事案第二十三号「取り調べ」(2)
辞書を引いてみた。
不純とは。純粋・純真でないこと。
純真とは。心に穢れがないこと。
異性とは。男女の性が異なること。
交遊とは。人と親しく交際すること。
交際とは。人と人が付き合うこと。
それじゃあ。わたしの自認としては。
綾街一香とは。ユリギノ女学院一年普通科に通う帰宅部。
秋穂白瀬とは。ユリギノ女学院二年英文科に通う図書委員。
ユリギノ女学院とは。寒雁市揺貴町に所在する私立女子高校。
わたしは確かに、白瀬先パイのことを好いている。
わたしからキスまでしておいて、それが恋愛的な意味なのかはわからない――というのは理屈として通らないと思う。だから、きっとこれは初恋。
じゃあ、わたしはレズビアンなのだろうか?
これはわからない。
女の人を好きになるのか、白瀬先パイが白瀬先パイだから好きなのか。
答えは保留。
じゃあ、親しく交際をしているのか。それは、してるだろう。お家にもお邪魔しているし、下着を一緒に買いに行くし。図書室でも帰りのバスでも一緒に歩いているし。身体的接触もいやじゃない。パーソナルスペースの狭さだって、もう気にならない。
この気持ちが不純なのか。
「わかんないなあ……」
カフェテリアの、窓際の冷え込むひとり席。
放課後の喧噪。
部活へ向かうジャージ姿。
帰宅のためコートを着込んだ姿。
カラフルな光景を目に焼き付けながら、吐息する。
冷たい空気が喉を冷やす。
吐き出す息が、唇を湿らせる。
胸元のざわめきは、薄い皮膚を通して、ブレザーまで揺らすんじゃないだろうか? ――肝が据わっていると担任は言っていたけれども、そんなことはないみたいだ。
何を言われるのだろう。
どんなふうに、取り調べがあるのだろう。
「綾街」
声を掛けられた。図書室のほうから。
「白瀬先パイ――」
図書室の当番なのだろう。
銀縁眼鏡姿の白瀬先パイが、
「顔色が悪いよ。大丈夫?」
大丈夫だよと、微笑もうとした。
だけど。
上手く笑えてないかもしれない。
「……白瀬先パイ。時間がそろそろ迫っているので、行きますけど」
「う、うん?」
「あの。お話しましょうって言って、まだ話ができていないことがあるので……また、お話する時間をください」
何やら、わたしの様子に感じ取ったものがあるのかもしれない。
静かに「わかった」と答えてくれた白瀬先パイだからこそ、わたしは、懐いたんだと思う。
「わたしに何かあったら、神野先輩に聞いてください。本当は、わたしの口から言いたいんですけど」
頷く白瀬先パイに会釈を残して、立ち去る。
ぱたぱたと、はしたない足音だ。
薄暗い廊下に差し掛かり、階段を上がる。
踊り場。ロングスカートのプリーツがふわり舞う。
足早になっているみたいだ。
それは、心臓の鼓動に幾分か比例しているみたい。
職員室のある区画、奥の方。
薄暗いそのエリアに足を踏み入れる。
無機質な、グレーの扉。ステンレスのドアノブ。
ゴシック体の、生徒指導室というレタリングを見上げて、生唾を飲み込む。
緩く握った拳で、扉を叩いた。
「一年、特進コースの、綾街です」
「どうぞ」
返事があった。
失礼しますと挨拶し、入室すると、茶色い木目の長机が二台、向かい合わせに並んでいる。
手前の長机には、細い眼鏡の、髪を巻き上げた年かさの教師。険しい表情で、こちらを見ていた。
「生徒指導の幾杉です。綾街一香さん、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
「そちらにお掛けなさい」
促され、奥側の長机に用意されたパイプ椅子に腰掛ける。
目の前には、クリップ留めされたプリントが一部置かれていた。
「わざわざ放課後に、ご苦労様。部活もやっていない、予備校にも通っていない、ということのようね。特待生要件の維持は、大変かしら?」
アイスブレイクのつもりなのか、それとも聴取がすでに始まっているのか。わかりにくい切り出し方だと思った。
「学力条件と、活動実績ですよね。定期考査の順位も、全国模試の偏差値も、下回らないようにして、維持できています。活動実績は――」
言い淀んだ。
この先生が、夏休みの課題によって今後の活動実績をパスしているというのは、ご存じなのだろうか。
「……部活動や個人活動、あるいは学院指定の資格試験合格です。貴女の資料からは、どれもないようですが」
「はい、そうですね」
「放課後に、たっぷりと時間があるはずですが、なにをしているの?」
なにを、と来たか。
これは、知らない前提で話をしたほうがいいのかもしれない。
「郷土史の調査をしています」
「郷土史? 夏休みの課題の?」
「そうです。引き続き、朝日図書館の閉架を当たったり、揺貴町の歴史に詳しい方にお話を伺っています」
