事案第二十七号「時間」(1)
十二月二十五日の朝。
まだ薄暗い時間に目が覚めてしまった。
まだぬくいお布団の中でもぞもぞしていると、足が、暖かい肌に触れた。
白瀬先パイの足だ。
とくんと、心臓が跳ね起きた。
そうだったそうだった。
同衾したのだ。
気付いてから己の姿を俯瞰すると、いやあ、短い時間だったけど良く寝たなあ! なんてすがすがしく言いたくなるような体調。
普段、しっかり眠っているつもりだったけれども、冬休み初日の朝という時間感覚と、知らぬ布団で眠るというマイナス要素をぶつけ合ったとしても、すごくしっかり眠った気がした。
疲れていたんだろうな。
特にこの一週間。不純異性交遊の疑いを掛けられるっていうのは、精神的にかなり。
自分の状況を確認してから改めて、くうくうと寝息を立てる白瀬先パイの顔を見つめる。
かわいい。
……じゃなくって。
全身、白瀬先パイの香りに包まれて、白瀬先パイの体温に包まれて、安心しちゃうんだから。
精神安定剤代わりに、家に連れて帰りたいくらいだ。
起こさないようにベッドから身体を滑り落として、そっと部屋を出る。
しんと鎮まった秋穂家。
分譲マンションの廊下。冷えたフローリングに素足。ぺたぺたと足音が鳴ってしまう。
なるべく静かに歩いて、お手洗い。
用を足して、体温が外に出た分冷えが襲ってきた。
手を洗うのも冷たくって。
一気に目が覚めた。
なんて状況にいれば頭が冴えるなあ、なんて思って廊下に出ると、
「あ、」
目の前に、大きな胸板。
白に、どぎついピンクのパジャマが。
顔を上げる。
白瀬先パイのお父様が、そこにいた。
「あ、おはようございますっ」
「……うん。おはよう。一香さん。トイレ、おじさん入ってもいいかな?」
「はいっ。すみません、一緒はいやですもんね!」
咄嗟に飛び退いて場所を譲る。
慌てすぎか、わたし?
いやー。それにしてもびっくりした。
白瀬先パイのお父様って、あんなかわいいパジャマだったんだ。
ちょっと気怠げな顔とか、白瀬先パイに似てて、うちの父さんとは違って枯れ木みたいで、いいなあ。
……何考えてるんだろ。
部屋に戻ろうかな。
と、その場で留まってしまっていたせいで、お手洗いから出てきたお父様とまた鉢合わせてしまった。
「……眠れないかい?」
「あ、はい」
肯定しちゃった。
部屋戻りづらくなっちゃうじゃない。
「……そう。寒いでしょう、リビングにでもおいでなさい。お茶を煎れるから」
◆
リビングに放置されていた白瀬先パイのカーディガンがあったのでそれを羽織り、ソファに座る。
キッチンでは、ケトルに勢いよく水を入れる音。
「電気ケトルじゃ、美味しく沸かせないから」
そんなことを言うお父様は、小さい鉄瓶みたいな薬缶を用意されていた。
それをコンロに掛けて、カチン、かちちちちち、と火が付けられる。
無言の時間。
しゅん、しゅん。
やがて薬缶の音が聞こえ始めたころ、リビングのお父様は戸棚から缶を取り出す。
それから茶葉を出す音。ポットにお湯を注ぐ。蒸らす時間ですら、静かな朝の冷えた空気。
こぽ、という小気味によい音が聞こえてきて、香ばしい茶葉の香りが鼻孔をくすぐって、湯飲みになみなみのお茶が出された。
「番茶、飲めるよね」
「ありがとうございます。好きです、番茶」
さっそく一口をいただく。
香ばしい風味が口の中で一気に膨れ上がって、その後に僅かな渋みと苦み、そして甘味に口内を占拠されていたことに気がつく。
至福。
「一香さん、番茶というのはこっちの方言だって知っているかい?」
えっ。
「そうなんですか?」
「一番茶、二番茶という、茶葉の収穫時期による呼び分けをしていたり、単に緑茶を指すこともあるそうです」
