事案第二十三号「取り調べ」(3)
幾杉先生は言った。
子どもらしくないと。
だったら、徹底的に子どもになってやる。小学校でよく耳にしたあのフレーズだ。
――先生に、いいつけてやる!
生徒指導室を飛び出したわたしはその足で、向かいの部屋をノックした。
「はーい、どうぞー」
緩い返事が聞こえた瞬間、を開く。幾杉先生は追って来ていない今がチャンスだ。
「失礼します」
重厚な木の扉を開いて、身を滑り込ます。
深いブラウンのスーツに身を包み、革張りのオフィスチェアに腰掛けた壮年の男性――それが、木滝理事長の姿だった。
「おや。君は――綾街一香さん、かな?」
「わたしのことをご存じ、なんですか」
「夏休みの課題のことは、驚いたからね」
ほっほ、と微笑む理事長先生は、それからわたしの顔色を窺って「まあ、座りなさい」と応接セットを指し示した。
「いえ、ここで大丈夫です」
「先生の腰がね、良くないんだ。大事な学院生を立たせたまま話を聞く気はないから、座れないなら、お話は聞けないね」
大人ってば本当にずるい言い回しをするんだから。
仕方なくわたしは、ソファに身体を預けて――「うわっ」沈み込んだ!
「あっはっは! ごめんごめん、そっちはスプリングが抜けていてね!」
「……! そ、そうですか」
さっきとは違う汗を流しそうになる。いや、さっきも汗掻いてないけれども。
「それで、何があったんだい?」
あくまでも優しげな理事長先生の声音に、わたしはひとつ吐息して落ち着く。
そして、掴んで握ったままのプリントを、テーブルに置いた。
「理事長先生。ひとつだけ教えてください――この資料を、とある先生から見せられましたけど、コンプライアンス的に大丈夫ですか?」
わたしは、幾杉先生のやり方には憤っていない。
ずるいと思うし、教師から生徒への脅しだと思う。
だけど録音をしていたわけでもないし、証言できる第三者もいない。
それなら、物的証拠だけで責めるべき。
「これは……?」
「二年英文科の秋穂先輩の資料です」
「ふむ」
太鼓腹を揺らして、くしゃくしゃになったプリントを手に取った理事長先生は、眉間に皺を寄せた。
あまり期待はしていない。
わたしの夏休みの課題をもみ消したのも、この人だ。
これだって、調べるとかなんとか言って、闇に葬られる可能性がある。
でも、わたしは学習する。
「お答えください、理事長先生」
そう言いながらわたしは、ポケットから携帯電話を取りだした。
そして画面を上にして、テーブルに置く。これ見よがしに。
「……調査しよう」
「約束してください、理事長先生。何の調査でしょうか」
「個人情報保護の体制を」
「ありがとうございます。秋穂先輩は、わたしの――大事な人なんです。その人の情報が、こんな扱いをされているのは、耐えられません」
唇を噛みしめる。
過去に、白瀬先パイが特待生だったことなんかどうでもいい。
ただただ、わたしの行動の行く末が、白瀬先パイに降りかかることだけは、避けたかった。
「約束しよう」
そう言いながら理事長先生は、メモ帳を手元に引き寄せる。
そして「特待生に掛かる個人情報流出の件について、理事長権限により調査する。木滝」と署名まで入れた即席の書き付けを用意してくれた。
「ここまでしていただかなくても」
さすがにそこまで、と思ってしまう。
だけど、
「大人はずるいからね。これを君が持っていたところで、正式な文書でもないメモ書きは怪文書でしかないよ。お守りとして持って行きなさい。大人はずるいけど、ずる賢いからね。君を守ることもあるだろう」
「……信じるんですか? そのプリントこそ怪文書だと思いますけど」
「わかるさ」
朗らかに、理事長先生は笑った。
「必死な乙女の神頼みは、女神にとって極上の甘露であるからね」
「は……神頼み?」
どこかで聞いたフレーズな気がする。
「理事長なんて、学院生からしてみたら本来は神様にも等しい、雲の上の存在だよ。そこに願いを届けたんだ。報われたっていいじゃない?」
父親ほど離れたおじ様のウインクという珍しいものを目撃してしまったせいではなく、鼻の奥がツンとしたから、瞳を伏せ頭を下げた。
落ち着くまで、熱っぽさが引くまで十秒。
顔を上げたわたしは、
「突然、すみませんでした。お仕事中に」
改めて、非礼を詫びると理事長先生はまた笑った。
「扉を開けておこうかと思ってたくらいだよ。もっと学院生と話をしたいものだからね」
理事長職というのは、そうもいかないものなんだろう。教育委員会だとか文科省だとか、わたしが想像も付かないようなひとと会ったり、話したりしなければいけないんだろうから。
ふと。
理事長先生がわたしを通り越して何かを見ているような気がした。
振り返ると、扉側の壁に、歴代の理事長の写真が飾られていた。
初代、女学校時代の創立者である、種生守さんの姿もそこに、あった。
「ん、何か気になったかい?」
「初代の理事長、大正のころの――種生守さん、お顔をはじめて拝見したなって思いました」
「……そうだったね。君は、郷土史を調べているんだったね」
ゆったりとした足取り。理事長先生は写真の下に立ち、そして横へと移動していく。
初代校長、種生守。二代目と三代目は初めて見る名前。そして初代理事長に、木滝姓の女性の姿。
「戦後、揺貴女学校をユリギノ女学院として再興させたのが、僕の曾祖母なんだ。女学校の設立年に生まれ、その生涯を揺貴女学校と共に歩んだ女性だった」
「木滝常彦さんの縁者ですよね」
