事案第二十六号「無断外泊」(2)
「ちょっと、ママっ! いっちゃんが来るなら言ってよおめかしするのに!」
秋穂家の玄関を通った瞬間。輝美さんの苦情が響き渡った。
チラッと見えた輝美さんは、わたしの基準だと街歩きができそうな服装だったのに
「一香ちゃんが来なくてもまともな格好をしなさい、花の女子大生が」
「ねーちゃん、ふだんの生活が外に染み出すんだよ」
「テルミー、ファッション雑誌買ってこようか?」
散々な言われようである。
「ねーえ、いっちゃんみんなヒドくない?」
部屋から出てきた輝美さんはどう見ても素敵なんだけど、あんまりどこが変わったかわからなかった。なのに、
「いいじゃん」
「それがいつもできたらデキる女子大生」
「ファッションモデルみたいネー」
理解が追いつかない。
ズボンが柔らか素材からハーフパンツとタイツに替わっただけに見えるけど、なにがいいの?
目を白黒させているうちに、今度は視線がわたしに集まって、
「どうせ、長居してもらうなら一香ちゃんも着替えちゃえば?」
「じゃあ私の服、貸すよ」
「シラーセタイショーロマンだからいっちゃん! には合わないよ」
「ならこのおねーさんがコーディネートしたげよう。いっちゃん、おいで」
なぜか輝美さんの部屋に連行された。
「あ、あの……着替えって」
「このあと、クリパするからさ。今日の雪じゃ、北藍まで帰れないでしょ。私も医療大だからあっちの厳しさわかるよ」
北藍駅からさらに北へ、なんにもない中にいきなりそびえ立つのが、輝美さんの通う大学だ。
目の前に駅はあっても、地吹雪が酷くなると汽車は動かない。
「我が家はいっちゃんのお泊まり、ウェルカムだから。っと、この辺着てみよっか」
クローゼットから、わたしには明らかに大きいサイズのネルシャツがホイホイ出される。
逃げられなさそうだ。覚悟を決めて、まずはブレザーを。ループタイを解き、ブラウスのボタンを外す。
「ちょ、いっちゃん? 私、部屋出るよ。勢い良すぎるよ」
「? 輝美さんのお部屋だし、いろいろ着せ替えをさせられるならいちいち出るの、面倒ですよね?」
「いや、脱ぐのとか抵抗無い?」
ああ、なるほど。気遣いをしてくれていた。
「ひとりでスーパー銭湯行くと、みんな豪快ですよ。それに体育の着替えとかもしてるわけだし、わたしの身体なんか、おもしろいところなんて貧相でちんちくりんなだけじゃないですか。気にしたってしょうがないこと気にしませんよ」
返事はなかった。
スカートが、足元にすとんと落ちる。
タンクトップとタイツ姿で立っているわたしは、寂しそうに眉尻を下げる輝美さんに見つめられて、なんだか居心地が悪い。
「……あの、わたしの身体って、本当はどこかおかしいんですか?」
さすがに戸惑ってしまう。
そんなものを衆目に晒していたのか。だったら不純異性交遊疑惑の時にそこを押せば、もっと楽に勝てたか。
「いっちゃん」
静かに、だけどお腹の底に響く強い声だった。
「あなたは、すてきな女の子。確かに背は低いけど普通の範囲だし、胸が薄いのも既製品で対応できてるんでしょう? だったら貧相とか言わないの」
「えっと、でも近所のファッションセンターだとサイズがなくて、ジュニアですよ」
「そこは問題じゃない。しーちゃんとお揃いの下着を買えたんでしょ?」
「なんで知ってるんですか」
「しーちゃんが言ってた」
白瀬先パイっ!