「どうしてそんなことを」
きっかけは些細なことだった。
ただ、アドバイスに従って調べ始めた。
夏休み明けの市のコンクールへの送付が、理事長ストップになった。
それが、興味に繋がった。
それを一言で表現すると、
「どうしても知りたくなったんです。この町を、この学院のことを」
「それをして何を――ああ、いや、本題ではないわね」
居住まいを正した幾杉先生は、資料に目を落とす。
「今年度の要件は達しているということになっていますね。理事長先生からの許可が下りている。おめでとう」
「へあっ、はい。ありがとうございます」
詰問が続くのかと思えば、そんなことはないみたいだった。
でも、幾杉先生の眼鏡が輝いたような気がする。
「それでは、綾街さん。谷先生から、なぜ呼び出されているのかは聞いていますか?」
来た。
ようやく本題に入るらしい。
「軽く、伺ってます」
「それでは、まずはこのビラの真偽について確認するわね」
幾杉先生は慎重に言葉を選んでいる。
「まずは、綾街風香さん……テレビではミスまちこという芸名で活動しているOGが、貴女のお母様である。これは間違いないわね?」
「間違いありません」
「あの人の娘だからって、大した権力もなさそうだけど。大女優ってわけでもないし、大セレブってわけでもないし」
それはそのとおりかもしれないけど、稼ぎで言ったらただの私立高校の教師の何十倍かは稼いでいるから、そういう言い方はよした方がいいのではないでしょうか――なんて言ったら怒られそうだ。
言ったら言ったで、お金の力で闇の勢力を動かしているとか言われても嫌だし。
「何か、不満げね?」
「あ、ごめんなさい。こういう顔付きなもので、もう少し優しい顔をしなさいと言われることもあって」
中学時代のことだ。
面接指導で、当時の担任の先生や、礼ちゃんにも言われたことがある。里奈ちゃんはそれがわたしのいいところだと肯定してくれたけど。
「そういう態度が、お高くとまっていると言われる要因なのかもしれないわね」
堪える。
「貴女がどんな家庭環境なのか、クラスの子たちは知らないのでしょう? 特待生であるというのも、基本的には当人しかしらないわけだし。それで貴女が親の七光りを鼻に掛けるなんて……この学院自体、授業料だって制服だって高いのだし、良家の子女たれと願った保護者の方が、必死な思いでかわいい我が子を入学させる伝統校よ」
うちが、そうじゃないと言いたげに聞こえる。
だけど、堪える。
「会社を経営している方や、お医者様、市議、いろんなご家庭があるわ。そんな中でも芸能人というのは珍しいのだけどね。千人近くの学院生の中には、当人が芸能活動をしているケースもあるわ。ご存じ?」
「いえ、すみません」
「謝るようなことではないわ。本人もそれを鼻に掛けているわけじゃ無いのだから」
つまり。
ビラの内容が事実ならという前置きのうえで、わたしが鼻に掛けていることを咎めているんだろう。
「事前に、貴女のことは担任の谷先生と、副担任の福飯先生からも話を聞いているわ。真面目で、品行方正だという評価だったけれど……」
一息。
「若い子風にいうと、コミュ障なのかしら? お友達が少ない、と。それは事実?」
生徒指導のわりに、随分と強い言葉を使うじゃないか。
言い返しそうになって、ふと気が付いた。
試されているのだと。
きっと、昨日の騒動も耳に入っている。強い言葉を使っていたことも、リリーバーグさんに英語で言い返していたこともきっと。
深く、吐息をした。
よし。
「入学式から一週間、体調不良で欠席しました。その間にクラス内ではグループができあがっていて、わたしが入り込む余地がなかったように思えます。先生の仰るとおり、コミュニケーションが苦手な性質なのでしょう。だから、途中から割って入ることができなかったのだと思います」
「素直に認めるのね」
「事実ですので」
「お友達がいないのに、レズビアンなの?」
心の声は封印する。研修を受けてこい、なんて顔に出したらまずい。
「幾杉先生、その質問には答えられません」
「あら。どうして?」
幾杉先生が身を乗り出してきた。
「貴女自身のパーソナリティのことでしょう?」
「先生、口を挟んでしまい、申し訳ないんですけど、わたしは不純異性交遊の疑いを持たれていると谷先生から伺ってます。異性間の問題があると、いうことですよね?」
問いに、幾杉先生は乗り出した姿勢を正した。そして、手元のプリントに視線を落とし、眼鏡をくいと持ち上げた。
「貴女、顔もいいし、部活動も予備校も行っていない。けれども、持ち物は高級そうなものが多い、と。最近、ストールを纏っているそうね? あれってフクイモモノ事務所のデザインじゃない? 一介の高校生が持つには高級品よ」
