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事案第二十二号「アウティング」(2)

 放課後になるまでの間、観察していてわかったことがある。


 どうやら悪意の中心は、誰かというよりも何かによる、っていう雰囲気だ。

 それはきっと、


「笹芽さん、少しだけいいですか」

 珍しくわたしから声掛けがあったせいか、波紋が広がるようなざわめきが生まれる。

「朝、何を見ていたのか、教えてください」


 要求に、笹芽さんは一瞬ひるんだ。何か後ろめたいことがあるのだろうか。

「それって」

 割って入ったのは宇和さんだ。


「何かの間違いじゃない?」

 相変わらずの声の大きさに、教室内視線が引き寄せられている。

 なるべく、気持ちをフラットに。


「宇和さんもご存知ですよね。何が書かれていたんですか?」


 ひそひそと、囁きあう声が聞こえる。

 やばくない、見せていいの、確認のチャンス、と。


「みなさんの反応が、何かわたしに見せるには刺激的なものだと言っているようですけど。なんですか?」

「いやあ、綾街さんに見せるのはちょっと刺激が」

「宇和さん。わたしのことをわたしに見せられないということは、誹謗中傷か何かということですよね」


 う、と言葉を詰まらせた宇和さんを庇うように、笹芽さんが立ち上がった。同時に、リリーバーグさんもわたしの肩に手を置いて「いっちゃん!」と制止しようとしてきた。


 固唾をのむクラスメートたち。

 お昼休みにはあれだけわたしを推しだなんだと言っていたのに、こわばった顔で立ちはだかる笹芽さん。

 顔を青ざめさせる宇和さん。


 短足。

 コールタールみたいに重たく、吐息した気持ちが沈んでいく。


 こういう言い方はずるいし、諸刃の剣だけど。

「やっぱり、わたしはこのクラスには馴染めないようですね」

 周囲を見渡しながら、最大限に静かに、声を染み渡らせた。


「いっちゃん! そんなことないよ」

"Ach, mate! That’s not true at all, bloody hell!"


「けれども、わたしのことなのに、何があったかをだれもわたしに教えてくれない。除け者にして喜んでいるようにしか思えないです」

"But... this is my problem. However, no one tells me what happened. It seems to me that you are just happy to exclude me."


「みんな貴女を気遣って、報せたくないだけなの。貴女がレズビアンだってデマを流すビラなんて、見せられるはずないじゃない」

Och, everyone's just looking out for you, fair dinkum. They didn't want to upset you with those flyers—you know, the ones that say you're a lesbian. We couldn't just show you that rubbish, mate."


「それは余計な気遣いです。相手の居ることならばなおさら、わたしはそれを把握し、対処しなければならない」

"That is... unnecessary kindness. Because it concerns me, it is all the more reason why I must know the situation and deal with it."

 


「確かに、いっちゃん!

"Ach, fair dinkum, Its-chan"


貴女は白瀬に気に入られているし、それは愛だと思う。

"You're Shirase’s absolute favourite, and I reckon that’s proper love."


貴女たちは付き合っていないだけで、互いに尊重して惹かれあっているのはよーーくわかる。

"You two might not be officially dating, but it’s painfully obvious you respect and are drawn to each other."


でもそれを揶揄するようなビラを貴女に見せて、傷つけたいだなんて、宇和と笹芽は思っていない。

"Oof, but Uwa and Sasame never meant to hurt you by showing you that muck."


知ってのとおり彼女たちも女の子同士で付き合っているんだし、今日一日、貴女を守っていたんだよ」

"You know as well as I do that they’re dating girls themselves, mate! They’ve been looking out for you all day long."


 突然ドイツ語混じりの英語でまくし立て始めたリリーバーグさんと、それに英語で返すわたしのやりとりは、周囲から呼吸の音すら奪い取ってしまった。


 頭の中はリアルタイム翻訳でいっぱいだけど、それでもリリーバーグさん口を滑らせてくれたおかげで得られた情報もあった。


 白瀬先パイとの関係を、揶揄した輩がいるということだ。


「では、ビラの中身を教えてください。

"Then, please tell me the contents of the flyer


わたしがレズビアンかはどうでもいいですけど、そこにわたしが有名人の娘だということも書かれていたんですよね?」

. I do not care whether I am a lesbian or not, but... it was also written there that I am the daughter of a celebrity, wasn't it?"


