参考メモの四「しらせ」(1)
その知らせが、秋穂白瀬の元に届いたのは、まさしく綾街一香が教室でビラを巡り周囲を問いつめていたころ。
図書室に向かおうとしていた秋穂白瀬が、不意に呼び止められて足を止める。
「ああ、神野さんか」
いや、と首を振り。
「マキナって呼ぼうか」
神野マキナは、白貌を飾る狐目を細めて笑った。
「ねえ、場所を変えない?」
「話があるって言うなら、いいけど」
「うふふ……ついてきて」
誘われるがままに向かったのは、揺貴蒔菜比売のお社。
秋穂白瀬にとっては、まだ中学生だった綾街一香と初めて言葉を交わし、彼女自身の心境を入れ替えた聖域だ。
そんな社殿に、神野マキナは我が物顔で侵入する。
「いいの? 入っても」
「別にかまわないわ」
「マキナの部屋に上がるみたいな……まあいっか」
神野マキナが薄く微笑み、そして、奥に通した秋穂白瀬の正面に立つ。
両手の指の腹同士を、胸の前で緩くあわせて。
「ねえ、ご存じ? 綾街一香さんって、レズビアンなんだって」
「……はあ?」
素っ頓狂な顔をしたが、しかし、彼女にも心当たりがないはずない。
「幾たびか、口づけくらいしたのでしょう? ねえ、貴女はどうなの? 昔から女の子が好きだったの?」
「そんなの答えてどうするんだい」
「へえ。綾街が好きだから、男子への初恋と同列じゃない?」
「! くっそ、相変わらず見透かしてくるな……」
頬を赤らめて、目をそらす秋穂白瀬。
本当にわかりやすくて、けれどもその分必死さが伝わってくると言うもの。
「それでっ、なんだっていうんだ。私と綾街がキスしたら世界が滅びるとでもいうの?」
「ある意味は、そうかもしれないわね」
ぐ、と秋穂白瀬は息を詰めた。
自覚があるのかもしれない。いや、ある。
「今まで順調に、揺貴の歴史を紐解いてきた貴女たちなら乗り越えられると思うけど……貴女が手を汚してでも、綾街一香さんを助けたいと思うなら」
「何が起きてるって言うんだ。教えてよ」
掴み掛からんばかりの勢いで、秋穂白瀬は詰め寄った。
ポプラのように背が高く、荒れる風を去なすような物腰で、神野マキナが受け止める。
そして。
「……わかった」
銀縁眼鏡の奥が暗く輝く。
「このときのために、私は品行方正に生きるのをやめたんだ」
固く握りしめた拳、爪が食い込んで白くなるほどに。
◆
秋穂白瀬はすぐに動き始めた。
秋穂家がホストファミリーとして受け入れている留学生のイトコ・リリーバーグが、綾街一香とクラスメートなのだから、何か知っているだろうとあたりをつけたのだ。
「イトコ、何があった?」
「うーん。シラーセには、言いにくい」
いつも快活な留学生が困るのを見て、これはいよいよただごとではないと秋穂白瀬は悟った。
「頼むよ」
自分より上背のある相手の肩をつかみ、詰め寄る。
その鬼気迫る表情がなければ、ビスクドールとも言われる白磁の美少女に、言い寄るようにも見えただろうか。
「……いっちゃん! と、口論になったよ」
「何が原因だ」
鼻先が触れるほどに顔を寄せる。
シトラスの制汗剤やゆずのリップの香りが、相手を飲み込まんとするほどに迫る。
目を逸らしながらも、イトコ・リリーバーグは「まってね」と答えるために要する時間を必死に縮める。
『彼女を中傷するやつがいたわ。有名人の娘で、その権力を使って関係を強要しているって。もちろんすぐに彼女は否定していたけれども、そこに至るまでに、わたくしと、宇和と、笹芽で、彼女が情報に触れないようにしたの』
『それは、彼女が嫌がりそうなことです。そして、君の様子から考えると、情報が伝わってしまったということかな?』
力なく笑うイトコ・リリーバーグは、
『どうしたらよかったと思う? 白瀬、貴女はあの子の特別な存在なんでしょ?』
縋るように、自らを追い詰める少女に問い返す。
『結局ね、わたくしは、すぐ故郷に帰る留学生でしかない。せっかくクラスメートたちが、彼女と対になるような、白百合という素敵なニックネームをくれたのに。彼女を咲かせる光になれるのは、同じ花であるわたくしではないみたいよ』
寂しげな物言いの留学生から一歩の距離を置き、秋穂白瀬は深く、深くため息をついた。
「自分で自分のことを定義するなよ、バカ……」
そして、踵を返す。
小豆色のスカートが広がる。
