事案第二十四号「優先順位」(2)
会議室を追い立てられるように、退室を促された。
さすがに、ハッタリが効き過ぎている気がして、隣で湿った吐息をする白瀬先パイに、向き直る。
「いきなりで驚きましたけど、来てくれて心強かったです」
「んん、いいんだよ。先に綾街が動いちゃって、迷惑かけたみたいで申し訳なかった」
少し重そうに、銀縁眼鏡をなおした。
「幾杉って、去年のうちらの主任でね……私の特待生資格を停止じゃなく、喪失にしたのもあの人だったんだよ」
事も無げに振る舞う姿は、なんだか痛々しく見える。
それもそうだよね。傷つかないわけ、ない。
連れ立ってカフェテリアに向かう道すがら、白瀬先パイはその身上を訥々と話してくれた。
輝美さんがバレエを始めたことに影響を受けて、バレエを始めた。すぐに輝美さんはやめてしまったけど、先パイは楽しくて続けた。
中学生の頃にはオーディションで大役を勝ち取って、大人に混ざって舞台にも立っていた。
その経歴から、ユリギノ女学院の特待生として入学した。けど。
中学三年生。受験のためと言っていたけれども。ほとんど踊っていなかった。
「成長痛と、急に背が伸びて、うまく回れなくなった」
そう言いながら、片脚で立ち、もう一方の脚を後ろに軽く引いて、両腕を優雅に広げる。
「アラベスクが綺麗とか、身体が柔らかいとかいうよりも、飛んだり回ったりができなくなったのショックでさ。無理にやって、膝を壊しちゃった」
感情の起伏がないまま、白瀬先パイはまた歩き出した。
薄暗い階段を下りる。
その足取りは怪我をしているようには見えない。
「大人に混ざってやるには、ブランクがありすぎた。同年代と踊るのはプライドが許さなかった。中途半端になった私は、また無理をした。高校生になって好きな英語は成績を維持できたけど、他が下降線。踊りの実績も残せない」
どうなるかわかる? と、無機質な声が階段の螺旋で反響した。
ぐわんと鼓膜に叩きつけられた無感情に、わたしの声帯は震えることを許されない。
「そうして、怪我が理由か、審議があった。けどその頃には、バレエをやめちゃったんだよなあ。かと言ってほかに何かやっていたわけでもないから、怠惰な特待生だって、あの会議で認定された」
一階に着いた。
明るい日差しが差し込むカフェテリアはもうすぐで。だけど、白瀬先パイはわたしに振り返る。
逆光が、野暮ったい銀縁が、白瀬先パイの表情に流れる一筋を、わたしから隠そうとしているみたいだった。
「そんなときに、綾街と出会ったんだ」
「わたしと……? でもそれって、入学より前ですよね?」
「違うよ、綾街」
瞳を閉じ、少し上を向いて、白瀬先パイは諳んじた。
北藍中学三年、綾街一香です。
こちらのユリギノ女学院に、特待生試験でお邪魔しています。
試験には手を尽くしたつもりですので、是非とも春からこちらにお世話になれますように。
「……覚えてる。紺色のダッフルコート着てさ、髪はひとつで縛って。中学生らしい顔立ちなのに、笑顔ヴェールで覆われた無表情。撃ち抜かれたよ、自暴自棄になりそうだった私は」
その思い出話は確かに身に覚えのあるエピソード。特待生面接で来たときの服装。ユリギノさんに初めて手を合わせたときのお祈り。
そして。作り笑顔で乗り切った面接と、その顔のまま言葉を交わした、人の、姿……!
