事案第二十七号「時間」(3)
待ち合わせ場所。
まだ白瀬先パイは着いていないらしい。今が好機とばかりに髪を結い直す。ボレロの中にまとめていた同じ赤のリボンがあったから、それを髪に留める。
蝶結びのテール部分が、肩に触れるかどうかくらい。かつて、母さんが古佐さんと共にゴムの乱を起こさなければ、このリボンはきっと校則違反だっただろう。
結んであるものを髪に付けるだけだから時短できていいけど。風情がないからって使わないでいたもの。それが、今この場で役に立つとは。
ショーウィンドウに映った自分の姿は、高校生らしいのかわからないけど、とりあえずフクイモモノさんのストールはトレードマークみたいになってきた。
そのストールを敢えてはずして、コートの前を開ける。
そっと、うちに籠もっているであろう匂いを確かめる。
……汗臭くないよね。
しかし改めて、適当に合わせてきた格好が正解かわからない。
いまだに、マネキン買いして失敗した春の経験が、わたしの自信に影を落としている。もともとないのに。
どうして、制服のブラウスと色違いみたいなスタンドカラーを買っちゃったのか。
ボレロの赤の明るさはわたしに合っているのか。
左足側だけチェック模様が入るアシンメトリーなデザインはやっぱり奇抜じゃないのか。
いつも白瀬先パイと会うときに着る服は悩むっていうのに。時間がなくてぎりぎりだったせいで、不安ばかりが募る。
笑われたりはしない。
だけど、かわいいわたしを見てもらいたいのに。その機会が一度失われちゃうのは、なんだか。くやしい。
ショーウィンドウに背を向けて、壁により掛かる。
煌びやかなクリスマス装飾は、じきに年末年始感あふれるものになるんだろう。
そうして年が明けて、二週間もしたら北国の長い冬休みが終わる。
そのあいだ、何回、白瀬先パイと会えるだろうか。
揺貴町の歴史のまとめもやりたい。
そういえば冬休み明けにスキー学習もある。
それが終わったら模試があって、2月末には学年末考査だからその対策も必要。
夏休みに比べて軽いけれども、課題だって出ている。
忙しい。
中学三年間では考えられなかったほどの忙しさだと思う。
忙しさにかまけて白瀬先パイにクリスマスプレゼントを用意するという一大事を、すっかりと忘れていたのもご愛敬。
コートの合わせをパタパタしながら、街行く人たちの姿を眺めていると、年末年始の高揚感に当てられているようにも、昨日の風雪で荒んだ心を抱いたまま踵を鳴らしているようにも見える。
みんな、それぞれに忙しいんだろうな。
そうだ。年末年始と言えば――
「綾街っ。お待たせ! 待った?」
おせち料理用のうま煮の材料を思い出しているところに、小走りでやってくる白瀬先パイ。
十一時五分。少し、遅刻だ。
「ごめんごめん! 反対側の改札から出ちゃって!」
「ふふっ。相変わらず、おっちょこちょいですね」
照れ顔の白瀬先パイは、ぱたぱたと顔を仰ぎながら、目を細めた。
「えっと。さっきぶり」
なんて言って、何を思いだしたんだか、頬を染めた。
「自分でしておいて」
「う、うっさい」
口元を覆う白瀬先パイからは、いつものようにシトラスの香りが漂っていた。
◆
まずはお昼ご飯を食べようとなったところで、冬休みに高校生がいけそうなお店は大体混み合っている。
だから、っていうわけじゃないけど、駅から少し歩いたところにある雑居ビルに白瀬先パイをアテンドした。
「綾街ってこんなところまで知ってるんだね」