「殻を破ろう、イトコ。ついてきて」
◆
証拠の保全。
そしてその特徴を調べるために、秋穂白瀬はイトコ・リリーバーグから件のビラを手に入れた。
「これで犯人がわかるの?」
「これだけじゃわからない。だけど、この紙さ。校内で配られるプリントに使われてる紙じゃないかな」
イトコ・リリーバーグが「え?」と目を丸くした。
「シラーセ。Print……えっと、印刷物? あまりもらわないよ。わたくしは少なくとも、メールでもらってる」
「最近急激にIT化してるからね。でも一部の教師は旧態依然としててさ、プリント――ああ、配布物を紙でくれるんだよ」
言いながら、秋穂白瀬は紙を日に透かす。
「あとは、部活動でも印刷することはあるね。図書委員だとポップを描いたりするけど、放送局とか演劇部は脚本を書いて印刷したり。吹部は楽譜とか、かな」
「Ach...シラーセ。ここを見て」
イトコ・リリーバーグの細長い指が、ビラの端を指さした。
そこは、トナーが擦れたような黒ずみがうっすらと浮いている。
「お手柄だ、イトコ」
「この掠れかたをするPrinterを特定したら、犯人が絞り込めるね」
「断定仕切れないけどね……ログでも残っていたら一発なんだけどな」
一般生徒でそこまで調べるのは難しいだろうかと、ふたりは考え込んでしまう。だが、
「ね、シラーセ。ただのともだちは?」
ぽんと手を打った留学生に対し、秋穂白瀬は一瞬なんのことかと思い、
「トモミのこと? 多田野」
「Ja! そうかも」
「確かに。アイツ、顔広いしな。頼ってみようか」
思い至ったが吉日、ふたりは多田野朋美がいそうな場所を探し始めた。
「何部だっけなあ」
「電話して聞いたら?」
「そうしようかな」
携帯電話を取りだした秋穂白瀬だったが、しかし、直後に校内放送のベルが鳴った。
立ち止まり、天井を見上げる。有孔ボードの天井に開けられたスピーカー穴から、
『生徒の呼び出しをします――』
がびがびになった声だが、秋穂白瀬には間違えようがない。友人の声だ。
「あいつ、放送局だったのか」
奇しくも、ふたりがいる場所は放送室の近く。
迷うことなく秋穂白瀬は、入り口の重厚な扉を叩いた。
「はい~。あれ、どした」
ちょうど良く、防音扉が開かれ、中から多田野朋美が姿を現した。
「トモミ、ちょうどよかった。聞きたいことがある」
「珍しく真面目な顔じゃん。よっしゃ、聞いてやろうじゃないの。入りな」
防音扉の向こうへと通された。
中は玄関スペースと、機材室と、そしてスタジオに分かれており、それらの行き来は分厚い鉄扉によって隔てられている。
スタジオの中、姿勢良く肩幅に立ち腹式発生の練習をする生徒、窓際でキヤノンケーブルの半田付けをする生徒らが、来客に好奇の視線を向けている。
一方で、機材室には生徒は居らず、多田野朋美は来訪者をそちらに通し、鉄扉を慎重に閉じた。
「んで? 白瀬が来るなんて、よっぽどのことなんでしょ?」
音響卓に尻を預け、多田野朋美が促す。秋穂白瀬から見ると、スタジオ室からの光が後光となって、ただの友人であるはずの彼女を神々しく照らす。
「口外無用」
「もち」
「これを見てほしい」
「なにこれ。わ、原版?」
「原版って」
多田野朋美は声のトーンを落とし、そして、音響卓のスイッチを指さし確認し始めた。
「万が一にもあっちに聞こえないように、卓の電源も落とした、と。
で、原版ってのはさ。SNSで密かに出回ってるんだよ、このビラを写した写真。名前はもちろん隠されてるけど」
多田野朋美が差し出したスマートフォン画面にはたしかに、手元にあるビラが写っている。だが、
「これ、床が特徴的じゃない? カーペットだよ」
イトコ・リリーバーグの指摘に、ふたりは顔を見合わせる。
ブルーグレーとネイビーの市松模様に並べられた、タイル式のカーペットだ。
いくつかの特別教室に、カーペットが敷かれている。だが、それらは床下配線ができるようにされたコンピューター室や、防音のための視聴覚室。あるいは放送室奥のスタジオ室もそうだが、
「そこは、ピンク系だね」
「部屋ごとに色が違うのか。視聴覚室は?」
「行ってみないとわからないね。手分けする?」
ブルーグレーのタイル式になっているカーペットが敷かれているのは。