「それにね、腰だってちゃんと括れているし、手足の肉の付き方も子供とは違うんだから」
「あの、それってどういう目線ですか」
「医療大生として学んでるからの目線」
その分野を知らないのでなんとも言えないけど、輝美さんはプロの卵として、わたしを勇気づけようとしてくれているのかもしれない。
だったら。
ちょっと申し訳ないな。
「いっちゃんは可愛いしさ、キレイ系だし、制服とかも姿勢良く着こなしてるのはカッコいいって、イトコも言ってるよ」
「りりちゃんが」
白百合に例えられる、長身の美少女からお褒めいただいていたとは。
……まあ、自尊心が高いわけではなく、孤高の撫子とあだ名されているのを聞けば、わたしの見た目は良いのだと、いや、うん。自惚れていいのかもしれないとは思ってた。
だけど、りりちゃんや、輝美さんまで肯定してくれる容姿でいられるのは、そうね。嬉しいかも。
「照れますね」
「あ、赤くなってかわいい。キスしてあげる」
「それは結構です」
残念そうな輝美さんから目を逸らして、出していただいたネルシャツを見比べる。
どれもかなり大きいけど。
「私でもオーバーサイズだからね。ワンピっぽく着てもいいんじゃない?」
なるほど。
だから、敢えてハーフパンツを出してくれているんだ。
手早く着させてもらうと、最後、ウェストをぽぽんと叩かれて、
「うん。かわいい」
にこりと、白瀬先パイそっくりな顔で破顔された。
白瀬先パイとそっくりなシトラスの香りが、ああ、柔軟剤だと気がついて。
ちょっと、心臓が早歩きを始めちゃったみたいだ。
脱いだ制服を手早く畳むと、輝美さんは戸を開けて「どうだ、秋穂家の女ども! うちのかわいい一香さまのお出ましよ!」
などと啖呵を切っている。それはやめてほしい。
「素材の味を殺すダサシャツ」
「サイズ感があってたほうが綾街には合うけど、姉ちゃんのじゃしょうがないか。百点」
「いっちゃん! なに着ても似合うね」
なぜか酷評された輝美さんは「もういいよ」と力なくうなだれて。そして、わたしはぶかぶかな袖を引いてキッチンに連行された。
「一緒にお料理しよ。お姉さんを慰めて」
「いいですけど。お料理も慰めるのも」
「やったぜ。ねえママ、いっちゃんとザンギ作るね」
一方的な宣言に、あらあらなんてぜんぜん困ってない顔で頬に手を当てるお母様は
「一香ちゃん、ここで料理なんかしたらいよいようちの子扱いよ? お家がそれじゃ困るって言うならしーちゃんを送りつけるけど……洗濯しかできない粗忽者なのよね」
「ママっ!」
流れ弾を受けた白瀬先パイが悲鳴を上げる。
わたしに下着も洗い方をレクチャーしてくれた先パイが、粗忽者。なんだか意外だ。
「いいですよ。折角なので、ミスまちこ仕込みのザンギを振る舞います」
腕まくり、舌なめずり。
やったろうやないかい、と気合いを入れると、りりちゃんはまず「ざんぎ?」と首を傾げ、輝美さんとお母様は「ミスまちこのって美味しいじゃん」と黄色い声を上げ、白瀬先パイは、
「綾街。いいの?」
「何がですか。とりあえず鶏肉が何キロあるか……」
「ミスまちことの関係、うちの母どもに伝えて」
「別に、前にお話したと思うので」
と、答え。
お母様も、輝美さんも、「え?」と言って顔を見合わせた。
「何か聞いたっけ」
「記憶無いわね。一香ちゃん、ミスまちこさんと知り合いなの?」
……あれ?
墓穴を掘った?
いや、まあ、そのうちバレるんだろうけど。
言ったつもりと、聞いていない。
もしわたしが正だとしたら、そんなに取るに足らない情報だっていうことで。わたしがあやまちだったとしたら、わたしの記憶力に問題があるっていうことだ。それでいいや。
「なんでもいいです。とりあえず、六人前を作ればいいんですよね? キャノーラ油一本と、鶏もも肉が五キロくらい必要かな……」
「綾街、何人前作るつもり?」
白瀬先パイが、頬を引きつらせて聞いてくる。
どういう確認だろう?
