事案第二十三号「取り調べ」(1)
本格的な雪模様となった朝、わたしはようやく学校指定のトンビコートを着て家を出た。
首には、桃乃さんからいただいたストールをマフラー代わりに巻いて。昨日まで超薄着で歩いていた女とは思えない出で立ちである。
通学バスから降りて、校舎までの道すがら。
電柱の足下に生えている雑草は雪を被っていて、ぐったりとうなだれている。
水たまりは表面に氷を浮かべていて、本格的な冬景色は間近、といったところ。
今日の雪は、どうせすぐ解けるのだろうけれども。根雪は、クリスマスくらいだろうか。
クリスマスにもなれば、すぐに冬休み。
北国特有の一か月弱もある冬休み期間は、母が不在で父が多忙である綾街家では、旅行に行けるわけでもない、勉強しかすることのない長期休暇。
そもそも寒くて、雪が積もるから出掛けにくいんだけど。
今年の冬は、調べ物もあるし、その、なんだ。白瀬先パイとも会いたいし……忙しくしなきゃ、か。
なんてことを考えながら、ユリギノさんのお社の前に差し掛かったので、立ち止まって一礼。
さあ、と。冷たい風が吹き抜けていく。
葉を落としきったポプラの枝にこびり付いた雪がべちゃっと地に落ちる音。これが映画の導入なら、どんな展開を暗示しているのだろう?
再び吹いた強い風。吐く息の白さはかき消されて、冷えた髪の毛を乱雑に揺らしていく。
今はここに立ち寄るべきじゃないと、ユリギノさんに言われているような気がした。
「平穏な一日でありますように」
口の中でつぶやいて、一礼を残し立ち去る。
生徒玄関には厚手のマットが敷かれていて、革ブーツの雪や泥をこすりつけてから玄関をくぐる。
土足で入って、教室前でローファーに履き替えるから、汚れを持ち込まないようにするためだとか。変なの。
大正の頃からの伝統だとか。
当時の校舎は上履きというものを想定していなくて、それが外靴のまま過ごすことに繋がったらしい。
新しい校舎建設のときに伝統だからと残された構造。
夏の間は楽だったけど、冬は狭い教室前が混み合って、不便だ。
「あ、綾街さん……」
「おはようございます」
クラスメートといつもどおり挨拶を交わし、教室に入る。
コートを掛けて、自席に着く。
いつもより寒い朝の、いつもどおりのルーティーン。
担任が来るまでの時間を、持ち歩いている文庫本を開いて過ごす。
これだって、いつもどおり。
久し振りに中国四大奇書を読み返している。母親思いの軍師が罠と知りつつ、帰郷することを選んだシーンだ。
考えさせられることが多いエピソード。好きなシーンのひとつ。
母と離れて暮らしているわたしには、わかるような気がする。うちの場合、才能があるのは、母だけれども。
程なくして、登校してきた宇和さんや笹芽さんに挨拶されてそれを返し、リリーバーグさんが机の横にしゃがみこんであれこれ話しかけてくるのをいなして、担任が来た。
いつもどおりの、つつがないホームルーム。
その最後。
「あとは、綾街さん。ちょっと来てくれる?」
何やら至妙な顔付きの担任の一言で、わたしのいつもどおりはまた、いつもどおりじゃなくなってしまった。
◆
ユリギノ女学院は教室棟と、特別教室棟に別れている。
生徒玄関横にあるカフェテリアは三階までの吹き抜けで、二階、三階はコンピューター室などの設備があって、朝のホームルーム終わりには移動教室のため人通りが多い。
「あの、谷先生。何か……」
「ちょっと、付いてきて」
二階に下りるとすぐ、生徒会室。その隣に放送室がある。解錠して、分厚い防音扉を開き、担任に促されて入室した。
玄関みたいな小部屋のスペースがあった。土間にあたる部分は廊下と同じ素材で、靴を脱いで上がるのだろう。
右手に、ガラス張りの部屋。何やら機材がたくさんある。
正面はまた、防音扉。そちらは見えない。