「Ja...」

 最後の力ない返事。何かを諦め肩を落としたリリーバーグさんは、「英語で言い負かした」「綾街さんのバーサーカーモードだ」などと失礼きわまりないことを言っている宇和笹芽ペアの肩を叩いた。


「見せてあげたら」

「え、でも」

「もう、どんなことを書いているのか、いっちゃん! は察してる」


 ぎょっとしたように目をむく宇和さん、ああ、と嘆息を零す笹芽さん。

 そして、遠巻きに様子を見ていたクラスメートたちまでもが、リリーバーグさんと同じような顔をした。


 果たして、どんな書かれ方をしていたのか。

 くしゃっとなったビラを笹芽さんから受け取って、しわを伸ばす。


  綾街一香はレズ


 極太のポップなレタリングで、大きく書かれていた。

 あぶない。思わず吹き出しそうになってしまった。


 次の文字は小さくなっていて、


  芸能人の親の力を使って

  生徒を脅しているサイコパス


  自分に従わないと

  精神を痛めつけるぞ!


「……ええと。信じた人が居るから、こんな騒ぎに発展したのですよね?」


 がっかりだ。

 そんなに付き合いのない人たちが、こんなくだらないものに扇動されるなんて。


「あの、わたしが誰かの力で何かしているシーンって、どのくらいありましたか?」

 周囲に問うても、当然エピソードなんて出てこないと思ったけど、


「講演会のとき、フクイモモノと話してたのは見た」

「親子以上に年が離れてるよ」

「じゃあ誰?」

「顔良じゃない? 俳優の」


 思った以上に邪推が捗っている。

 よくない。

 ミスまちこに行き当たったら、それは恥ずかしい。


 その前に騒ぐしかないか。


「出てこないですよね? だって、わたし、皆さんに持て余されているから」

「そんなこと」

「そんなことないですか、じゃあ、どうしてわたしは一日中言葉を発さない日があるんでしょうか?」


 答えは今風に言うなら陰キャだからとかコミュ障だからであって、遠巻きにされている鼻つまみものってわけではない、と思う。

 だけど、あの母の娘であるという事実で何やら言われるくらいなら、腫れ物扱いされていると周知されたほうがマシだ。


 母は好きだけど、騒がれたくないから。


「落ち着いて、事実と付き合わせたら、こんなもの踊らされるわけないじゃないですか。高校生にもなって、謂われのない中傷を受けるとは思ってもいませんでした」


「あの、綾街さん」

 誰かが遠巻きに声を上げた。

 視線を向けると、確か芝崎さんとよく話をしている子だ。


「ちゆが、このビラを見て真っ青になってたんだけど……何か知らない?」

「ちゆって誰ですか」

「え、芝崎だよ!」

 親しくもないクラスメートのフルネームなんて覚えてないよ。


「綾街さんのことめっちゃ好きなのに、知らないなんてひどいんじゃない?」

「わたしは興味ないのにそんなこと言われて、ひどくないですか?」

 あ、考えずに言っちゃった。


 もういいか。


「そもそも、わたしは静かに過ごしたいんです。影でこそこそ、変なあだ名で呼んでいるのも知っていますけど、わたしからそれに触れたら面倒だから放置しています。なんですか、孤高の撫子って? 呼ばれる方の身になって想像してくださいよ。恥ずかしいったらありゃしないから。それで今度はリリーバーグさんが来たら、白百合に対比して黒撫子。見たことあるんですか、黒い撫子を? しゃらくせえこと言ってあることないことで盛る上がるんだったら、もっと本人を見なさいよ。ここに居る、全員。わたしをアイドルか何かみたいに扱ってもいいけど、有名人の娘だなんだって邪推されたっていいけれども、わたしが迷惑に感じない範囲でやってください。こんなビラ作ってやっかむなら、直接言いに来てください。相手しますよ」


 明日から学校休もうかなあ……。

 口の中がカラカラだし、視線は痛いし。

 だけど、ここで引いてはいけない。


 すごく嫌だし、針のむしろに座ってるみたいだけど、こんな状況だから、背筋を伸ばす。


 そして。

「笹芽さん。と、宇和さん」

「ア、ハイ」

 なぜかふたりとも、異口同音にカタコトの返事。


「わたしが怒るからって、隠してくれていたのはわかりました。お気遣い、ありがとうございます」

「イ、イエ」


「それから、リリーバーグさん」

「うん、いっちゃん! 落ち着いた?」

「はらわたは煮えくり返っていますけど、冷静ですよ」

 よかった、と、ビスクドールのように微笑んだ。


「言いにくいことを言わせて、ごめんなさい。わたしの拙い英語で伝わったでしょうか」

「大丈夫よ。こっちもキッタネェ英語でゴメンね」


 特に気遣ってくれた三人には、お礼を言っておきたかった。

 そして、残るクラスメートたちには。


 軽くお辞儀して、おしまい。

 鞄をひっつかんで、教室を後にする。


 出た瞬間に、教室内の空気が弛緩したのがわかる。


 もう、いいや。

 昨日までと同じように、遠巻きにされるのがちょうどいいから。


 問題は教室にいなかった、あの人。

 きっと何かを知っているから、一度話をするべきなんだろう。


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