「そこまで、掴んでいるのか……」
理事長先生は目を見開き、そして嘆息した。
「夏休みの課題は、ストップをかけただろう」
「それで止まるのが、ユリギノ女学院が育てようとする生徒像ですか?」
お話をしていて、緊張が解けてきた気がする。こんな冗談まで言えるんだから。
理事長先生は、初代理事長の写真の下で振り返り、柔和な笑顔を見せる。年の頃も性別の違うのに、そっくりな笑顔。きっと木滝常彦さんも、似たような顔立ちをされていたんだろうと想像できる顔立ちだ。
激動の明治を生きた人。慶応の時代だって御維新だって経験をされている常彦さんが、こんなに柔和な顔をされていたとは想像できないけれども。
「種生家から管理を任された二代目校長とその息子、そしてその三代目から全てを託され、戦後の時代に女学院を再興した曾祖母。――三代目と曾祖母は年の離れた夫婦でね、二人は役人だったらしい」
がははと笑った理事長は、うんうんと一つ頷いた。
「年の差があったからね。戦中の動乱は、腰も立たない状態だったようだよ。だというのにそこから種を繋いだんだからねえ。種生じゃないのに……あ、セクハラか。忘れて」
……はい。忘れました。わたしが言及しちゃったのが悪いです。
「種生守さんの遺志が、現代まで受け継がれているのはよくわかりました」
「うん。当時の名士は、若い娘を娶ることも珍しくなかった。種生守との約束を果たそうとした二代目も、その息子も、自分の父親に近い年齢の男と結婚した僕の曾祖母も、相当な覚悟があったんだろうね」
「どうしてそこまでして、この学校を継ごうとしたのでしょう。もうひとり挟めば良かったのに」
「本当にね」
苦笑した理事長先生は、またゆったりと歩みを進める。
壁に作り付けられた本棚を開き、一冊のスクラップブックを取り出した。
「これが曾祖母の結婚式の写真。幸せそうだろう?」
それは、地域ローカル新聞の切り抜きだった。
揺貴女学校の校長が妻を娶ったという主旨の文章が続いている。
今までの調査で、新聞記事を当たると言うことはしてこなかった。
そして。確かに理事長先生が言うとおり、安らかな笑顔を見せる花嫁姿の女性が写っていた。
「古い価値観だったのかもしれないしね。家を守ること、というのはこの学院を守ることに繋がったのかもしれない」
何かほかに気になるものはないかと、ぱらぱらめくってみる。
文字も小さく、質も粗い。だけど、すごく興味を引かれる。
「あのっ」
「ああ、持って行くといいよ。冬休み明けにでも返してくれたらね」
意外な反応だった。
「どうして、親切にしていただけるんですか?」
「君が必死そうだからだよ」
必死そう。
そうか、わたしは必死になっているんだ。
白瀬先パイのこともあったのに。
いや、だからなのかもしれない。わたしの特待生要件の維持のためには。
ビラ騒動を経て、繋がっちゃいけないところが繋がった感じがする。
「ありがとうございます。大事に扱います」
うんうんと頷く理事長先生に頭を下げ、そして理事長室を退室する。
薄暗い廊下。さらにその向こう。
日が落ちかけて、斜陽が差し込む中。
「おかえり」
夕日をバックに立つ白瀬先パイは、妙にかっこよく見えた。
「せんぱぁい……」
気が抜ける。膝が笑う。だけど、スクラップブックを胸に抱いて、白瀬先パイの元へ向かう。
「緊張しました」
「うん。それは?」
「理事長先生からお借りした、スクラップです。新聞記事とかが切り抜かれていました」
「こんな時にまで、ユリギノさんの調査? 熱心だね」
苦笑しながらも、白瀬先パイはわたしの頭に手をおいて、撫でてくれる。
ああ、暖かい。
震えていた指先が、膝が、居場所を見つけたように落ち着いていく。
「まったく。無茶して……」
わたしの手からスクラップを抜き取って、そして、右手の指の腹で頬に触れてきた。
「涙拭きなよ。借り物、濡らしちゃう」
「えっ?」
手を、頬にあてる。
確かに気が付かないうちに、ぽろぽろと雫が零れて、あれ、止まんない。なんで。
「うっ……せんぱい……ありがと、」
おかしい。
両手で覆っても、おかしい。止まらない。
混乱している。っていうのをなぜか俯瞰して見ていて。
わたしの頭が、先パイの右腕に包まれて、わたしの涙が、先パイのブラウスに染みていく。
「先パイ……あの、ですね。わたし、レズだって、言われてっ」
急に何言っているんだ。
でも止まらない。
「不純異性交遊してるって」
「うん」
「相手、先パイだって」
「そっか」
「真面目に、きいてっ」
「聞いてるよ」
「職員室まえ、で、こんなっ……抱き合ってたら……噂になっちゃい、ますっ」
「いいじゃん」
鼓膜の震えが嘘かと思った。
思わず飛び退き、白瀬先パイの顔を見上げる。
なぜか知らせ先パイは目を細めて、そして、口角が大きく上がっていて、一言で言うなら、うれしそうだった。
「私は、綾街が相談してくれてうれしいよ」
きっと、わたしを信じて待っていてくれたんだろう。
結構長い時間だったはずなのに。
それだったら、どうせ図書室にいる神野先輩にあらましを聞いていてもよかったはずなのに。
「なんで、そんなやさしいのぉ……」
今度は、わたしから白瀬先パイの胸に飛び込んだ。
噂になっていいなら、甘えるしかないじゃない。
「これから戦うんだろ? 私が付いているから。何か出来ないかもだけどさ」
「ううん、先パイが、一緒にいてくれるだけで……わたし、戦えますから」
涙は引いた。
じゃあ。
あとはやることを、やるだけだ。