四畳半くらいのスペースのそこは、スタジオに音を響かせないためにあるのだろうか。
吸音素材が壁にも、天井にも廻らされている。
わたしの足音も、廊下からの音も、響かない。
「あまり、聞かせたくない話だから来てもらったの。ありがとう、綾街さん」
担任が小さく頭を下げた。
教師が生徒にそんなことをするなんてと、驚きを隠せない。
「谷先生、一体、なんでしょうか。改まって……」
「私は、綾街さんが真面目な生徒と言うことはよく知っているわ」
変な前置きがあった。
これは……ビラ騒ぎが耳に入ったんだろうな。
綾街一香はレズ。
そんなパワーワードが耳に入ったら、風紀規定が厳しいお嬢様学校だと、動かざるを得ないのかもしれない。
「貴女にね、不純異性交遊の疑いが掛かっているの」
「そうですか」
即答してしまった。
予想どおりだったというか、ビラ騒ぎ絡みだったら同性交遊じゃないのとかあるけれども。
「驚かないのね」
「似たような呼び出しだと、覚悟を決めた直後でしたので」
「肝が据わってるわね。あのお母様の教育の賜物なのかしら」
「あれは反面教師です」
閑話休題。
担任は咳払いをひとつして、ぎゅっと胸元でバインダーを抱きしめた。言いづらいことを言う決意をされたのだろう。
「今日の放課後、時間はあるかしら」
「はい。大丈夫ですよ」
「部活……はやってないわね。習い事とかは?」
「していません。予備校にも通ってません」
「断る理由はないのね?」
断れることじゃないだろうに、予防線を張っているのはいったいどういうこと。
「放課後、生徒指導室に来てもらえる? ……事情聴取です」
「わかりました」
「あっけらかんとしてる……緊張しないの?」
「不純異性交遊の疑いと、谷先生が仰ったので。後ろ指を指されないように生きてきたつもりですので、何を恐れることがありましょうか?」
なんか時代がかった言い方をしちゃった気がする。
奇書の影響だろうか。
「綾街さんが品行方正なのは、私も太鼓判を押すんだけどね……うーん、言っておくけど」
逡巡の末、担任は二の句を継いだ。
「あのお母様の破天荒っぷりを知っている先生が、蛙の子は蛙だと主張してねぇ……」
なるほど。
鳶が鷹を生む――って言っちゃうとわたしは過大評価しているのかもしれないけれども。
在学中の母が何をしていたのかは、古佐さんからのお話でなんとなく透けて見えるし、卒業後もあのキャラクターでテレビに出演しているのだから言わずもがな。
よござんす、出頭しましょう、だなんていう気持ちで、担任に頭を下げる。
「ご迷惑をおかけします」
「そんな、迷惑だなんて! ……でも、一応確認させて。貴女って、援助交際とか、そういう不純異性交遊にあたることはしてないのよね?」
思わず、鬼気迫った顔をしている担任の顔に笑いそうになった。
「先生、わたしのこのちんちくりんさで、需要なんかないですよ」
「甘いわよ綾街さん。貴女、顔がいいし、髪も綺麗だし、そういう貧相な身体を好きな男性はいるんだから」
自分が誘ってしまったものの、そんな物言いをされてしまっては、思わず自分の身体を抱いて身を捩ってしまう。
「ああっ。ごめん! セクハラだった!」
「……いえ、大丈夫です」
半眼になってしまうのも無理はないと、言わせてもらいたい。
でも、そうだよなあ。
夏服のとき。
ブラウスの脇から胸を見てきたり、ノースリーブでつり革に掴まってるわたしをじっと見てきたり……キスしたり、するひとがいるんだから。同性だし。
付き合ってもいないのにね!
それはともかく。
「……先生はわたしの潔白を信じていただいているんですね」
「そうね。貴女が不純異性交遊だなんて」
「同性でも適用されるんでしょうか?」
え?
と、担任は難しい顔で黙り込んでしまった。