「ファーストフラッシュみたいなことなんでしょうか。おかしな地域もあるんですね」
お父様はにっこりと微笑み、
「自分の視点が正常だという誤認をするのは、認知バイアスと言ってね」
急に話が変わった。
「一香さんは、白瀬と懇意にしてくれている。あの子もバレエを習っていた頃に相当な苦労をした。貴女もまた、著名人の娘という色眼鏡を感じたこともあったろう」
一息。
それはたしかに、実感していることだった。
「一香さん。白瀬との付き合いは、きっと苦労も多い。君のような清楚な見た目の子が、特定の女子と親密になるというのは。不純異性交遊の疑いをかけられたよりもひどい目に遭うかもしれない」
「そうですね。……それこそ、時代に引き裂かれた、先人たちの思いも背負うでしょうね」
「だからこそ、気楽にしてほしい。番茶を頼んですっきりとした緑茶を供されても、常識の違いなんだと笑えるように」
微笑み方が、白瀬先パイとそっくりだ。
そのうえで、きっといろいろな経験をされてきたんだろうと、物言いや物腰から伝わってくる。
「ありがとうございます。お茶、おいしいです」
「うん。女性陣の勢いに押されてあんまり会話ができなかったから……でも、落ち着いたお嬢さんだというのは伝わっているよ。白瀬でも輝美でもいいから、どっちかのお嫁さんに来てほしいなあ」
それって最大級の賛辞なのではないか。
照れる。
誤魔化したくって、髪を手櫛でしゃっしゃと整えた。
「ちょっとパパ、何を、変なこと吹き込んでるのよ」
リビングに現れたのは白瀬先パイ本人で、
「あーっ。お茶出してる! せっかく良いコーヒー淹れようと思ってたのに!」
残念そうにするのだった。
◆
開け放ったカーテンの向こうは、昨夜までと打って変わっての曇り模様。つまり、鬱陶しい雪も降らず、放射冷却で冷え込みすぎもしない、絶好の外出日和だ。
朝食をいただいて、ユリギノ女学院の制服に身を包む。
すこしだけシトラスが香るのは、昨夜のうちにブラウスをお洗濯していただいていたから。そのお礼も兼ねたいからと無理を言って、輝美さんにお借りした服は家でお洗濯させてもらう。きっちりアイロンかけるんだ。
「一晩、お世話になりました」
秋穂家の玄関でご挨拶。
「本当にいいの? 送っていくよ」
「大丈夫です。まだ寝ててください」
眠そうな顔の輝美さんには、しっかりと休んでもらいたい。昨夜のお酒が残っていそうだ。
「でもさあ、いっちゃん。これから家に帰って着替えて、しーちゃんとクリスマスプレゼント買いに行くんでしょ?」
そうなのだ。
大変なことに気付いたのは今朝だった。
お互いにプレゼントの用意がないと判明したのは、りりちゃんが朝一番にプレゼントをくれたから。
「テルミーはわたくしと、銭湯に行くのよ!」
そう言ってにこにこ顔のりりちゃんが輝美さんを引っ張っていったから、すこしだけしょぼくれている白瀬先パイと二人きりになる。
「家まで送るよ」
「それじゃあ、わたしの家で遊ぶみたいじゃないですか。寒雁駅の良いお店で、ランチするんですよね?」
「綾街のご飯が食べたいよ。ザンギで胃袋が掴まれちゃった」
「またお弁当を作りますよ」
「ならいい」
しおらしいのもかわいいな。
でも。きりがないから。
「また、十一時に会いましょう」
「うん」
戸を閉める。
駅まで送ってもらったら、名残惜しくなっちゃう。
制服なのに、公共の場なのに、ちゅってしたくなったらお互い大変だから。
「あ、綾街!」
扉が開いた。
そして。
ぱたぱたと駆け寄ってきた白瀬先パイの口唇が、重なって。
「じゃ、あとで!」
茹で蛸みたいな顔で去っていった。
なんだったんだろ。
口唇に残るゆずの香りが、なんだ、その。
あったかかった。