「母さんが料理研究家をやっていると、招待されることもあるんです。小学生のわたしは味もわからないのに、したり顔で母さんの会話を聞いて、それで知識が蓄えられたんでしょうね」
あれから五年か六年は経った。自分でも一人前って言えるくらいには料理ができるようになったんだから、きっと味もわかるようになったはず。
「一応確認ですけど、先パイって、お肉は大丈夫ですもんね? 前にお弁当作ったとき、お口に合わなかったの、気にしてるんですけど」
「ラムも牛も豚も好きだよ」
「じゃあ、大丈夫かな」
お連れしたのは、牛タン定食のお店だ。
クリスマスらしくはないけど、冬にはもってこいだと思う。
「え、」
何事かを言いかけた白瀬先パイ。
ひょっとして、苦手だっただろうか。
顔色を窺うと、
「牛タンじゃん! 私、牛タンシチューめっっっちゃ好きなの!」
アンダーリムの眼鏡の奥が、それはもう星を抱いたかのようにキラキラと輝いた。
「そ、そうですか……あるかな、牛タンシチュー……」
心配だ。
だけど、もう後には引けない感じ。ままよと、扉を開く。
渋い大将さんの「らっしゃい」の声と、朗らかなアルバイトのお姉さんの笑顔。
どう見たって女子高生なふたりの来訪に、一瞬だけ剣呑な顔をした大将さんだったけれども、「あれ」と声を上げた。
「ミスまちこに連れられてた、小学生の嬢ちゃん」
「あ、はい。よく、わかりましたね」
「あのよくしゃべるおばちゃんの横で神妙な顔しながら、麦飯を延々とお代わりしてた小学生なんざインパクトの塊だよ! いやあ、よく来たね。カウンター、どうぞ」
こっぱずかしい。
あまり、顔を覚えられるほどお店に通わないものだから、こういう時は本当に、母の七光りというか、母のキャラクターとか、そういうものが、良いんだか悪いんだか。鬱陶しいに分類しておくか。
「ねえねえ、綾街。シチューあるよ」
白瀬先パイは白瀬先パイで目がないといった様子で、何を頼むじゃなくてどのくらいの量を頼むのかを考え始めている。
アテンドできて良かったとは思うけど。もうちょっとさ、わたしと話をしたいとか思わないわけ? ――まあ、朝まで一緒だったからいいのか。
白瀬先パイの牛タンシチュー大盛りと、わたしの牛タン定食三百グラムをオーダーしてから、ようやくおちついたらしい様子で、白瀬先パイがわたしの全身を見た。
コートを脱いだから。
適当にひっつかんできた服装を見られてしまっている。
そういえば、汗、大丈夫かな。隣に並んでしまった。
「……なんか、綾街の今日の格好。かわいくない?
~~! 大勝利! まさかのっ?
「そうですか?」
冷静を装う。
まだ頬を緩める場面じゃない。
「そうだよ。このスカートめっちゃいいじゃん。なんだっけ、サイド切り替えだっけ? この一部だけピンクチェックなのすっごいいいし、綾街にロングスカートってマジで最強だと思うんだよだってさ小柄なのは百も承知だけど元々ウェストの位置が高いしそこにIラインの足長効果が付くんだよ絶対合うに決まってるし、綾街には赤が似合うってのもちゃんと抑えててかつピンクなんてかわいらしい色だしさ、ボレロも赤いのがマジでツボだし、このブラウスも何、普段の私の私服に合わせてくれたの? ごめんマジ今日はワンピース着てきちゃったけどリンクコーデとか気にしてくれたんだったらほんっっとうにうれしいしポニテがかわいい!」
ねーえ、もう! 緩んじゃっていい? もうっ!
