事案第二十五号「不純異性交遊」(3)
そして、放課後。
明日からの、一ヶ月弱にわたる冬休み。
そしてクリスマスイブ当日という、どうしたって浮き足立つ放課後。
教室棟の三階から、階段を下り、渡り廊下を渡って、職員室に向かう途中。
「いっちゃん! 落ち着いてね。バーサーカーになったら負けちゃうよ!」
りりちゃんがそんな激励とともにハグを。
「綾街さん。大丈夫だから」
「うちら、綾街応援隊は全力で推してるからね!」
笹芽さんと宇和さんが、ガッツポーズ。
「特進の黒撫子だ」
「やっぱりかっこいいよね」
「どうせ噂はやっかみでしょ?」
普通科クラスから。
「留学生と仲良い子だよね」
「レズ疑惑で呼び出しだって」
「この女子校で? こわっ」
「どっちの意味でさ」
「エスの子がいるのにレズって騒ぐことが怖いよ」
英文科クラスから。
「フクイモモノ先生のお気にチャンだ」
「ちっちゃいのに度胸あるよね」
「今朝、幾杉先生に食ってかかってたって」
「マジウケる。フルボッコしてやってほしい」
家政科クラスから。
「撫子ちゃんだ。なんか呼び出しだってね」
「芸能人が親だってねえ」
「別に普通だよね。うちの親も議員だし」
商業科クラスからも。
噂と、憶測と、好奇心の視線や言葉が、嵐にように降り注ぐ。
これが矢嵐なら、一晩で十万本は放たれるんじゃないか。
「やあ。綾街一香さん」
渡り廊下に差し掛かったところで、神野先輩が行く手に待ちかまえていた。
「今朝は痛快だったようね」
「まあ、どうも」
「裏サイト、というか、SNSで密やかに拡散されているわ」
さすがに、足を止めざるを得ない。
「あ、見た見た! 綾街ちゃんでしょ? ガンバってね!」
通りすがりの、たしか白瀬先パイと仲の良い多田野先輩だったかが、手を振りながら去っていく。
「どうしてここまで大事になっちゃったんでしょう」
戸惑いを禁じ得ないわたし、神野先輩はたおやかに微笑む。
両手の五指を胸の前で合わせ、
「必死な乙女の神頼みは、極上の甘露だからよ」
にこりと、口の端だけを持ち上げた。
雪のような白貌。ふわりと舞う小豆色のスカート。
「風当たりが強くたって、女神様は見守っているのだから。乙女たちを、風雪から、ね」
風雪。
防風林を整備した揺貴蒔菜比売らしい表現。
あるいは風説とも掛けてるんだろうか。
「心強いですね」
「ええ。そうであれば、わたくしも嬉しいと思っているわ」
本心はどこなんでしょうか、ユリギノさん。
貴女は、本当に味方なんですか?
「なあに、綾街一香さん。わたくしの顔なんかじっと見て?」
「いえ。では、職員室に行って来ますので」
神野先輩の横をすり抜けて、渡り廊下を歩く。
その出口には、白瀬先パイの姿。
「先パイ」
「行こうか」
会話はそれで十分。
呼び出された会議室前で立ち止まって。
白瀬先パイの手を握って、大きく深呼吸をふたつ。
「行きます」
「うん」
短いやりとり。
手を離して、扉を開ける。
◆
無機質なリノリウムの床。
有効ボードの天井と壁。
貼り付けられ、消し残しが目立つホワイトボード。
薄いグレーの長机。
座面が臙脂のものと深緑のものがランダムに並ぶ、キャスター付きの事務チェア。
そして。
奥に立つ校長と、教頭。
「ああ、一年特進の綾街さんと、二年英文のあきほさん」
「秋の穂で、あいおです」
すかさずの訂正をとっさに飛ばした白瀬先パイは、やべ、と小さく呟いた。
「最近の子は読み方が難しくて、固定観念で読んでしまう。いけないねえ」
校長の自嘲は、白瀬先パイにとってはありふれた切実さなんじゃないだろうか。だからこその訂正の早さで、だけど諦めているからこその無表情で。
でも、名前に限ればひねった読みのわたしもそうだし。
ステレオタイプとか、認知バイアスとか、思いこみだってある。
誰にだって、決め付けはある。
