事案第二十二号「アウティング」(3)
どんなときだって、図書室の主は図書室にいて。
今日もたったかとノートパソコンのキーを叩いている。
その背中に、
「神野先輩」
声を掛ける。
ゆっくりと、ゆったりと振り向いた彼女は、声をかけたのがわたしだとわかるとにまっと笑った。
「やあ、綾街一香さん。機嫌が悪そうだね」
「とても」
「騒ぎになっていたね、特進コース」
やはり、この人はわたしを見透かしたようなことばかり言ってくる。
読心術って言ったって限度がある。
本当に、神様がいるのだとしたら、こういう力を持っていても不思議じゃない。
「それで、わたくしにどのような用事があるのかしら?」
ノートパソコンの蓋を閉じながら問うてくる神野先輩に、携帯電話の画面を見せる。
どれは、さきほど笹芽さんが見せてくれたビラをスキャンしたものだ。
神野先輩は一目見た瞬間に吹き出して、
「何、これっ。言葉のチョイスが、書き慣れていない人間そのものね」
けらけらと笑うその姿に、首謀者じゃないことだけは確かな様子だ。
「なあに、わたくしを疑っていたの?」
「少なくとも、何かしら関与しているのではないかと。先輩はご存じですよね? わたしの家庭環境を」
すると、神野先輩は「そうね」と首肯して、
「なかなか複雑なのでしょう?
綾街一香はレズ
芸能人の親の力を使って
生徒を脅しているサイコパス
自分に従わないと
精神を痛めつけるぞ!
こんなことを書かれるなんて、クラスで浮いているだけじゃ飽きたらず、誰かを脅していたの?」
ひいひい笑い、目に涙まで浮かべる彼女をじっと見下ろす。
視線に気付いてくれるまでの十秒を、じっと。
「こほん。
貴女は当事者だから、笑い事ではなかったわね。ごめんなさい」
居住まいを正した神野先輩は、改めてビラを見て、クスリと微笑む。
「貴女のお母様が芸能人だと知っている誰かの犯行と見ているのね?」
それはそうなんだけど、わたしとしてはもっと具体的な容疑だと思っている。
「それか、流布したか、です」
「流言飛語の出元というわけね。わたくしに、調べろとでも言うのかしら」
「それくらいやってくださいよ、神野先輩。わたしは先輩に言われて、こも揺貴町の歴史を調べているんですから」
吐息。
神野先輩は、二の句を待っている。
だったら。
「そろそろ、目的を教えていただいても、いいんじゃないでしょうか? マキナさん」
神野マキナ。
揺貴蒔菜比売、あるいは生前の種生蒔菜や、マキナ・ジョーンズと同じ名を持つひと。
神出鬼没で、ひとの心を読みあさって、いつもなにかを隠しているひと。
「貴女が誰なのかはこの際、問いません。でも、フェアじゃないですよね? わたしは神野先輩の要請に応じて郷土史を調べているんだから、ギブアンドテイクで考えたら」
「何か勘違いをしているようね、綾街一香さん」
わたしの言葉を遮って、神野先輩は立ち上がった。
細く高いシルエット。
枝垂れるような重たい前髪。
緑色の瞳。
まるでポプラのような、その人は。
わたしの右肩をぽんと叩いて、
「これでチャラよ」
反論の隙を与えてくれずに、去っていった。
なんだったんだろう?
首を傾げざるを得ない。と、
「あれ。肩が痛くない……」
ここ数日悩んでいた痛みが消えていることに、気がついた。
まさか、神野先輩が痛みを持って行った?
そんな荒唐無稽なこと、あるのかな。
あるんだろうな。
きっと、女神様の力なら。
疑問に思いながら、ひんやりとした図書室の中を見渡す。
相変わらず、少ない利用者。
カウンターの奥には、見知った図書委員の生徒。白瀬先パイはいない。
とりあえず、借りていく本でも探そうかなと思って、近場の書架を見上げる。
大学入試向けの問題集が、並んでいた。
赤い背表紙がずらりと並ぶ様は、京都のお稲荷さんを彷彿とさせる。
いいなあ。行ってみたいな、京都……なんて思いながら手に取ったのは、地元の商科大学向けの一冊だ。
古佐さんの母校で、信金に就職したと仰っていた。
並びには、家の近くの医療大学。輝美さんが通っている大学だ。
教育大学のもあるし、地方の畜産大も、工科大も。
進路を、まじめに考える時期が、もうすぐやってくる。
今みたいに適当に、帝大文学部とか書いていい場面は、もうすぐ終わる。
白瀬先パイは進路をどうするんだろう。
卒業したら、会いにくくなってしまうのかな。
あのクラスで、白瀬先パイという癒しもなく過ごす一年間。
なんと、気が遠くなるようなことか。
本を戻して、振り返る。プリーツがふわりと舞った。
「あ、」
ガラス戸の向こう、こちらに向かって歩いてくる白瀬先パイの姿があった。これから部活に向かうのであろうジャージ姿のクラスメートさんと手を振って別れ、そしてわたしを見つけてくれた。
クラスメートさん向けの五倍は大きい手振り。見ているこっちが恥ずかしくなるような、そんな大振りだった。
おまたせ。
口唇の動きだけで伝えてくるから、中に入る気がないのかな? と察して、鞄を掴んだ。
白瀬先パイの前に立つと、純粋に何かを覆い隠すような笑顔でこっちを見ているから、きっと何かあったんだろうなと思って。
「帰りましょう、白瀬先パイ」
「お、うん」
「お話は帰りながら」
無理やり引っ立てて歩いた。