「せ、先パイだって……珍しいじゃないですか、ワンピース」
「わかるっ? これね鳩羽色って言って大正後期くらいに流行った色でさ、モガって言うんだけど知ってる? モダンガール、こういうワンピース着ててねいつもの書生スタイルも好きだけど綾街のきれいめに合わせる冬服を考えたらワンピースもいいかなあって百年ぶりくらいに私服でスカート選んだんだよ!」
「まだ十七ですよね」
「そんくらい久しぶりっていうことだよ!」
ブルーグレーの落ち着いたワンピースに似合わない興奮。
頭にちょこんと乗った赤いベレー帽がどこかに飛んで行きそうな勢いで語る白瀬先パイの姿は、そういえばわたしがノースリーブを着た時に見た勢いだ。
誉めるときに早口になるんだと思っていたけど、ファッションになるとこう、なんだろうか。
「ところで綾街、そのリボン。かわいいじゃん」
「ありがとうございます。これ、簡単に脱着できて便利ですよ」
何か言いたげな顔の白瀬先パイ。
なんだろうか。……なんてとぼけない。
きっと白瀬先パイは、エスの証をわたしに、プレゼントしてくれるんだろう。それがいつなのかはわからないけれども。
そう考えていた矢先に、わたしが珍しくヘアゴムやシュシュじゃなくリボンでポニテにしているものだから、気になってるんだ。
「ふふっ」
「何、いきなり」
「いえ。白瀬先パイ、かわいいなって」
妄想で言っちゃうのは失礼だけど。
でも。
「ワンピース、お似合いです。ベレー帽も、もちろん」
「……真っ直ぐ誉められると照れるな」
ごまかし半分でごめんねと思って、それ以上言及するのはやめておく。
そんな矢先に、炭火で焼かれる牛タンの香ばしい香りが届いてきたから。
「楽しみですね。ご飯」
「うん。おなか鳴った」
「食いしん坊さん」
わたしの発言は当然、白瀬先パイからのカウンターパンチを繰り出させるのに十分なきっかけになるんだけど。
食べられる気がするんだ。白瀬先パイとだったら。
だって。美味しいんだもん。
「あ、そうだ。忘れる前に」
父さんから言われていたことをこなさなければ。
白瀬先パイに、父さんが懸念していたこと、ご両親への連絡が事後になってしまったことのお詫びをしなければいけないこと、勝手に個人情報をもらうことができないことを伝えると、
「そんなの気にしなくていいのに」
「ダメです。それが大人としての礼儀だそうです」
「気にしなさそうだけどなあ。一応、連絡先教えていいか聞いてみる」
「断らせないでくださいね? 断られたら、ここのランチは先パイのおごりです」
「綾街の食べる量を奢るのはきっついな」
苦笑する白瀬先パイに「だったら是非ともゲットしてね」と微笑む。
冷や汗を掻きながら携帯をポチポチとし始めた白瀬先パイに期待を込めつつ。そこで、麦飯とテールスープ、焼かれたバゲットが届けられた。
これだけで美味しい。
香りでまず一膳食べられる。
でも我慢だ。白瀬先パイの表情が必死だから、その様子を眺めて待つ。この時間だけでもう一膳食べられるな。
「……とりあえず、パパからOKもらった。これ、綾街に送るから、転送しておいて。連絡する時間わかったら、電話に出られるように待機するって」
ぴろんと通知音が鳴ったのを確認し、父さんに転送。白瀬先パイからのメッセージを添えて。
そこで香ばしく焼けた牛タンがてんこもりのお皿が届く。よだれが止まらない。
写真を撮り、ついでに父さんに送っておいた。
「さっ! 食べましょう!」
「……切り替えが早いね」
呆れたように眉を下げる白瀬先パイにも牛タンシチューが届いたので、クリスマスランチの開催。
……と思ったら返事が来たので、先パイに伝える。
「もしよろしければ、十五時に、って」
「了解。送っておく。なんで大人って二十四時間法で連絡するんだろね」
「さあ。さて、食べましょう!」
「切り替えが早いなあ」
だってしょうがないじゃない。冷めちゃうんだから。
箸を取り、いただきますを言おうとした瞬間、今度は白瀬先パイの方に着信。
「落ち着かない!」
辟易した、という表情の白瀬先パイだけど、しょうがないんだろうな。返事はオッケーのスタンプだけだったから、こちらから父さんには「それでいいみたい」と返して、
「ここからは、しばらく携帯を触るのを禁止しましょう」
「そうしよう。もう限界」
無心でモリモリと、平らげてやろう。
色気もなにもない、健全な高校生の、ランチデートだから。
そうだ。デートだ。
牛タンを咀嚼しながら、白瀬先パイの顔を盗み見る。
シチューを口に含んで、目を細めている姿は、本当に幸せそうだ。
好きだなあ。
胸の中が温まる感覚。美味しいものを、好きな人と食べるんだったら、もう三皿は食べられそうな気がするんだ。




