイス。


「報告書を認めるにしたって、余は……何があったか気になるではないかっ!」


 小豆色のロングスカートを翻した女神は、地団駄を踏み、しかし――ふたりの進展があったらしいことに、満足の笑みは取り繕えなかった。


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