生徒玄関を抜けると、吹き抜ける木枯らしが木の葉を舞わせていた。
ポプラの乾いた枯れ葉だ。
ふわっと舞った後、タイル張りの通路脇に落ちる。
そこは、今にも凍り付きそうな水溜まり。
「凍れるねえ」
「そうですね。スカートがロングで良かったです」
手をすりあわせる白瀬先パイに同意して、ストールの前を合わせる。
生地を貫通してくる風にちくりちくりと肌を刺されながら、吐息の白があっという間に霧散していくのを目で追った。
そこには色褪せた防風林の中に佇むお社がある。
「手、合わせて行く?」
「はい。先パイは?」
「行こうかな」
確認し合わなくたって、どうせユリギノさんに手を合わせるに決まってるのに。敢えて言葉に出すのは、答える人のいる暖かさから、なんだろう。
……どこぞの現代和歌みたいなことを思うあたり、わたしもなかなか詩人なのかもしれない。
「先パイは、進路を決めているんですか?」
「うーん、どうだろう。私大経済とか、グローバルビジネスみたいなところでいいんだよなあ」
「英文科から、商業系ですか」
「進路としては割とポピュラーだよ。うちは会社経営してるし、ねーちゃんが医療大だし、私個人の希望進路って言うのもないからね」
「浪人しても良いから一緒に帝大行きましょうよ」
「綾街ほど偏差値、高くないよ」
他愛ない、穏やかな会話。
社殿の前でふたり並ぶと、自然に会話は立ち消えて。
手を合わせる。
今日のことが、白瀬先パイ負担にならないよう、頑張るから。ユリギノさんは見守っていて、と。
目を閉じると、北狐の鳴き声が聞こえた気がした。
「木滝恒彦神、かあ」
朝日神社の末社で祀られる、揺貴開拓の指導者。手記などをベースに調べると、揺貴蒔菜比売と縁深いお狐様なんだろう。
思えばずっと、朝日神社で狐に絡まれてから肩が痛かった気がする。何かから守ってくれていたのかな? だったら神野先輩はそれを払ったみたいだけれど。
「ずいぶん熱心だね?」
「白瀬先パイはあっさりですね」
「まあ、ね。神頼みばかりじゃ、掴めないものがあるから」
驚いた。
信心深そうで、今までわたしと一緒になって女神様に祈りを捧げてきたひとが、そんなことを言うなんて。
「先パイは何を掴んだんですか?」
問いに、白瀬先パイはもったいぶって「それはね」などと言って、くねくねし始めた。
だから、無視する。また手を合わせ、声を上げた。
「ユリギノさん、先パイが健全で健やかでありますようにっ」
「ちょっと、不健全なことを言おうとしてるって思ってる?」
「ふふっ。違うんですか?」
吐息。
「えっち」
「ち、ちがわい!」
ピンク掛かったレンズの奥が、一際赤く染まった。本当にいやらしいことを考えていたの?
……お盛んなことだ。
「私はただ、綾街の心を掴んだって言いたかったんだよ! でも_付き合ってるわけでもないのにさ」
だんだんと消え入りそうな声になるものだから、ちょっと可哀想になってきた。
手を掴む。ほんのり温かい手。
柔らかくて、すべすべの肌。
「白瀬先パイ。帰りましょう?」
「え、手は」
「バス停までつないで行ってあげます。寒いから」
ほっこりした気持ちになっていて忘れていたけど。
寒い。
あと、ビラのこと。
どうやって相談したらいいのか。寒さと、白瀬先パイの暖かさのせいで、考えがまとまらなかった。
「白瀬先パイ。あとで電話しますね」
「なに、言いたいこととかあるなら、今言ったら良いじゃん」
「ちょっと悩んでるので、整理したいのと……」
白瀬先パイの指に、自分のを絡める。
それぞれの指の長さは、あまり変わらないみたいだ。わたしのほうが手のひらはちっちゃいのに。
なんて、些細な違いすら感じたくて。
「笑っててください、先パイ。わたしのために」
意味深なことを言うヒロインみたいだなって、思ってしまった。
/◆◆◆
鎮守の森。
揺貴蒔菜比売の祀られた社に、一枚のビラが飛ばされてきた。
親しみを込めてユリギノさんと呼ばれる女神は、水溜まりに落ちたそれを拾い上げ、女は指先でちょこんとつつく。
すると、じゅわっと音が鳴り、水気が湯気となって消えた。
「ふむ……」
ひとつ唸ると、念じた指先の熱ひとつで、そのビラを焼き払った。
灰がはらはらと地に落ちる。
「余のあずかり知らぬところと、見知ったところで、それぞれ何かが起きているな……」
空を仰ぎ見る女神は、屯田兵村に覆われた悲劇の日々と同じ空模様に嘆息する。
虚空に消える白い吐息は最早、彼女から吐き出されることはないが。
「何を自ら語り、何をコントロールするのかを、自ら決められないというのは厄介なものよ」
自らの歴史に迫ろうとしている少女の、表情に出さぬ苦悩を思いながら、女神はペンとメモ帳を構える。
必要なのは、時間か覚悟か、はたまた理解か信頼か。
「ふむ。報告書を認めるとしようかの」
小豆色のロングスカートを翻した女神は、音も立てずそこに座していた存在に目をむいた。
それは、少女の肩に取り付いていた思念のかけら。
「そろそろ、年末ね」
その思念はにまりと笑って、そして虚空にかき消えた。
「……果たして余は、必死な乙女の神頼みを甘露として楽しんでいるのだろうか」
首を傾げながらも、揺貴蒔菜比売はメモ帳にペンを走らせる――。




