事案第二十二号「アウティング」(1)
「おはよう、綾街!」
週が明けた月曜日、ユリギノさんのお社に手を合わせていたところに、声をかけられた。
「Good morning! いっちゃん!」
その後ろから、リリーバーグさん。
例年より暖かい秋を越えて、週末の間に一気に冷え込んだからか、道ばたの草は霜をまとっていて。
呼応するように、街ゆく人たちも、白瀬先パイとリリーバーグさんも、指定のトンビコートを纏っている。
「寒くないの?」
白瀬先パイは端的に、わたしに聞いた。
制服の上に、モニターとして戴いたストールだけの姿が、それはもう寒々しく見えてるんだろう。
「家を出るまでは、わたしもコートを着ようと思っていたんです」
「でも?」
「ストールで十分だなって思っちゃって」
そう答えると白瀬先パイは、露骨に引いた顔をした。
「あ、でも、ちゃんと厚手のタイツですよ」
ロングスカートの端を持ち上げて、脚部を曝す。プリーツの奥に黒々とした生地に覆われているスネが見えたことだろう。ご安心ください、白瀬先パイ!
という心持ちだったのに、白瀬先パイは顔を背けて銀縁眼鏡を直した。
「シラーセ、いっちゃん! の脚に照れてるんだよ」
すかさず耳打ちしに来たリリーバーグさんの指摘を受けるまで、自分がはしたないことをしたなと気付かなかった。
いけないいけない。ちょっと恥ずかしい。
「……先パイのえっち」
「綾街のせいじゃんか!」
白瀬先パイの悲鳴が、お社の周りに林立するポプラの幹に溶けて消えた。
◆
生徒玄関横の階段を上がり、二階で白瀬先パイと別れる。
そして、教室まではリリーバーグさんと同道。
ふたりで連れ立っていると、低くはない頻度でひそひそとされる。
白百合と、黒撫子。
そんなこっぱずかしいあだ名も浸透してしまっていて、
「おはよー! 綾街さんとイットゥ!」
こんなふうに、それぞれを認識して声掛けするのは、宇和さんと笹芽さんのペアくらいだ。
「綾街さん、おはよう。コート着ないで、寒くないの?」
「家を出るときから、コートだとちょっと暑くって」
自分で鏡を見る限り、顔色も悪くなかった。
起きたときの体温も三十六度ちょうどで平熱。
自律神経が整っていないんだろう。父さんが見ていた映画が字幕版だったからじっくり観てしまったし、寝不足気味なんだと思う。
「かわいいよね、その布」
「布て。せめてデカマフラーとか膝掛けとか、まともに間違えなよ」
宇和さんの物言いに、笹芽さんが即座の指摘を入れる。
強い言葉ではなく、間違っても良いと許容する懐の深さは、見習いたいものだ。
わたしはどうにも否定するときに言葉が強くなりがちだから、努めて冷静であろうと思っているのだけれども。
教室に入ると、自席へ向かう。
その間、なにやら違和感を覚えた。
視線の質が違うのか。
「ちょっと、宇和、笹芽さん、こっち!」
慌てたように呼ぶ声に、ふたりは頭にクエスチョンマークを浮かべながらそちらへ。
リリーバーグさんはわたしにくっついてきて、
「どうかしたのかな」
耳打ちしてくる。ふわっとシトラスが香った。
「さあ」
白瀬先パイの残り香だと気付いてしまい、心臓の動きが大きくなった。リリーバーグさんにときめいてるみたいだ。
「いっちゃん! 顔が赤いよ?」
それは貴女が近いからです、っていうのは語弊がありそうだから、ストールの前を合わせて、無視して席に着いた。
その時だった。
「そんなわけないじゃん!」
宇和さんの大声が教室内の空気を貫いた。
思わず視線を向けてしまう。
笹芽さんが、何かビラのようなものを握り締めていて、宇和さんは青筋を立てる勢いでふうふうと息を荒らげている。
「そんな、いくらなんでも濡れ衣だよ!」
「早月、ちょっと落ち着こう」
宥める笹芽さんも声が震えている。
どうやらトラブルのようだった。
「なんだろうね」
席に鞄をおいたリリーバーグさんがわたしの膝元にしゃがみ、様子を窺う。
「割って入ったらいいんじゃないですか、気になるなら」
文庫を開きながら答えると、リリーバーグさんの手が紙面を覆い隠した。読書の邪魔だ。
「いっちゃん! 気にならないの?」
「なりませんね」
「自分のことでも?」
文庫を置く。
薄緑の瞳がまっすぐに、こちらを見据えている。柳眉は浅く逆立ち、その白貌は迫力のあるビスクドールさながらだ。
「……わたしにとって譲れないことに被害がないなら、そんなことを気にしたって仕方がないと割り切ります」
しばしの見つめ合い、いや、睨み合いを裂いたのは。
「だから、綾街さんは融通を利かせてないだけだよ!」
宇和さんの、そのような反論? だった。
悪口か?
