事案第二十七号「時間」(2)
午前九時、帰宅。
家の前は雪かきもされていなくて、足首まで埋まるほど。風でだいぶ飛ばされてくれたらしいけど、それでも日が昇ってくると気温も上がって、ベタ雪になっちゃってる。
父さんの車はない。
夜のうちに帰ってこられなくて、足止めを食らっているんだろう。帰ってくる前に雪かきしていかないと。
家に入り、ジャージに着替える。
中学時代の、ビビッドな青とビビッドな赤が大胆にあしらわれたジャージ。それに、ムートンの長靴とピーコートを合わせると、中学生に戻ったような気分だ。
九時十五分、作業開始。
車のスペースと、人間が通る道の分を区切って、それ以外のところに雪を跳ねる。
べちゃ、びちゃ、と冷たい水が散る。
だんだんと身体が火照ってくる。
コートを脱いで玄関に放る。十五分でも良い運動だ。
背中と首筋の汗とかじかんで感覚の無くなった指先のかゆさを覚えた頃、一通り完了。
午前十時、まずい。
急いで道具を片づけて、家の中に飛び込む。
シャワーを浴びる時間はない。タオルをレンジで蒸している間に、制服にブラシをかけて、髪はもうどうにでもなれとポニーテールにまとめる。
レンチンタオルが蒸し上がった。
「あっちぃなあ!」
柄の悪い叫びを上げながら、首筋や脇の下を拭う。
冬だし、白瀬先パイが目撃することは無いだろう。うん。
背中や足の付け根なんかも拭いて、ああっ着替えを用意してない!
クローゼットに走る。
臙脂と黒ばかり。季節感を間違えないようにしないと。
とりあえず、白いブラウスがあった。制服みたいだけどいいや。黒いスカートにかわいいと思って秋に買ってまだ使ってない。いやよく見たら奇抜な柄が入ってるんだな? いいや、今、下ろそう。なんか短い赤のボレロもあった。去年適当にワゴンセールで買ったやつ。奇跡的にサイズが合ってる。去年のわたし、グッジョブ。タイツ! オッケー!
なんでもいいから走れば間に合う!
母さんのコートでいいのか! いい! コーディネートなんか知らない!
「ただいまー」
父さんの声! 救世主!
「助けて父さん!」
「わっ。どうした?」
「遅刻しちゃうの!」
◆
落ち着いたカーラジオ。
昨晩までの大荒れの天気が嘘のようだと、フリーアナウンサーが話をしている。どうやら寒雁市内の中継をしているらしくて、駐屯地あたりはものすごい吹きだまりになっているらしいことを伝えている。
「お仕事なのにごめんね」
だいぶ落ち着きを取り戻せたので、父さんにはまず、そう謝った。
「いいんだけどね。今日は有休を取ったし」
「そっか。でも、ごめんね」
「こういうときは、ありがとうって言うんだよ」
「ん。ありがと、父さん」
「よろしい」
あまり顔を合わせられない父娘の、どこかよそ行きの会話。
コンパクトカーの狭い車内。まだじゃっぐじゃぐになっている路面は、時折タイヤの足を取る。その都度、父さんはシフトレバーをがちゃこんと触っている。
「昨日は、ホテル取れたの?」
「温泉付きがあったよ。一香は、家に帰れたの?」
「先パイのお家に泊めてもらったよ。なんか、わたしを呼んでクリスマスパーティするつもりだったって」
「……そう」
一瞬、沈んだ声。
横目で父さんの様子を見ると、真剣な顔でハンドルを握っていた。
どうしたんだろう?
「一香も高校生だから、言うね」
「あ、うん」
「外泊するなら、ちゃんと連絡をすること。そういうこともあると、父さんも思ってたから、昨日に限っては許すけど」
あ。
そっか。
「そうだよね。ごめんなさい」
真っ直ぐに見せられるわけじゃないけど、頭を下げる。
でもそれで、父さんはそれ以上を突っ込んで聞いてくるわけじゃないみたいだった。
「それ。母さんのコートだろ?」
「……うん」
その会話に、素直に無心で答えられない。
だって。父さんの心配がわかるから。
「学校は指定コートがあるんだったよね。じゃあ、そのコートは、一香が大事に着なさい」
「……父さん。もっとわたしを、叱らないの?」
「一香は叱って欲しいかもしれないけど、父さんは叱るつもりはないよ。ちゃんと約束しなかったのが悪いんだから」
保護者に、自分が悪いと言わせてしまった。
ダメだな、わたし。異常事態に舞い上がりすぎていた。
「……今日は、夕飯食べるでしょ? 一緒に食べようよ」
「ああ、いいよ。迎えに行こうか?」
す、とハンドルを切った。
路面のアスファルトには、白線がくっきりと浮かんでいる。
「大丈夫。間違えないから」
膝の上で拳が固まっていることに気付いて、慌ててぐっと伸びをした。
「一香には必要以上の重荷を背負わせているけどね。肩肘張らずに、好きなように勉強だの恋だのしなさいね。父さんは後ろ指を指されたって味方だから」
「刺されないように、気を付けます」
似たようなことを、白瀬先パイのお父様にも言われた気がする。大人ってこういうものなのかな。
……わたしに言わないだけで、不純異性交遊の疑いの連絡が学校から行ってたとしたら。
ものすごく心配しているのに、それを口に出さずに信用してくれてるんだったら。
有り難いことだ。
だから。ごめんじゃなくて。
「いつもありがとう」
「こちらこそ」
なんだかこそばゆいやりとり。
「なんかくすぐったいな。ケツが痒くならぁ」
「年頃の娘に、そういう表現やめてね?」
「ははっ。一本取られた」
取ったつもりはない。
「ところで一香。父さんにクリスマスプレゼントをくれないか」
寒雁駅近く、国道を跨ぐ歩道橋に差し掛かったところで、不意にそんなことを言われた。
「もちろんいいけど。何かほしいの?」
「昨晩泊まったお家の連絡先と、お詫びの品を一香から渡す約束がほしい」
ああ、そうだ。
わたしはとてもよくしてもらっていて気付けなかった。
こんなにお世話になってるんだから、父さんとしては当たり前に連絡をしなくちゃいけないんだ。
「先パイに聞いておくね。わたしも知らなくって」
「わかり次第、でいいよ。あとその先輩が遠慮しても絶対に食い下がること」
「んー。わかった」
約束をしたところで、車寄せに停車した。
すっかり歩道の雪は解けていて、だけどひんやりした煙さが鼻を突く。
「行ってらっしゃい、一香」
「うん。ごめんね、ありがとう」
低く唸るエンジン音が遠ざかる。
行き交う他の車や、信号機のカッコウ、緊急車両の電子音声。そういったものに溶けていって。
さて。待ち合わせ時間までちょっと。
最後の身だしなみチェックは、できるかな。




