事案第二十六号「無断外泊」(5)
白瀬先パイのお部屋にはなんどか通させてもらっていて、その度にものが少ないなって思う。
だけど、それでも勉強したり、文献をまとめたりするのには十分だったけど。
「どうやって寝るって、先パイ。答えはひとつしかないんじゃないですか?」
「……うーん。床で寝るつもりだったんだけどな」
「座布団かクッションしかないじゃないですか。風邪引いちゃいますよ」
そう言いながら、ベッドの上に乗る。黄色い麻の葉模様は、たしか無病息災の祈りだったか。
大正ロマンを生きる白瀬先パイらしい爽やかな柄だと思う。
ころんと寝転がってみると、セミダブルくらいのサイズだろうか。結構ひろいから、ふたりでも十分だろう。
す、と息を吸えば、白瀬先パイの汗とシトラスが混ざった、身体の芯にずしんと来る衝撃。
「ふふっ」
「なんだよ。良い匂いとか言ったら蹴り落とすよ?」
「じゃあ、言わない」
「こいつ」
ベッドに載った先パイが、膝でわたしを押す。きゃあ、なんておどけてみせながら、掛け布団を身体に巻いてやる。
「あ、こら。私が寝られなくなるだろ」
「じゃあ、入る?」
がばっと持ち上げて、白瀬先パイを招き入れる。
「私の布団なんだけどなあ……」
「じゃあ、わたし、冷たいフローリングの上で寝ますね」
「だから、そんな、脅すなってのよ」
困り眉で言って、眼鏡を外してから、お布団の中に入ってきた。
密着しないと狭いベッド。向かい合うと、薄い生地越しの体温に、甘い吐息。目の前は大写しの先パイの顔で、ちょっと顔を突き出せばどこかしらが触れあいそうだ。
だから。おでこをぶつけておく。
なんだかこの空気で別のところをくっつけたら、危ない気がする。
不純じゃないよ。
そんな気持ちじゃないけど。
いつか読んだ英傑が美姫を抱き殺した話なんか思い出しちゃうと――社会的な死を迎えかねないことをするのが本当に正しいの? っていうブレーキに繋がる。
わたしと、白瀬先パイは、恋人同士ではない。
だけど、春の孤独な図書室でパーソナルスペースがぶっ壊れているひとだと思っていたあの時から。
わたしは、白瀬先パイの体温に救われてきたのだから。
「先パイ」
「うん」
「ふふっ。なんで緊張してるの?」
「いや、綾街が近いから、さ」
「そうですか。誰でしたっけ、無理矢理相合い傘をしてきたの」
それを言われると、なんて小さく零して、先パイは天井を向いた。
「……綾街とこんな関係になるなんてな、って思っちゃう」
「それはわたしのほうが言うべきじゃないですか? だって、先パイは、わたしに一目惚れだったんですもんね?」
返事はない。
だけど、耳まで真っ赤で、かわいい。
ちょっとだけ身体を起こして顔を覗き込むと、恨みがましいような目線が返ってきた。
「ふふっ。かわいい」
「……あんま調子に乗ると、後悔させるよ」
「へえ。どんな風に?」
からかってやる。
すると、据わった目が、わたしを射貫いた。
身の危険を感じてちょっと引く。
と。
ころんと身体が押し倒されて、両手が押さえ込まれた。
「付き合ってもないのに、エッチなんかしちゃったら、不純だよな。同性だけど」
「……そうですね」
生唾を飲み込む。
同じことを考えていたらしい。
「確認しますけど、先パイ。わたしにそういうことをしたいんですか?」
「……いや、答えにくいな。多分イエスだけどさ」
本当に答えにくそうに言ってから、仰向けに倒れた。
「綾街が傷つくことはしたくないから、綾街がしたいなら、遠慮しないけど」
「そうですか。困りましたね」
布団の中で手を繋ぐと、力強い返しがある。
そのまま腕を絡めると、離れないよう力強く締め付けてくる。
顔を向けると、裸眼のせいか険しいけれども、優しい瞳。
物欲しそうな口唇。
「ふふっ」
「なんだよ」
「かわいいですよ、白瀬先パイ」
「……そっちのほうがよっぽどかわいいんだよ、一香」
「~~!」
ふいうちっ!
何ヶ月ぶりの名前呼びなのッ!
「ずるい、ですっ」
「ふん。からかうのが悪いんだ」
くすくすと笑って、そして、わたしの頬を優しく包む温かい手のひら。
「寝ようよ。クリスマスとかさ、ノリと勢いとか、そういうんじゃないと思う。種生蒔菜の時代とは違くて、私たちには時代の後押しがあるんだから」
それは、いつの日か。
女同士だけど祝福されるという未来を抱いた発言だと受け止めておこう。
「ロマンチストなんですね」
「ああ。ロマン溢れる時代は、大好きだよ」
そう言って笑う白瀬先パイに、気が付くと口唇を触れあわせてしまっていた。
たった今、ノリと勢いじゃないって言ったばっかりだったのに。
でも。
逃げない。
「かわいい先パイが悪い」
人のせいにする!
「……はぁ~」
六秒間の息止めの後、深いため息をついた白瀬先パイは、苦笑した。
「好きだ」
「わたしも好きですよ、先パイ」
だから。
「これからも変わらない関係でいましょうね」
「……そうだね」
「彼女を作ってもいいですよ」
「それはないわ。綾街は?」
「りりちゃんと付き合おうかなあ」
「それはないわ」
冗談だとわかっているからこその、軽口。
この場にいないりりちゃんには非常に失礼なことを言っているけれども。
暖かい体温。
暖かい吐息。
暖かい粘膜接触。
それが。
深い寝息に変わった。
すう、すう、と規則正しい呼吸に合わせて、白瀬先パイの胸が上下している。
そっと触れてみる。
柔らかい生地がいくつか重なって、柔らかい感触が手のひらに帰ってくる。
……まあ。わたしにないものに触れている物珍しさはあるけど。
好きな人に触れたいっていう感情の以上のことは、出てこなかった。