「六人分ですけど」
「うちはパパ以外、そんなに食べないからさ」
「そうですよね。他に料理もありますから、ザンギだけでおなかいっぱいにしちゃいけないですよね。えっとそれじゃ、わたしが二キロ食べるとして、皆さんは五百グラムくらい? 少なめにして四キロくらいあればいいのか」
「綾街って、算数が苦手なんだよなあ……」
白瀬先パイの吐息。ゆずの香り。
あれば、柑橘フレーバーも面白いかもしれない……じゃなくって。
「失礼ですね。わたし、こう見えて模試で数学は六十くらいあるんですから」
「苦手なのは対人コミュニケーションだったか」
失礼な。
事実陳列罪だ。
抗議の視線を向けていると、白瀬先パイはそっぽを向き、肩を震わせる。
なんだ。
「まあまあ。私、いっちゃんの料理手伝うから。イトコとしーちゃんは、サラダとか用意してよ。ね、母さん。準備できてるんでしょ?」
輝美さんが場を取りなして、冷凍庫から鶏もも肉を二枚用意してくれた。
随分豪華な食卓にするつもりなのだろう。こんな、一人前にも満たない分量でオッケーということは、いろいろな料理が用意されるっていうことで。
「綾街はお祭りだと良く食べるもんね」
ひー、と息を整えた白瀬先パイは、そういえばわたしの普段の食生活イコールお昼休みのお弁当だと思っているんだと思い当たった。
だから、お祭りの時はリミッターを解除するように思われているんだろう。とんでもない。
だけど、急遽押しかけてしまったんだから。いくら楽しい場だからって言っても、適度に遠慮しなくちゃね。
手早く肉を切り、ニンニクと生姜を適量まぶし付け、醤油で漬け込む。その間にピーマンを細長く切り、――赤ピーマンもある!
「これ、使っていいですかっ?」
「もちろんいいわよ。好きなの?」
「はいっ。わたし、カラーピーマンって特別感があるから、好きなんです」
「よかったわ。サラダにパプリカも入れてるわよ」
「パプリカはいいです」
白瀬先パイがずっこけた気がした。
「綾街……随分遠慮無く振る舞うね」
「そのほうが、お母様もうれしいのではないかと思ったんですけど」
白瀬先パイのお母様を見ると、にっこにこと満面の笑みで
「本当に。かわいい娘が増えたみたいでうれしいわ」
と、なんだかこそばゆいことを言ってくれる。
その間に、粉を用意する。
わたしが母に――ミスまちこに勝てるのは、この粉の配分だけだ。
「あら。レシピと違うのね。小麦粉と、片栗粉?」
「はい。母のレシピだとざくっと感が足りない気がして」
「あら~。オリジナリティを出しちゃう系料理人なのね」
お母様が警戒心、という一言を顔に貼り付けた。
それもそう。料理研究家のレシピを勝手に解釈して、結果的に全然違うものにしちゃうひとも多いらしい。
だけどその点、わたしはミスまちこ本人に振る舞ったことのあるレシピだから大丈夫。
「ママ、綾街の料理はマジで美味しいんだから、邪魔しないの」
「邪魔なんかしてないわよぉ」
「ママ! わたくしとあっちでゲームしましょ!」
りりちゃんに腕を捕まれて、お母様はリビングに消えていった。
残されたわたしと、輝美さんと、白瀬先パイ。
「騒がしくって敵わないよね。ごめん」
「先パイもご存じのとおり、わたしの母のほうがとんでもなく騒がしいですから」
頭を下げてしまった先パイに、粉に塗れたわたしはふれることができない。
だけど。
「今日、もしも家に帰れたとしても……父さんは帰ってこないし、母さんだって東京だし。お声がけしてもらって、本当にうれしいんですから。しかもこんな歓迎ムードで。輝美さんも、お母様も、心の底から喜んでもらえるように、わたしは誠心誠意、ザンギを作ります」
むん、と気合いを入れてみせる。
白瀬先パイは目を細めて、そして、輝美さんに
「良い子でしょ?」
「知ってる」
自慢して、そっけなく返されていた。