だからこそ、そうじゃないときは正さないと。
「君たちには、集合を少し早く伝えてもらった」
教頭が、薄く青みの入った眼鏡越しの視線を向けてくる。色眼鏡で見るというものだろう。
「今日の帰りの手段は、確保できているのかい? とくに綾街さんは、北藍駅だ。まだ、電車は止まっているようだよ」
「天気次第ですけど、頑張れば歩けます」
二時間くらいかかるかもしれないけど。吹雪だし。まあ、なんとかする。
「あまり遅くならないよう、気を付けよう。タクシーチケットでも渡そうか? ほかの生徒や先生方には内緒だけど」
「お心遣いありがとうございます。でも、ちょっとずるをしているみたいなので、今はいりません」
頭を下げると、校長がガハハと笑い声をあげた。
「こんな子が、不適切な男女関係を持とう、なんて考えるかね!」
あ、なるほど。
試されていたらしい。
「綾街さん。キミは誠実に、品行方正であろうとしていたことを、とくに副担任の福飯先生から聞いているよ。今日の会議だって、あっさりとおわるつもりだった。だけど、ほら、見てみなさい」
校長が指を指す。
それは、渡り廊下の向こう、教室棟の窓にずらりと並ぶ生徒たち。
「注目を浴びてしまっているようだ。校長の立場では、このままお咎めなしとしたいのだが」
その提案は魅力的で、とてもじゃないけどわたしみたいなちんちくりんが抱えきれない問題を一気に終わらせられて、スッキリと冬休みに突入できるだろう。
だけどそれじゃ、解決していないんだ。
「予定どおり、おねがいします。わたしはわたしの潔白と、正当性と、秋穂先輩の名誉を回復しなければ気が済みません」
言い放ったというのが適切なのかはわからないけど。
白瀬先パイに触れた手が燃えるように熱を持ってきたから、
「ユリギノさんに誓ったんです」
「……よろしい。では、教師陣も呼ぼう」
校長の目配せで、教頭が職員室に戻っていく。
束の間の空間。ただ待つだけかと思えば、
「秋穂さんも、大変な子を捕まえたね」
白瀬先パイにそんな語り掛かけを始めた。
「綾街は、まあ、おとなしい子ですよ」
「そんな風には、確かに見えるけどね」
「校長先生、私に何を言わせたいんですか?」
白瀬先パイの問いに、校長は大仰に頷き、
「まあ、座りなさい」
正面のいすを、わたしたちに勧めた。
「実は、うちの娘が商業科の卒業生でね。綾街さんのお母さまと、クラスメートだったらしい」
おや。ということは、わたしの母が料理研究家だと知っているわけだ。
家庭でそんな話をしているなら、わりと個人情報管理が心配になってくる。だからこそ白瀬先パイがこの場にいるんだし。
「この学院には、弁護士や医者、誰もが知る総合スーパー、はたまた議員やスポーツ選手、ありとあらゆる家庭のご令嬢が通っている。お母様が卒業生だという家庭も多い」
一息。
「そんななかで、割とふつうのご家庭から、一時は特待生として選ばれていた君でも、綾街さんは大きすぎる存在だったりはしないかな?」
「そんなことだったら、校長先生。前提が違いますよ」
白瀬先パイは。まっすぐに校長を見据えた。
野暮ったい銀縁が、その鋭さに冷たさを重ねていく。
「わたしを救ってくれたのは、ここにいる綾街一香であって、誰かの何かだったり、何かにあやかったものじゃないです」
そう言って、白瀬先パイはわたしに向かって、片目を閉じた。へたくそウィンク。
「いつか、道を誤った私が、あるべきように導く光だと思ってますから。濁らせるようなこと、させません」
「ふむ。それがユリギノさんの思し召しでもかね?」
「女神がなんだってんですか」
ユリギノ女学院の、しかも仮にも特待生だった白瀬先パイが、とんでもないことを口走った気がする。
「な、何やら地雷を踏んだかな。たはは……」
まるで校長が力なく笑ったのを合図にしたように、教師陣がぞろぞろと入室してきた。