それなら気になるなと、そちらに視線を向ける。
決して好意的ではない色が、わたしに集中しているようだった。
わずか五秒ほどの静寂。そしてそこから波が引くようなささめきの声。
どの顔を見ても、決定的な悪意みたいなものがあるというよりは、困惑だとか、下世話な興味だとか、そういった類のように思える。
それなら、別にどうだっていい。
「リリーバーグさん。わたしは本を読みます」
宣言をして、ふたたび文庫を開いた。
ある朝目覚めると、一匹の毒虫に変心していた男の話。かびの生えたような紙の香りが鼻先をくすぐる。
面倒なことにならなければいいけど、きっと誰かが騒ぎを持ち込んでくるんだろうな。
◆
ホームルームが始まり、いくつかの授業を受けて、お昼休み。
教室にいるのは落ち着かないから、お弁当とストールを手に席を立った。
さっと教室を出たところで「綾街さん」と肩を叩かれた。
鈍い痛みを覚えながら振り向くと、笹芽さんがふうと一息している。
「購買に行くんだ」
「そうですか」
短い会話。
玄関ホール横にあるカフェテリア、そこに併設されている購買。行き先は一緒らしい。
「そろそろクリスマスだね」
「そうですね」
「秋穂先輩と過ごすの?」
いつだったかの騒動で、白瀬先パイと顔見知ったからだろうか。あるいはリリーバーグさんのホームステイ先として覚えているからか。
いずれにしても踏み込んだ質問だ。
答えず、ストールを羽織る。
寒さを感じているわけじゃないけど、なんとなく、だ。
「それって素敵なストールだよね。ちょっと早いクリプレ?」
「いえ。知り合いから戴きましたが、商品モニターです」
「そうなんだ。夏服の柄っぽいよね」
別に、その制服をデザインした張本人、家政科の伝説から戴いたなんて言わなくていいだろう。
そう思ってたけど、
「フクイモモノって、綾街さんの親戚か何か?」
旧な問いに、足を止めかけた。
「綾街さんが、芸能人の娘だって噂になってて。それで、あやかりたいなんて言う子がいてさ。朝、早月が活を入れたんだけど通じてなくて……」
「そうですか」
「え、興味ない?」
階段を下りきって、玄関ホール。
笹芽さんに、改めて向き直ってみせる。
スカートのプリーツがふわりと舞って、落ちた。
「事実であろうと、なかろうと。わたしはわたしですから」
「カッコいい……さすが私の推し」
笹芽さんが目をきらきらさせ始めた。
本人にそれを言うのはどうなんだろう? 反応に困ってしまって、踵を返してしまった。
足早に、カフェテリアのテーブルの一角を占拠してしまう。一年生の教室は遠いから、空席は少ない。
なんとか窓際を確保して、気付く。
室内なのに吐息が白い。窓からの冷気がダイレクトに当たるせいで、人気がない席だったらしい。
まあ、ストールもあるし、寒く感じないからいいんだけど。
「わ、冷えるねえ、この席」
焼きそばパンをふたつ抱えてきた笹芽さんが、許可も取らずに隣の椅子に座った。
「教室に戻らなくていいんですか? いつも宇和さんとお昼を摂っているのかと思っていましたけど」
笹芽さんは少しだけ困ったように、曖昧な笑みを浮かべた。
ばり、とビニール裂き、焼きそばパンを頬張って咀嚼して、
「推しのことは私たちが守ろうって、早月と話したんだ」
などと嘯く。
「守ってもらうようなことは、特にないと思うんですけど」
「うーん、でも人に悪意っていうものがあるわけだし、私と早月だって喧嘩するのに、孤高の撫子が標的にならないとは限らないよ」
聞くのも恥ずかしいあだ名を真顔で口にした笹芽さんは、きっと何かを隠しているんだろうなと思う。
おおかた、朝の件だろうけど。
「芸能人の娘だからお高くとまっている、っていう感じのことだったら、別に傷ついたりしませんよ」
「えっ、わかるの?」
「言われ慣れていますから……」
母さんはあの強烈なキャラクターだし、ご近所にも当然顔が知られていた。そんな人が夕方のワイドショーのお料理コーナーに出たら当然に話題になるし、娘であるわたしも相応に弄られたりしたものだ。
その中にやっかみが無かったかというと、ねえ?
「やっぱり綾街さんって、サラブレッドなんだ……女優さん? 元アイドルとか?」
「父は普通にサラリーマンだし、母もそんな華々しい人ではありませんよ」
「ええーっ。じゃあどうしてこんなにクールで綺麗な子が産まれちゃうの?」
「さあ。親が鳶だったんじゃないでしょうか」
自らを鷹に準えるだなんて、なんと傲慢か。
礼ちゃんや里奈ちゃんなら笑い飛ばしてくれるであろう物言いも、わたしを推しているらしい笹芽さんには
「かっこよ……」
恍惚とさせてしまった。
崇拝するような視線が居心地を悪くさせるから、窓の外をじっと見て無心にサンドイッチをお腹に詰め込んだ。
それから、笹芽さんからも逃げるように図書室に。
入り口のあたりにはやっぱり神野先輩がいて、ノートパソコンで何やら一心不乱に作業をしている。
声をかけたって、話題がないからスルーしておく。
向かうのは、カウンター。
「おや、綾街。こっちまで来るの珍しいじゃん」
にこっと裏表なく笑いかけてくれる先パイに癒される思い。
教室に戻ったらまた、何か波風が立ってるんだろうな。
「どうしたの?」
「いえ。顔を見に来ただけですけど……」
一息。
「一緒に帰りましょうね」
「あ、うん。わかった。そのつもりだったけど」
帰り分の癒しも予約できたし、教室に戻ろう。
退室際、何やら言いたげな神野先輩に一応の会釈を残して、教室に足を向ける。
いつの間にか。
脚に絡みつくロングスカートは、鉛の繊維が織り込まれているみたいだった。