日頃注目しているわけではないために咄嗟に思い出せない。それでも、
「多目的室はお尻が冷たいイメージないよね」
「格技場は?」
「畳じゃないっけ。使ってるのは薙刀部とか剣道部でしょ」
「わざわざ畳を退かさないよねえ」
それぞれに記憶を手繰り、可能性のある部屋をピックアップしていく。
「うーん。部員に聞く?」
多田野朋美の提案に、秋穂白瀬は渋い顔をするが
「カーペットの色を聞くだけならありか。わかった、私イトコは、実際に見て回る。トモミは、新しい場所が挙がったら連絡をちょうだい。ただし、」
「うん。わかってる。後輩ちゃんのことは伏せるんでしょ」
ぱちりと目配せする多田野朋美の手を握り、秋穂白瀬は「頼んだよ」と強く、叩きつけるような視線を向けた。
◆
まずはプリンターを置いてそうな場所を優先して見て回ったが、ほとんどがグレー、あるいはピンク系だった。
「なにか法則性とかあるのか?」
考え込むが、秋穂白瀬とイトコ・リリーバーグのふたりでは答えに思い至らない。
三階から、二階へ降り、特別教室棟を練り歩く。
「シラーセ。別の場所で印刷して、持って行ったということは、考えられない?」
「不自然じゃないか。印刷した場所から持ち運ぶのに誰かの目についてもいけないし。その場で写真を撮った方が自然だと思うんだけど」
推理と呼ぶにはおぼつかない会話を重ねながら、カフェテリアに差し掛かる。
そこは生徒玄関から図書室に向かう途中の玄関ホールで、大きなガラス張りの壁と、反対側はかつての卒業生たちが作製したレリーフが飾られている。
そのレリーフの材料は、校内の至る所にある記念植樹のポプラが寿命を迎えた際に伐採されたもの。
「いつも思うの」
イトコ・リリーバーグが、レリーフの前で足を止めた。
後ろ手に組み、距離を取り、そのレリーフの全容を視界に収める。
「ユリギノ女学院。ポプラ並木に囲まれた、Frontierの魂が息づいているはずなのに。どうして、こんなにも普通の女の子が揃ってるんだろうね?」
レリーフは、鬱蒼とした原野を切り拓く屯田兵をかたどったものだ。
イトコ・リリーバーグの身体を廻る血液は、確かに揺貴屯田兵村開拓に携わったジョンソン・ジョーンズの血脈である。
そんな彼女が、今のユリギノ生を指して、普通と表するのは、秋穂白瀬にとっては興味深い出来事だった。
「普通だったからこそ、必死だったんじゃないかな。マキナ・ジョーンズも、種生蒔菜も」
綾街一香と共に調べたからこそ、明治の開拓の歴史は秋穂白瀬の知識となっている。
すらすらとキーマンの名前が挙がるほどに。
「特に、種生蒔菜なんて、この時代に生きていたら綾街みたいになっていたのかもね」
「逆に、イッチャン! がその時代に生きていたら、どうなったかな」
「活字に会えなくて発狂するかもね」
その冗談にイトコ・リリーバーグは腹を抱えて笑い始めた。
「そんな面白い?」
「ヒィーっ。だって、おふっ……ねえ。イッチャン! 確かに!」
けらけら笑われると、それはそれで気恥ずかしくなるのか、秋穂白瀬は頬をぽりぽりとかきながら視線を逸らした。
その、目線の先。
多目的ホール横の、収納庫の扉が開いていた。
そして、その床は。
「あったよ。イトコ」
「にゅふふふっ……ふえ?」
「ブルーグレーだ、カーペット」
笑いも止まり、イトコ・リリーバーグがまず先陣を切る。つづいて、秋穂白瀬。
収納庫の中は積み上げられたパイプいす。そして、演劇部が作ったのであろう大道具、小道具が詰められた折りたたみコンテナも堆く壁となっている。女子高生の膂力で積み卸しは骨が折れることだろう。
「見て、シラーセ」
イトコ・リリーバーグが収納庫の奥から手招きし、秋穂白瀬を呼ぶ。
折りたたみコンテナの壁の向こうだ。
四畳半ほどの空間が確保されており、会議机が並んで二脚。
打ち合わせスペース、あるいは作業場所として使われているのであろう場所だ。
「壁際にプリンターもあるね。これが、印刷したものだって断定できたらいいんだけど」
それを確認しようにも、接続されるべきパソコンもない。
「いや、まてよ」
一か八かだが、当てがある。
「イトコ。誰かが来たら、このプリンターから適当に印刷してもらって」
「シラーセ、どうするの?」
「私は、ここの部屋に出入りする人間を捜す!」