なるほど、わたしの金回りが良いことを言っているのかな。
そしてそれは、顔を使って稼いでいるのだと。
「頂き物、です」
「高級品を?」
「いえ、試作品だそうです。学校に届いた時に、福飯先生から受け取りました。フクイモモノさんの手紙が同封されていて、見ていただいてます」
「どうして個人的に、届くのよ」
「母が、フクイモモノさんと親交がある関係でしょうか。母の現住所はご存じでしょうけど、わたしの家をご存じなかったら、学校に送られるのではないでしょうか」
母さん、ありがとう。
OG訪問で一緒に来てくれていたから、理路整然と話ができた。
「それを見せびらかしている、というのは?」
「コートが不要だと思った日に羽織ってきただけです。今日のようなコートが必要な日には、マフラー代わりです」
「校則で、コートは指定されているでしょう?」
「マフラーなどは指定されていないと記憶していました」
ふうんとひとつ唸って、また資料へ視線が落ちる。
「指定されていないからと、好き勝手していいわけじゃないのよ」
「それは、申しわけありません」
「今回の件については、貴女自身の態度が根底にありそうね。そうやって、周囲を小馬鹿にした態度を貫いてきていたのでしょう? だから友達もいない、無駄に敵を作る、というようなことがあったのではないの?」
「言葉遣いや、振る舞いが悪かったということであれば、改めたいと思います。ご指導をお願いします」
素直に頭を下げるしかないじゃない。
きっと今まで関係のなかった先生だし、わたしを憎いと思っているわけじゃないと思う。
だけど、先生は先生なりに色々と調査をしたうえで、この時間を設けているはず。そう思うなればこそ、真摯にお話を聞く必要がある。
「脅す、という表現も、あながち磯じゃないのね……サイコパスというのは、犬猫でも虐待していた?」
「そういった事実はありません」
「じゃあどうしてそんなことを言われるのかしら」
「わたしにはわかりません」
わたしの返答をプリントにメモしていく。
そして、ぴたりと手が止まってから、数十秒。
無言でじっと、わたしのことを見据えている。
何か、わたしの反応を確かめているように。
にこりと微笑むべき? 無表情でいるべき? それとも、強い視線を返すべき?
きっとどちらも不正解。かと言って無表情というのは――そうか。
「愛想笑いね」
無表情の上に微笑を乗せると、そんなふうに言われてしまった。
おかしいな。古来からの処世術だと思ったんだけど。
「まあいいわ。火のない所に煙は立たないというし、何かしらあるのでしょう」
「わたしが至らないばかりに、ご迷惑をおかけします」
「……本当、子どもらしくない子ね」
それはそうかもしれない。
さぞかし不気味なことだろう。愛想笑いを使いこなすちんちくりんなんて。
「不純異性交遊の疑いの件については、校則にこのような言葉があるだけで、同性であっても不純なものは取り締まるべきだと私個人は考えているわ。これは特待生だからというわけではなく、歴史あるユリギノ女学院の伝統を重んじるうえで帰結すること」
「はい」
「その相手が、元特待生ということであればなおさら。貴女だけじゃなく、相手への処分も考えなければいけないわね」
「……は?」
いけない。素っ頓狂な声が上がってしまった。
そしてそれは、隙だった。
「聞こえなかった? 貴女の行動が、他者へ影響を与えるということよ。貴女自身が他者からの影響で動いているように」
「あの、先生」
今度はわたしが身を乗り出す番だった。
「誰のことを、言っているんですか……?」
ふんと鼻を鳴らした先生は、顎をしゃくった。
「そのプリント、ご覧なさい」
指先が冷たい。
手が震える。
だけど、目の前にある書類に何が書かれているのか、確認せずにいられなかった。
英文科 秋穂白瀬
学力要件及び活動実績の不足により、特待生の資格を喪失したものと認める。
「――はっ」
息が止まっていた。
右手を胸に当てると、心臓が暴れ回っている。
髪の毛がはらりとこぼれ落ちて、紙面を隠す。――皮肉にも、喪失という文字が、隠れない。
「なんですか、これ――」
「貴女のお相手のことよ」
「しら……秋穂先輩が、ですか」
立ち上がる。その勢いでパイプ椅子が倒れた。
「わたっ……わたしの、行動で……先パイのことを、――処分?」
上手く口唇が動かない。
目の前がクラクラする。
「場合によっては、来年度の特待生資格の停止ということも考えなければいけませんね」
なんと。
卑怯なことか。
大きく息をする。
止める。
「失礼します」
プリントを掴み、出口に向かう。
「あっ、綾街さん! まだ話は終わってないわ!」
知るか!
乱暴に扉を開き飛び出す。
向かう先は――!