「あれって、白瀬先パイだったの?」
「ははっ。忘れられてても仕方ないよね」
乾いた笑い。
感情の非対称性が、わたしたちの間に横たわっていた。
あの出会いが、白瀬先パイにとってそんなに重要だったなんて。
「私は、あの時から何をおいても綾街一香と共にあろうと決めた。ユリギノさんにも縋った。図書室で初めて綾街と出会ったときは、天にも昇るような気持ちだった。言葉を交わして、距離感バグり散らかすほど猛アタックして」
だから、と。
白瀬先パイ続ける。
「これは、恋心から始まった依存。何をおいても、綾街力になるって決めた、私の決意。バレエを諦めた代償を昇華させて」
吐息。
小さく、零れる言葉。
「綾街に私の愛の重さを報せたいんだ」
「本当に、重たいですね」
率直な感想に、白瀬先パイはようやく感情のある笑顔を見せて。
「でしょ?」
と、くしゃくしゃに笑った。
そして、急に表情を改める。
浅く眉をたてて、
「私にとって、綾街を守ることは、自分を肯定することにつながるから。そのために、やることはやった」
そこまでの一息を、深く吸いなおして、
「……ね、神野さん」
わたしの背後に呼び掛けた。
気配が急に染み出す感覚。振り返ると、長身がそこにいた。
「じ、神野先輩! いつからいたんですか」
「つい、今し方よ。秋穂白瀬さん、綾街一香さん。聞かせてもらおうかしら、あなた達が何を願うのかを」
光を浴び、銀縁眼鏡のきらめきが、増した。
「私の願いは……」
◆
放課後の図書準備室は薄暗くて、静かで、だからこそ密談にふさわしい。
広い作業テーブルを囲むように、わたし達四人は顔を見合わせている。
白瀬先パイ。
神野先輩。
そしてなぜか、りりちゃん。
「じゃあ、作戦会議だ」
白瀬先パイが立ち上がり、わたし達を順に見据えていく。
「ここにいるみんなは、綾街のことを大好きなメンバーだと思ってる。そうだよね、イトコ」
声を掛けられたりりちゃんは朗らかに笑み、
「もちろん! でも、このメンバーでいいの?」
「いいの。コアメンバーは多すぎてもいけない。それに、十分だ」
ホワイトボードに文字を走らせていく白瀬先パイ。
「イトコは、マキナ・ジョーンズの足跡を辿りに来た。神野さんは、綾街に揺貴町の歴史を調べさせた。私は綾街と共犯者。十分だろ?」
「共犯。うふ、すてきな響きね。何時の間にか、関係が進展していたのね」
神野先輩は胸の前で手を合わせ、狐のような瞳を細める。
「ねえねえ、ふたりはどこまで進んだの? 手はつないだわよね?」
どうして脱線してるんだか。
正直にキスしなんて言うわけ無いだろうに。
……なんか、にんまりとこっちを見ている。
「あらあら。うふふふっ。おませさんねっ。いつから付き合っているの?」
心を読まれたみたいに、見透かされている気がする。
「そういうのじゃ、ないです。ね、先パイ?」
「いっちゃん! シラーセ、お互いにloveじゃないの?」
思わぬ伏兵。りりちゃんも興味津々で身を乗り出してきた。
「別に。そんなんじゃないよイトコ。私と綾街は」
ね、と目配せしてくる白瀬先パイに不満はあるけど。こんなに惹かれている相手を、好きだって公言できない苦しさ。
だけど。
ビラ騒動のことあるし、この内輪であっても肯定することに問題があるから。
「わたしと先パイは、そうはならないです」
ツヤツヤと輝き始める神野先輩と裏腹に、りりちゃんはしおれた百合みたいにくにょんとなった。
「つまらないね、いっちゃん!」
「つまるかどうかでは、ありませんから」
「それで、わたくしは何を求められているのかしら? 秋穂白瀬さん」
機嫌が良さそうな神野先輩に、
「知っていることを教えてほしいんだけど」
「まあ。何かしら」
「幾杉先生の弱みは、知ってるでしょ?」
獲物を前にした狐のような強い輝きが、神野先輩の瞳に宿った。
「悪いことを考えているわね」
「ん、悪いことかもね」
なにやら不穏な会話。
わたしが知らない間に何事かが進んでいるのかもしれない。
じっと白瀬先パイを見つめると、右目を薄く閉じた。――意外と、ウィンクが下手?
「ぷっ」
不意に、神野先輩が吹き出した。そして、顔を背ける。
「目配せが下手ね、秋穂白瀬さん」
ああ、同じところに引っかかったのか。
――なんて思うわけがない。
やっぱり、まるで見透かされているみたいで気持ちが悪い。
神野マキナ。ふたりのマキナと同じ名を持つひと。
「なあに、綾街一香さん?」
どうしてか、うれしそうな神野先輩はぐっと伸びをして、立ち上がった。
「わたくしは、幾杉先生の弱みを握ってきたらいいのね? 例えば、プライバシーの侵害や、針小棒大に事を大きくする悪癖の証拠などを」
それ、弱みというよりは……
「脅すんですか? 教師を」
不安が勝つ。
明確に、学院へ楯突く行為じゃないかと。
わたしはいい。当事者だし、白瀬先パイにこんな悪事を巡らせておいて、特待生の資格を惜しんでなどいられない。
だけど、神野先輩もりりちゃんも、無関係だ。
とくにりりちゃんは、ただわたしのことを守ろうとしてくれた、……えっと、友人、だ。
「ふたりに渡らせるには、危ない橋すぎませんか、先パイ」
「神野さんはともかく、イトコは渡りたいって言ってくれてるんだよ」
え、と声が出た。
ここまで控え目に、穏やかにしていたりりちゃん。
「シラーセの大事ないっちゃん! わたくしも大好きだからね!」
ぱちっとウィンク。白瀬先パイとは大違いの綺麗さに、なんだか胸が熱くなる。
本当にどうして、今まで彼女のことを受け入れられないと思っていたんだろう。
「いっちゃん! わたくしも善意でやるわけじゃないよ。この町を開拓したご先祖様のことを知るには、いっちゃん! 力を貸してほしいの。Win-Winでしょ?」
「力を貸りっぱなしなのはわたしのほうなのに。翻訳とか、いつもありがとうございます」
閑話休題、
「それで、先パイの考えではりりちゃんに何をしてもらうんですか?」
うんとひとつ頷いた先パイは、
「綾街の調べ物を全部共有してもらったうえで、ジョーンズ博士の手記を全翻訳してもらう」
「今回の件と関係ありますか?」
「あるね。むしろ本丸だ」
全容が見えてこないけれども、りりちゃんの目的とも一致しているし、おかしなことにもならないだろう。学院側から見ても留学生の自主研究だ。口を出しづらい。
「じゃあ、今まではスポットでお伝えしていたこと、全部お話ししますね」
「オッケー、いっちゃん!」
頭の上で大きくマルを作るりりちゃんに、神野先輩はなにやら神妙に視線を向ける。
狐を思わせる、光を宿さない縦長の瞳で。
「……Machina?」
「貴女は、そう。ジョーンズ博士の末裔なのね」
寒気を覚える声色だった。
「知った上で、考えるのも大事ね?」
やっぱり何かを知っていて、わたしに何かをさせたがっている。それを拡大して、今度はりりちゃんも巻き込もうと言うんだ。
本当に何者なの、神野先輩。
……荒唐無稽な推測はあるけど。
「それで」
軽い咳払い。白瀬先パイが場の空気を調えようとしたんだ。
「私と綾街は、学院の資料を漁る」
「わかりました。なんの資料でしょうか」
覚悟を決めた返事。
銀縁眼鏡の奥が、僅かに揺れている。
「綾街は、品行方正を是としていて、日頃からいい子を心掛けてるもんね?」
「そうですね」
「じゃあ。ルールって、守るもの?」
意味深な問いだと思う。当たり前の話。
だけど。
白瀬先パイが言いたいのは、
「わたしが本当に校則違反を犯したか、どんなあやまちをおかしたのか、立証するんですね?」
「そう。何のためのルールか。守るよりも、作るべきじゃないか? 平成のゴムの乱や、年速一センチを戦った先輩方のように」
脳内で激しく、銅鑼鳴らす音が響いた。
戦いの幕が上がったんだ。
ルールに則り品行方正に生きようとしたわたしの、あやまちを巡る戦いが。
/◆◆◆
図書準備室を出て、下校していく綾街一香と、秋穂白瀬。
それに着いていこうとしたところを、呼び止める。
「なあに、ジョンノサン?」
イトコ・リリーバーグ。
かつてのお雇い外国人である、ジョンソン・ジョーンズ博士の血を引く少女。
「うふっ。神野よ。じんの」
「発音むずかしいね!」
コロコロと笑うように破顔した少女を前に、神野マキナは微笑をもって見つめる。
両手の指同士を、胸の前で合わせ、祈るように。
「あのふたりが、不純な交わりを重ねているのかしら?」
「日本のルールはわかんないけど、ふたりは、きにぴ同士みたいだよ」
なかなかハイカラな言葉だ。
神野マキナは「へえ」と頬を緩め、そして、重ねる。
「あやまちおかすべからず。あのお二人が、道を外さないように、近くで見守ってくださいまし。そして――」
屋内なのに、スカートが揺れるほどの風が吹いた。
「紡いでくださいまし。引き裂かれた魂の半身が辿ったその歴史を、貴女の国で、貴女の言葉で」




